第20話
初めての遠征も無事終わり、平和な講義が続くという晩春のある日のこと。
今日の講義はシェリーが頑張っているメリンダ先生の講義だった。
「……と言うように、火のマナは体温に関係するので風邪などの高熱を伴う病気の治療に有効だとされているのですが、水のマナと火のマナの相性の問題で解決に至っていません」
普通の内容だった。だが、旋律をうまく使えば相性問題はクリアできることを知っているエルは、ふんふんと真面目そうに聞きながらも「この世界にジャズがあったらなぁ」なんてことを考えていた。
それでもメリンダ先生の話は続き、また別の話になった。
「相性というのは問題のあるもので、互いに反発し合うこともわかっています。では実際に見てみましょう」
メリンダ先生がそういうと、魔術具の水晶玉に魔力を送る。水色の淡い光と赤色の淡い光が灯っているから、水のマナと火のマナを入れているのだろう。
「このふたつのマナを近付けると……」
見るともなしに見ていたエルは、相性の悪いマナ同士が反発して弾けたように見えた。
「……と、このように混ざり合うことがありません。例えば土のマナで試せば……」
今度は水色の淡い光と茶色の淡い光が水晶玉の中で触れ合い、混ざり合う様子が見て取れた。
「このように相性のいいマナ同士では簡単に混ざり合います。これを応用したのが、肉体の損傷を治癒する治癒魔術です。さすがに欠損した部分までを再生するほどの力はありませんが、土のマナと組み合わせることによって傷の治りを早め、血の流れを抑制することができます。血の流れは風のマナに関係するため、もっと難しくなりますが、風のマナと3つ組み合わせることによって出血を抑えつつ、傷の治りを早め、ケガの治療を早める、と言ったことも可能になります」
そうしてメリンダ先生は水晶玉で実践してくれる。
さすがに治癒魔術に詳しいメリンダ先生だけあって、3つのマナの淡い光が混ざり合ってひとつに融合する魔術の腕前は見事だった。
シェリーはそれを食い入るように見つめていて、やはり完璧にマスターしたいと意気込んでいた治癒魔術の講義に関しては、他の講義よりも熱心に聞いているなと思う。
午前中はこんな風に理論とメリンダ先生の実践を見て、午後からは各々の実践に入る。
治癒魔術なので水晶玉で魔術の成否を確認することしかできないが、それでもエルを含めて8人いる学生たちは相性のいい土のマナとの組み合わせを試してみたり、逆に悪い火のマナでの失敗を体験してみたりと、代わる代わる水晶玉を使った実践を試みる。
メリンダ先生のように3つのマナを試そうとする学生もいたりしたが、当然失敗していた。3つのマナを扱うには相当構文を熟知していなければならないし、理論で教わったからと言ってすぐに実践できるものでもない。エルが実践できているのは前世のプログラマーとしての知識と経験があるからだ。
だが、エルもここで3つのマナを使った魔術を成功させて威張るようなことはしない。
余計な注目を浴びるのは避けたいので、相性のいい土のマナとの魔術を実践して成功させてそれで満足しておく。
メリンダ先生も成功したり失敗したり、試してみようと意気込む学生たちを優しく見守ってくれていて、時折間に入っては「こうするのよ」とお手本を見せてくれたりもしていた。
シェリーは苦戦しているようだったが、何度も諦めずにチャレンジしていると次第にできるようになってきていて、相変わらず頭で覚えるより実践で覚えるほうが得意だなと思わせられた。
そんな講義の時間が終わっても、シェリーは居残り特訓とばかりにメリンダ先生を捕まえて実践に余念がなく、もちろんエルもそれに付き合っていた。
メリンダ先生も熱心なシェリーに嫌な顔をひとつすることなく、居残りに付き合ってくれて、成功して喜ぶシェリーを褒めてくれる、なんて光景はメリンダ先生の講義ではいつものことになっていた。
そうして夕飯ギリギリの時間までメリンダ先生に付き合ってもらい、急いで寮に戻ってから着替え、夕食とお風呂をすませて部屋でくつろぐ。
「はー、今日も勉強したー」
「もうシェリーが居残りするのはいつものことになってるよね」
「うん。メリンダ先生もちゃんと付き合ってくれるから嬉しいんだー」
「1年生のときからそうよね。メリンダ先生もいつもいつもわからないところを訊いてくるシェリーに嫌な顔もしないで付き合ってくれるんだからいい先生よね」
