09.呟きを聞かれてしまった――SIDEアンネ

「だ……、旦那様、ダメ……執事さんを」


 捕まえて! 誰でもいい。証拠隠滅される前に、彼を捕まえてよ!! 怒りとあの時の恐怖が蘇り、震える喉が声を出すことを拒む。必死で声を出そうとする私の意思に反して、擦れた小さな吐息のような音しか出なかった。


「執事……か? わかった」


 旦那様が動いた。執事に部屋から退室しないよう命じ、屋敷の警護に当たる者を呼びに行かせる。騎士様が数名、それから衛兵が十名ほど。あっという間に駆けこんだ彼らによって、執事は確保された。逃げようともせず、無実を叫ぶこともなく連れていかれる彼の顔を、恐ろしくて見ることが出来ない。


 冷やすためのタオルを当てた奥様の足首が、ひどく熱かった。そこへようやくお医者様が到着する。大量の汗をかいた奥様のご様子に、毒を疑ったお医者様が診断を始めた。数枚の薬草を取りだし、奥様の吐息や汗に当てる。一枚だけ、色を変えた。


「毒の種類が分かりました。飲食で? それとも傷口から?」


 胃から吸収されたのと、傷から直接入ったのでは毒の強さが違うと説明するお医者様に、私は声を上げた。


「ここです。奥様は倒れる前に左足が痛いと仰いました。ここが傷口ではないでしょうか」


「見せて! ……確かにここです。この状態なら間に合う」


 お医者様は初老の男性ですが、優しく奥様の左足の傷を確認して微笑む。その余裕がある姿に、奥様は助かるのだと実感できて……涙が零れた。痛むであろう左足の紫に腫れた肌を、お医者様がさっと切開する。溢れる血で中に入った毒を洗い流すと説明を受けていても、恐ろしい光景だった。


 がくりと膝を突いて床に崩れた旦那様が、大きく息を吐いて顔を両手で覆う。血で赤く染まった奥様の足を支える私は、傷を洗ったお医者様の手伝いを続けた。冷やしたタオルで何度も血を拭い、桶の水が赤くなって底が見えなくなる頃、傷の縫合が終わったみたい。


 鞄からいくつかの粉薬を取りだして並べ始めた。


「煎じた薬を一日二回、必ず服用させること。水分は欲しがらなくても大量に与えて。体内から洗い流す必要があります」


「はい。ありがとう、ございました」


 震える声で礼を言った私の頭をぽんと叩いたお医者様は、まだ愛用の鞄を床に置いたまま。片付けに動こうとしたところで、穏やかに指摘された。


「その足、折れていないと思うが……ヒビが入った可能性はある。治療するから見せなさい」


 お医者様の指さす先、私の右足が青紫に腫れていた。奥様の時ほど膨らんでいないが、お医者様の手が触れると飛び上がるほど痛く……顔を顰める。数か所を押して確認し、硬い布で幾重にも固定された。これでは歩くのがやっとだ。


「あの、もう少し緩く出来ませんか」


「治らなくなるぞ」


 ぴしゃんと言われ、諦めるしかなかった。奥様もしばらくはベッドの上だし、大丈夫よね。そうでないと不安で眠れなくなりそうだった。


「助かった、礼を言う」


「いえ」


 短く旦那様に答え、一礼して奥様の側に戻る。扉が開いて閉まり、お医者様と一緒に皆が出て行ったのだと思った、だから呟いたのに。


「この屋敷から早く逃げ出さなくちゃ……」


「今、何を?」


 びくりと肩を震わせる。視線を上げた私の前に眠る奥様、その向かい側に顔を強張らせた旦那様がいた。

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