80.挽回も切り捨ても許さん――SIDE ヴィル

 ビッテンフェルト公爵は、にこやかな笑みを貼り付けて現れた。作り笑顔であっても、様になっている。だが室内の状況を確認すると青ざめた。


「これはこれは。ビッテンフェルト公爵殿、随分遅かったではないか」


 にやりと笑って先制攻撃を仕掛ける。室内では、ローザと侍女がマダムとお茶を楽しんでいた。見本を見ながら、衣装のここを変更して欲しいと要望を出す。マダムもにこやかに応じた。


 平和な光景の脇、部屋の片隅に騎士アルノルトに剣先を突きつけられた女が一人。間違っても令嬢ではない。躾のなっていない犬のように吠えかかり、獣の形相で噛み付く野生動物だった。いや、目の前の男が生みの親で飼い主だったな。


「申し訳、ない。これでも急いだのだが……」


 イザベルが何かしたのか? この状況はどういうことだ。問いただしたいことが喉に詰まったらしい。ぱくぱくと口は動くが、声が出てこなかった。


「ああ、これか? 頭の悪い獣に吠え掛かられてな。どうも躾をされなかった野犬のようだ」


「大公閣下、野犬に失礼です」


 お前も大概失礼だが、まあアルノルトらしい言い分だ。くつくつ喉を揺らして笑い、座るよう指示した。空いた向かいのソファに座ろうとした男を、叱責する。


「駄犬が噛み付いた被害者に対し、加害者の飼い主が同じ高さの椅子に座る気か」


 見下す俺の目は冷えているだろう。びくりと肩を揺らした後、ビッテンフェルト公爵は迷って床に屈んだ。座らず、膝をついた状態で耐える。


「イザベルと名付けられた雌犬に、我が妻が噛みつかれてな。牙を抜いて躾け直す必要がある。もちろん、躾の後はお返しするが……引き取る気はあるか」


「申し訳ございません。引き取りは出来ませんので処分をお願いいたします」


 思わぬ回答に、イザベルが叫んだ。身を乗り出したため、首の皮膚が薄く切れる。それでも声を張り上げた。


「お父様、それはどういう意味? 私は公爵令嬢で、お父様の次に偉いのよね? そうよね!」


 お茶を楽しんでいたローザが不安そうに振り返るので、微笑んで足を組み直した。問題ないと口を動かせば、声にならない言葉を読み取ったローザが微笑む。やはり可愛い。こんな面倒がなければ、ドレスを選び終えて一緒にお茶を飲んでいたのに。


「答えてやれ」


 黙って脂汗を垂らす公爵へ吐き捨てた。こういうのは、親に言われる方が堪えるだろう。そもそも、教育や躾の終わっていない駄犬を外に放つなど、蛮行に等しい。


「公爵令嬢の定義だ。まさかお前も知らないのか」


 馬鹿にした口調に、おずおずと小声で公爵が口を開く。小心者で野心だけ大きい男のようだ。ビッテンフェルト公爵家の内情など、聞かずとも知っている。先日、この女が姉に縁切りされたことまで。


「子爵家当主と同等です」


「嘘っ! 私はお父様の娘なのに」


「罰を与える必要があるはずだ。我が婚約者アウエンミュラー侯爵に楯突き、護衛を務めるシュトルツ伯爵を騎士風情と罵った。たかが、公爵家の令嬢如きが」


 区切って言い聞かせる。震える公爵は何も答えられなかった。ビッテンフェルト公爵家の命運が尽きた瞬間だ。


「公爵令嬢イザベルは平民に降格とする。あれだけ見下していたんだ。さぞ敵が多いだろうな」


 今までどう振舞ってきたか。手に取るように理解できるからこそ、一番堪える罰を与える。令嬢ではなく、貴族でさえない。罵り蔑んできた平民として生きよ。この命令を遂行するのは、アルノルトの差配に任せるとしようか。項垂れる公爵を放置して立ち上がり、思い出して付け加えた。


「そうだった。ビッテンフェルト家の処分については、我が友から話を通すとしよう」


 がくりと崩れ落ちた公爵は、わずかな時間で老けたように感じられた。

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