「うん、あたし、メリンダ先生大好きー」
「私も好きよ。教え方は丁寧だし、優しいし、大人だし。こんな身体じゃなかったら、あんな人になりたいってくらいだわ」
「学生の評判もいいしねー。1年生のときからメリンダ先生でよかったー。新しく替えようとした学生は抽選になったって話だし」
「みたいね。1年生の頃は5人だったのに、今は8人だもんね。治癒魔術なんて基礎中の基礎だからって適当に選んだ学生は損をしたわね」
そうなのだ。メリンダ先生を1年生のときから選んだ学生は少なかった。シェリーのように治癒魔術を極めたいと思う学生がそれほどいなかったので、治癒魔術を専門にするメリンダ先生を水のマナの教師に選ぶ学生は多くなかった。
だが、1年間の講義でやはり治癒魔術を専門とするとは言っても、水のマナに詳しい教師だから治癒魔術だけに詳しいと言うわけではない。満遍なく水のマナに関する魔術には詳しかったし、教え方も丁寧でわかりやすい。優しいのでシェリーみたいに講義後も付き合ってくれるから、1年生も終わりになる頃にはそんな噂が出回ってメリンダ先生の評判は上がっていったのだ。
だが、メリンダ先生は1年生のときから教えてきた学生を優先してくれて、新たに希望した学生は抽選という形で選んでくれた。だからエルとシェリーは抽選をするまでもなくメリンダ先生の講義を選ぶことができたし、シェリーも治癒魔術の腕をめきめきと上げて、今では治癒魔術ならば他の学生よりも頭ひとつ抜きん出ていると言っていいくらいだった。
もちろんシェリー本人の努力や学習意欲もあっただろうが、メリンダ先生くらい優しく付き合ってくれる教師でなければ、シェリーの治癒魔術の腕がここまで上がることはなかっただろう。そういう意味では1年生のときにメリンダ先生を選んでよかったと思う。
今日の講義もわかりやすかったし、その都度実践してくれるから効果が目に見えてはっきりとわかる。教師の中には理論は理論と割り切って、メリンダ先生のように実践を交えて教えてくれる教師はいなかったりもしたので、そういう意味でもメリンダ先生の講義はわかりやすい。
「今日はおさらいはいいの?」
「うん。ばっちりメリンダ先生に教えてもらったからねー」
「なら私は本でも読んでようかなぁ。貸し出し期限も近いし」
「えー、もっとお喋りしようよー」
「はいはい」
本ならシェリーがおさらいをしているときにいつでも読める。おさらいを必要としないくらい熱心なのはメリンダ先生の講義くらいなのだ。
その後もシェリーが主に話をしてくるのを聞いて、コロコロと笑ったりしているとあっという間に時間は過ぎ、夜も更けてきたので寝ようと言うことになった。
ベッドに潜り、目を瞑ると今日の講義のことが思い起こされた。
反発--ねぇ。
相性の悪いマナ同士の組み合わせで魔術が失敗するのは一般論として学生の間では周知の事実だが、反発というのは初めて聞いた。
互いに反発し合うから混ざり合うことがなく、だから失敗しやすいのだろうと言うことは理解できるものの、それは旋律を工夫することでクリアできることはわかっている。
うとうとと眠りにつこうとしていたエルは不意にひとつの仮説に辿り着いた。
反発する、と言うことはその反発を利用できるのではないか、と言うことだ。
確か古代魔術では相性問題は問題になっていなかった。大規模な魔術でも軽々と発揮できたのはこの反発する性質を利用していたからではないのかと思い至ったのだ。
もしこの仮説が立証できるのであれば、洪水を起こすダイダルウェーブのような大規模な魔術は、火のマナの反発力を利用して水のマナの力を増幅させて大規模な魔術にしていた、と言う可能性が出てくる。
これは大いに試してみる価値のある仮説だと思って、今度時間ができたときにでも試してみようと思って眠りについた。
寝る前に考えついたことは寝てしまうと忘れてしまうことが多々ある。
反発力を利用するという仮説を思い付いた夜から1週間経って、ようやくそのことを思い出したエルは、どのようにして反発力を利用するかを考えるようになっていた。
ではどの魔術で試そうかと考えた結果、やはり水のマナで試すのがいいと考えた。
理由は簡単だ。
土の魔術では何らかの現象が起きたときに痕跡が残る。これでは大規模な魔術になったときに取り返しのつかないことになりかねない。同じ理由で火の魔術もダメ。火事にでもなったりしたら大事だ。光と闇は何が起きるかわからないから却下。残るは風か水のマナだったが、風は台風並みの暴風を起こしてしまうとこれまた取り返しのつかないことになりかねない。
