第八話 初恋の彼女

PV4000記念

多分、今回が一番重い話かな?

――――――――


 今日も今日とて、食堂に行く。

 焼き魚の定食と唐揚げとポテトフライを注文して、数也達が待っている机に移動する。

 俺以外は既に揃っていたみたいだ。

 俺が座ると、一夏達がサッと引っ付いてくる。

 数也も慣れてしまったのか、全く気にしていない。

 慣れって怖いなと思いながら、俺は話を始める。


「今日は五葵の話だったよな。引っ越しの挨拶で、俺が隣の家に行ったときに五葵と俺は再会した。五葵は最初は分からなかったみたいだが、俺の方は一目で五葵だと分かった」


 俺が初めて会ったから、当時、そして今もほとんど変わっていないように感じる。

 勿論、身長は高くなってはいたし、体つきも女性らしいものになっていたが、纏う雰囲気と言うのだろうか? 彼女から感じる印象が同じで、すぐに分かった。

 今は昔よりも、少しだけスタイルが良くなったか? 四姫と同じくらいの大きさに見える。

 今でも運動は続けているみたいで、健康的な日焼け跡がまぶしい。

 首に下げているのは、俺がプレゼントした、葉っぱ型の飾りがついたネックレスみたいなものだ。

 とはいっても、大した出来のものではなく、紐に通されたようなシンプルなデザインだが。

 運動の邪魔になるからか、髪は後ろでくくられている。ポニーテールだ。

 相も変わらず、薄着が好きなのか短パンに肩出しの服を着ている。


「五葵の方は性格の違いなのか、体格の違いなのか、なんなのか分からなかったが、昔と大分変わった俺のことが分からなかったみたいで、俺が名乗るとようやく思い出したみたいだった。その後、驚きながらしげしげと体を観察されて少し恥ずかしかった」


 まあ、自分でも相当変わっているとは思っていたから、甘んじて受け入れたがと俺は言う。


「その後、彼女はよく家に来るようになって、彼女は持ち前の明るさで母さんの心を開いていった。そして、ついには彼女と一緒にだが、母さんが料理を作る日もちらほらと見かけるようになった。きっと俺ではできなかった」


 彼女が居なければ、母さんは今でも閉じこもっていたかもしれないなと俺は自分の力不足を嘆くように呟く。


「彼女にあてられて、俺も意識が変わってきた。今までは母さんの負担にならないように、出来るだけ俺と叔父さんだけで家のことはやっていたし、大きな声を出さないようにしたり、会話の時も気を使っていた」


 だけどと俺は続ける。


「彼女が現れてからは、家の中に笑顔が戻った。母さんに必要だったのは、はれ物に触るように扱う事じゃなかった。周りが沈んでいれば、母さんだって元気がなくなる。そんな簡単な事さえ、俺は分かっていなかったんだ」


 それに気付かせてくれたのが彼女だったと俺は話す。


「俺は彼女となら幸せになれるんじゃないかと希望を抱いた。今までの事がすべて、彼女らにあったわけではなく、むしろ被害者だったことも分かっている。俺が彼女たちを見捨てなければ、もっと彼女たちも俺も幸せになれたんじゃないかと思ったことだってある」


 でもなと俺は繋げる。


「それでも俺は見放したんだ。俺の心が彼女らを受け入れられなかった。そして、俺の何かが揺らぎ始めているのを自覚していた。彼女なら、俺に足りなかったものを教えてくれた彼女なら、俺から溜まった膿、澱みのような感情を取り除いてくれるのではないかと、そう期待したんだ」


 それに、俺は彼女に会って、母さんを助けてもらって、彼女の笑顔に触れ続けて、彼女に惹かれていたと告白する。


「彼女は俺の告白を受け入れてくれた。凄い軽い感じのオッケーだった。彼女にとって、付き合うという事は今までの事の延長線上にしかないようだった。幼馴染の家に言って、幼馴染やその母親と仲良く話したり、遊んだりする。それの少し踏み込んだものでしかなかったのだ」


 まあ、つまるところ……彼女は恋を知らなかったと俺は纏める。

 数也達は驚きの表情を浮かべて、五葵を見る。

 彼女は少し照れくさそうに、頭をかいた。

 彼女が今までで一番、俺の話を聞いても堪えていなさそうなのは、本人の気質もあるだろうが……最も大きな理由は、一番、俺からの拒絶が少なかったからだろう。


「それでも俺は良かった。時間をかけて、彼女に俺を好きなってもらえればいいと思っていたから。そんな矢先、母さんに出会いがあった。叔父さんの知り合いの男性を紹介されたんだ。彼は叔父さんからの信頼が厚いようだった」


 それに彼は優しかったと俺は話す。


「母さんにもよくしてくれていたし、五葵にも親切だった。でも、俺は彼をあまり、受け入れられなかった。彼の目に、見定めるような、嘗め回すような、そんな光がよぎったように感じることがあったから。だが、俺以外はそれを全く感じていないみたいだった」


 俺は自分の感覚を信じるべきだったと悔恨の念に苛まれる。


「結局、俺は彼を信じることにした。父さんを選んだ母さんの目は確かだと思ったし、叔父さんがそこまでの信頼を預ける人が悪い人だと思いたくなかった。それに、彼女の本質を見抜く目とでもいうのか、直感的に正しい選択をすることが多かった彼女の感覚が何も訴えてこないことが決め手だった」