そういうわけで消去法で水の魔術になった、と言うわけだった。
水の魔術ならば大雨が降ったとしても地面が水浸しになるだけですむし、水は流れていくから痕跡も残りにくい。局地的に大雨が降るなんて不審がられるだろうが、それでも所詮は雨である。変なこともあるものだと不審がられてもエルが魔術でやったなんてことを気付かれる心配は少ない。
それにプチゲリラ豪雨を起こした経験もある。あれも水のマナと火のマナの反発力が招いた結果だとすれば、干魃に耐えうるだけの水量を確保できた魔術になった理由も説明がつく。
ならばどんな魔術で試してみるのがいいかを考えて、やはり効果がわかりやすいダイダルウェーブのような魔術がいいと考える。魔力を抑えて反発力の効果を確認するだけだから、そこまで魔力を使う必要はないし、大規模な魔術になったとしても広い実験場を水浸しにするくらいの被害ですむだろう。
それくらいなら1日何故か実験場が水浸しになっていた、と言うくらいですむし、夜の誰もいない実験場で試すくらいなら誰の迷惑にもならない。
そうと決まれば後はどういう構文を組み立てるかを考えればいい。
ダイダルウェーブの発生原理は古代魔術の本でだいたいわかっているから、そこから類推してどういう構文を組み立てればいいかを頭の中で組み立てる。
講義を受けつつ、またシェリーの相手をしつつだったので、実際に試す構文を組み上げたのは試すと決めた日から10日ほど経った後だったが、これで後は実際に試すだけだ。
いつものように夕食を食べ、お風呂に入ってから寝るまでの時間に部屋を出ようとしたエルに、当然のようにシェリーが何をするのかと尋ねてきた。
「ちょっとした実験よ。すぐに戻るからちょっと待ってて」
「実験? 何それ? あたしが見てちゃダメなヤツなのー?」
うーん、どうしようか。
別に反発力の効果を試すだけだから別にシェリーがいたとしても問題はない。逆にシェリーを置いて変に勘繰られるより、ついてこさせたほうが後々何かあったときに口止めすることもできる。
それを一瞬で考えてシェリーがついてきても問題なしと判断する。
「ダメじゃないわ。ついてきてもいいわよ」
「やった! で、何の実験をするのー?」
「それは見てのお楽しみ」
にっこりと笑ってはぐらかす。
シェリーは頭にはてなマークをつけていたが、エルに全幅の信頼を置いているのでそれ以上追求してこなかった。
夜も更けた時間にエルとシェリーは実験場に来て、シェリーにライトの魔術で自分たちの周囲だけを照らしてもらう。
幸いというか当たり前というか、この時間に実験場にいる学生も教師もいなかった。
これで思う存分実験できる。
「じゃぁちょっと試してみるから見ていて」
「うん、わかったー」
シェリーの前に一歩進み出て目を瞑る。
組み立てた構文をもう一度頭の中で反芻して、いよいよ実験の開始となる。
「万物の母たる水のマナよ、全てを燃え尽くす火のマナよ……」
反発力の実験なのでジャズの旋律は使わない。どれくらい火のマナによる反発力があるかの実験だから、逆に火のマナに合うロックの旋律を使う。
構文を弾むようなビートに乗せて詠唱すること10分ほど。
ただの軽い実験のつもりなのに、思いの外魔力を吸い取られていく感覚がある。
だが、構文はまだ半分くらいしか詠唱していない。
まさかとは思ったが、一介のS判定しか出ていない魔力の学生にそんな大規模な魔術が発動できるはずがないと思い直して詠唱を続ける。
だが、どんどん魔力は吸い取られ、立っているのもやっとという状態になったときにようやく詠唱が終わった。
「……全てを飲み込む奔流となれ、ダイダルウェーブ」
威力を少しでも抑えようと小さく詠唱を終えた途端、エルの真上に大量の水が湧き出した。
それはあっという間に流れ出し、実験場を飲み込むどころか、シェルザールと街を隔てていた高い壁に到達し、実験場の広さの半分の壁をぶち壊して流れ出した。幸いシェルザールの周囲にはあまり建物がないことが幸いして、周辺への被害はなさそうだった。
「うわー」
シェリーの呆気にとられた声が聞こえる。
まずいと思っても魔力の使いすぎで足が震えていて、立っているのがやっとだ。
このときばかりは軽い気持ちでシェリーの同行を許可したことをラッキーだと思った。
「シェリー、お願い。今すぐ私を負ぶって逃げて。ライトの明かりも消して」
「え? なんで?」
「なんでもよ! とにかく急いで!!」
「う、うん」
いつものエルらしからぬ気迫に押されて、シェリーはライトの明かりを消すとエルをお姫様抱っこをして実験場から逃げ出した。
部屋に戻ってベッドに寝かせてもらうとようやく人心地ついた。
シェリーに抱っこされて逃げる途中、「何事だ!?」と言う声が聞こえたから衛士か何かだろう。あのまま見つかっていたらどうなっていたことかと思うと震えが来る。
「すごかったねー。何なのあの魔術?」
「説明する気力もないわ……。でもひとつだけ約束して」
「何を?」
「今日の夜のことは今すぐ忘れて。忘れなくても誰にも言わないで。そうしないともう一生口利いてあげない」
「えー、それはヤダー」
「じゃぁ絶対に黙ってること。いいわね!?」
「う、うん、わかった」
シェリーは素直だし、エルを慕っているからこう言えばきっと黙っていてくれることだろう。シェリーの気持ちを利用するみたいで少し心苦しかったが、今は四の五の言っていられない。
どうかバレませんように、どうかバレませんように……!
今はただそれだけを祈るしかなかった。
夜寝る前、思い返してシェリーに今日の夜のことは学校や寮では話さない、もし話すとしたらこの部屋でふたりっきりのときだけにする、と言うことを約束させてその日は寝た。
翌朝にはよく寝たおかげで魔力も体力も回復し、普段通り朝食を食べ、講義に行った。
しかし、思いがけないことに翌日にはシェルザールの実験場に近い壁が何者かに破壊された、と言う噂は学校中に広まっていた。
シェルザールを妬む者が仕掛けた陰謀だの、魔術師の過激派の仕業--過激派なんてのがいるとは知らなかった--だの、実は大規模な魔術を失敗した教師の仕業などなど、様々な憶測が乱れ飛んでいた。
中にはジャクソンの仕業だと言う2年生もいて、確かにその線はあるだろうと思わされた。
何せシェルザールに深い恨みがある最近のやりそうな人物と言えば2年生の中ではジャクソンが真っ先に思い浮かぶだろう。
だが、どれも憶測の域を出ないし、ジャクソンに至ってはドリンの街に入ることすら難しいだろう。そもそもが追放処分なのだから、入ろうとしてもアイオー騎士団に見つかって掴まるのがオチだ。
では誰の仕業なのかと誰もが口々に噂している中、講義を受けるのはキツかった。
あんな大規模な魔術を、「私がやりました」と言っても信じてはもらえないだろうが、それでも極力疑いの目を向けられるようなことは避けたい。
どうすればあんな魔術が使えたのかを訊かれても、ただの思いつきなのだから説明に困る。
だいたい反発力の実験をしただけなのに、まさか本当に古代魔術の本に書かれていたようなダイダルウェーブが起きるとは思ってもいなかったのだ。
古代魔術は古式派が研究しているテーマのひとつだが、解明されていないことのほうが多い未知の魔術体系だ。それを独自の構文で再現してしまいましたなんてことがバレたらどんなことになるか想像もつかない。
シェリーも噂になっていることはわかっているが、エルとの約束を優先してくれて学校ではあの夜のことは話さない。このときばかりは「シェリーがいい子でよかった」と心から思った。
そんな風に表面上は平静を装って、内心はドキドキしながら講義を受け、1週間余りが過ぎた。
講義が終わって寮の部屋に帰ってくるなり、エルはベッドに突っ伏して唸った。
「あー、もう、心臓に悪いわぁ」
「このところ、あの噂で持ちきりだもんねー。でも結局エルは何をしようとしたのか教えてくれてないよね?」
「シェリーには話してもいいけど、理解できるかなぁ」
「ぶー、あたしだってシェルザールの学生だよー。少しくらいわかるよー」
「じゃぁ1ヶ月くらい前にメリンダ先生の講義で、水と火のマナが反発するって話、覚えてる?」
「うん、覚えてるよ」
「なら話が早い。あれの応用を実験したのよ」
「応用? 何の?」
「だから、反発」
これだけではシェリーは理解してくれなかったので、追加で説明する。
「つまりね、反発するってことは反発する力が大きければ、反発するマナの力も大きくなるかもしれないって考えたわけね」
「ふんふん、なるほど」
「ここまでは理解できる?」
「うん、なんとなく」
「じゃぁその次に行くけど、反発する力が強くなれば、反発する側の力も大きくなる。つまり火のマナの強い反発力を使って、水のマナの威力が増すんじゃないかって考えて、あの実験をしたわけ」
磁石の話と同じである。
磁石も強い磁力を持てばSとNの間ではくっつく力が強くなるし、SとSの間では反発する力が強くなる。
この世界にそんな考えはないが、磁石そのものはある。コンパスがあるのだから磁石を利用する、と言う考えそのものはあるが、せいぜいコンパスに利用するくらいで磁力をどうこうしようと考える者はいない。そもそもが科学技術よりも魔術に力を注いでいるトライオ王国では魔術が発展しても、科学技術はなかなか発展しない。
「うーん……、つまり火のマナを使って、水のマナを強力にしようってこと?」
「そういうこと。でもまさかあそこまで強力な魔術になるなんて予想もしてなかったわ……」
「確かに。あんなにでっかい穴を開けるくらいの魔術なんてたぶん誰も知らないよー」
「私だって元々そんなつもりはなかったわよ。実験なんだから、反発する力がどれくらいマナに影響を及ぼすか、くらいの軽い気持ちだったんだもん。それがあのザマよ。こんなことがバレたら最悪退学になりかねないわ……」
「えー、エルが退学なんてヤダよー」
「じゃぁお願いだからこの部屋以外では黙っててね」
「うん、わかったー」
ホントにシェリーは素直でいい子である。
おまけにシェリーについてきてもらったおかげで迅速に逃げることもできた。
この件に関してはシェリーでなければどうなっていたかわからない。
やはり半ば脅すようにして黙ってもらっているのが心苦しいが、これもバレないためには仕方がないと思うことにする。
「でもエルもすごいよねー。反発するってだけであんなことをやろうだなんて考えるんだから」
「だからこんな大事になるとは思わなかったんだって。せいぜい実験場が水浸しになるくらいに思ってたから気軽に実験しようと思ったんだし」
「それがあんな大惨事になっちゃった、と」
「そういうこと。でもまだシェルザールの壁くらいですんでよかったわ。近隣の建物に被害が出てたら騎士団にまで追われる身になってたかもしれないんだから」
「そういえばそうだねー。なんでだろ?」
「歴史の講義で習ったでしょ。シェルザールは国を担う魔術師を育成するために作られた学校であり、学究機関だから周辺に家を建てるのを禁止したからよ。まぁそのおかげで壁だけですんだって話なんだけど」
「そうなんだー。でもホントにすごかったなー。あっという間に水が壁をぶっ壊しちゃったんだから」
「あー! もうっ、それ以上言って思い出させないで! もう気軽に反発力の実験なんてしないわ。もしまたあんなことになったら次こそバレるかもしれないんだから」
「えー、せっかくエルが見つけたことなのにもったいない」
「もったいなくていいの。学生のうちは学生らしく。分不相応なことをして、学校に目をつけられたらたまったもんじゃないわ」
「そういうもんかなー」
「そういうものなの。ああいうことは卒業して、宮廷魔術師にでもなってからやればいいことであって、学生のうちにやるようなことじゃないの。宮廷魔術師にでもなってからなら、自分の成果として誇れるでしょ?」
「今でも十分誇ってもいいと思うけどなー」
「学生の身でどうやって説明するのよ。実は思いつきでやってみたらとんでもないことになりました、なんて言えるわけがないじゃない」
「そういうもんかー」
シェリーは納得したのかしてないのかよくわからない表情をしていたが、これ以上追求しても意味がないと悟ったのか、それ以上この話題には触れなくなった。
「それよりさ、魔術具のほうはどうなのー? だいぶ距離が離れててもちゃんと話ができるようになったけど」
「もう少し改良の余地はあるわね。私がどういう道に進むにしても、シェリーの故郷くらい離れてても話ができるようになるにはもっと精度を上げないと、距離が問題になって話ができなくなるかもしれないし」
「そうなんだー。今でも十分実用的だと思ったのになー」
「ドリンの街にいる限り、距離の問題を確かめるのは不可能だしね。いくら街の端と端で会話がスムーズにできるからって、馬車で1ヶ月以上もかかる場所同士で会話ができるという保証はないわ。だからできうる限りの対策は取って、万全を期したいのよ」
「そっかー。エルがそう言うなら仕方ないね。でもエルなら絶対できるってあたしは信じてるよー」
「私もシェリーの期待を裏切らないように頑張るわ」
「うん」
魔術具の改良は順調なので、シェリーもニコニコと笑って話をしてくれる。
もうこれ以上は対策の取りようがない、と言ったところまで突き詰めれば、お揃いのペンダントにこの魔術をかけてお互い持つようにすれば、卒業して離れ離れになったとしても、いつでも側にいるかのように話ができる。
シェリーも言ったように、信じてくれるからエル自身も必ず完成させてみせる、と言う気になる。
この世界に生まれ変わって多少は慣れたとは言え、基本的に人付き合いは苦手なほうなのだ。それなのにここまで親しくなれたのは相手がシェリーだったからこそだろう。
そのシェリーと離れ離れになって、それっきり疎遠になって二度と会えないというのは寂しすぎる。
せめて気軽に会話ができるくらいになれば、何かあったときにシェリーに相談したり、話を聞いてもらったりできるので是が非でも完成させなければならない。
現代日本ではネット越しの親友と呼べる相手はいたが、リアルの人間関係を極力避けてきたエルにとって、シェリーはそれだけ稀有な存在であり、かけがえのない親友でもあるのだから。
シェルザールの実験場近くの壁が破壊されたと言う噂はルーファスも当然知っていて、それをやったのが誰なのかの推測もついていた。
--と言うか、こんなことをしでかすような学生はひとりしか思い当たらない。
教師ならば実験の失敗として学長なり、教師陣の間で話になるだろうが、その教師陣の誰でもないとすれば学生しかいない。
そしてこんな突飛なことをしでかす学生と言えば思い当たるのはひとりだけだ。
それにしても、とも思う。
どんな構文を組み立てればあれほど壁に大穴を開けてしまうくらいの魔術を行使することができたのか。
幼い頃に「歌」と言う概念に気付いてそれを用いて独自の構文でも自在に魔術を操っていたエルだから、きっとまた何かに気付いてそれを実践してみようとしたのだろう。
学生の身でありながらあれほどの魔術を扱うまでになったエル。
末恐ろしいとはこのことだろう。
もしその頭脳が古式派に取られたとしたら、古式派はエルを利用して勢力を取り戻そうと画策するはずだ。
そうなると国内の派閥争いの勢力図が塗り変わりかねない。
それはなんとしても阻止しなければならない。
それに同じ魔術師としてどのようにしてあれほどの魔術を行使することができるようになったのかにも興味がある。
魔力はSSSのルーファスのほうが上だが、こと技術に関してはエルに後れを取っていると思っている。
タメ口で話せる学校でも数少ない友達ではあるが、同時に技術では敵わないライバルと言っていいくらいの相手だった。
だからこそ知りたい。
壁が破壊されてから1週間。修繕工事も始まり、復旧に向けてシェルザールでも動きはあったが、ルーファスのように誰がその犯人であるかまで辿り着いた者は他にはいないだろう。
エルと友達で革新派に入るよう仕向けるために近づいて、エルのことをよく知っているからこそわかった話なのだ。
グランバートル家の魔術師として魔力に劣るエルに負けるわけにはいかない。
もしエルが革新派に入ったとしたら、強力なライバルとして革新派の中でもルーファスと勢力を二分するほどの存在になるかもしれないのだ。
そんな相手に負けるわけにはいかない。
ルーファスの肩にはグランバートル家の未来がかかっているのだ。
魔術師として幼い頃から祖父に厳しい教えを受けてきたからこそわかる。
魔術師は魔力の強弱だけで決まるわけではない。
その発想力や観察眼、着眼点で新しい知見を得られることもまた、比類なき才能なのだ。
エルは魔力こそルーファスに劣っているが、そうした魔力以外の才能に恵まれていると思っていい。
1年近く付き合ってきて、深く知れば知るほど負けられないと思う。
おそらく今は誰にも話していない--おそらくシェリーは知っているだろうが、エルに口止めされていることは想像に難くない--から、教えてくれと言っても教えてくれないだろう。
エルの才能が自分にも備わっていれば国でも比類なき革新派の魔術師としてグランバートル家をもっと繁栄させることができるはずだ。
そのためにももっと自分の実力を上げてエルに負けないような魔術師にならないといけない。
自室のベッドに寝転がったまま、ルーファスは決意を新たにした。
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