 それから数週間、母さんは再婚したと俺は言う。

 数也達はさっきまでの俺は話で、祝福していいものなのか悩んでいるようだ。


「彼はいい人だった。すこし太っていたが、体力はあったし、家事もしてくれた。不眠症だという話だったが、睡眠薬を処方されてからは眠れるようになって、何も憂いはないように思えた。でも、俺はやはり彼に引っかかるものを感じていた」


 それでも、何か事件が起こるわけでもなく、平穏に日常は過ぎていき、俺が転校先の学校で部活に入り、夏の合宿に行くことになったと俺は説明する。


「彼はいい人だった。俺もこの頃には、彼を信用し始めていた。まだ忌避感はあったが、俺のトラウマが感じさせたフラッシュバックのようなものだろうとあまり気にしなくなっていた。彼女は学校が違ったから、一緒に行くことはできなかったが、母さんと彼がいるなら、俺がいない間位は大丈夫だと思っていた」


 それが間違いだったと俺は語る。

 五葵は一言もしゃべらず、じっとしている。

 流石に、全く気にしないというのは厳しいようだ。


「俺は帰ってくると、猛烈な違和感に襲われた。彼に感じる嫌悪感が増えていたからだ。俺は不思議だった。ここ何か月も、彼に感じる気配は一切変わらなかったのに、ここにきて急変したのだから。」


 そして、彼女が家に来る回数も減ったように感じたと俺は話す。


「でも、俺が用事で家にいないときに、彼女は何回か家に来ているようだった。母さんが回復した以上、彼女の訪問が減ってもおかしくはないし、俺がいないときばかり家に来ているのだって、タイミングもあるだろう」


 俺はそう、無理矢理に納得したと言う。


「彼女が家に来ていた日に限って、彼から感じる嫌な気配が増していたのだって、気のせいだと思っていた。いや、思わざるを得なかったというのが正しいと思う。それを認めてしまえば、俺は取り返しがつかないと、そう無意識のうちに理解していたんだろう」


 俺は必死に現実から目を逸らし、日々を過ごしていたと俺は自嘲する。


「しかし、臭いものに蓋をするなんて方法では、いつかどこかでボロが出る。それは分かっていた。しかし、それでも俺は事実を直視しなかった。そんなある日、俺は奇妙な物音に目を覚ました」


 それはまるで、肉がぶつかり合っているような音だったと俺は当時の状況を説明する。


「当時に水音を様なものもしていた。少し粘着質な音だったが、そもそも俺の部屋で、水音がするわけがない。俺は幻聴だろうと結論付けて、布団を深くかぶりなおそうとした」


 でもと俺は続ける。


「布団がズッシリと重いことに気が付いた。まるで濡れているみたいに。不思議に思って、手を顔の前に持ってきて、薄目を開けてみてみると何故か手がびっしょりと何かの液体にまみれていた」


 そしてと俺は繋げる。

 そろそろ五葵が登場するので、そっと五葵の様子をうかがってみると……残念ながら彼女も一夏達と同じことをしていた。

 一つ違うのは、玩具を持参していることだろう。

 何でだよと思わず心の中で呟く。


 三澪も、五葵もなんで我慢しようという発想がないんだ……。


 理解できる気がしない問題に、俺は早々に思考放棄した。


「その衝撃で段々頭がはっきりしてくると、耳に嬌声が入ってくるようになった。それはひどく聞き覚えがあるものだった。次第にその声が判別できるようになってきた。男一人と女が、俺の耳はそう聞き分けた」


 数也達を見ると、唖然とした表情をしていた。

 まさか、ここまで大胆、いや馬鹿な真似をするとは予想もできなかったのだろう。

 俺も、完全に予想外だった。

 過去四回の経験で、そんな舐めた事をした人は誰一人としていなかった。


「俺はそのまま気付かないふりをしていたかった。このまま、眠りに落ちてしまえば、朝には何もかも元通りで日常は壊れないのだと、俺の何かが壊れることはないのだと、そう考えていた」


 だけどと俺は言う。


「そんな俺の意思に反して、手は下がっていき、瞼は少しずつ開いていった。まだ暗い部屋の中、瞼が開ききってもすぐには見えない。俺の目が少しずつ、少しずつ暗闇に慣れていき、ついに部屋の中がはっきり見えるようになった」


 そこに広がっていたのは……と俺は言葉を溜める。


「地獄だった。俺の部屋にはところどころに潮がまき散らされ、俺のベッドの上では白濁した彼女と彼が絡み合っていた。横には母さんが全身を汚した状態で倒れており、どうやら三人で致していたようだった」


 俺はそこまで状況を確認すると、ゆっくりと視線を彼女たちに戻したと話す。


「彼は俺が目覚めたのを見ると、ニヤリと笑って勝ち誇ったように話しかけてきた。彼が何を言っていたのかはほとんど覚えていないが『お前のようなガキと付き合うなんてもったいない』とか『大人の魅力を教えてやった』とか言っていたような気がする」


 そこでいったん言葉を止める。

 ここからが俺という存在において、もっとも重要な分岐点とも言っていいところだ。

 俺は深呼吸し、落ち着いてから話を再開する。


「彼女は嬌声を上げながらも、俺に謝ってきた。『ごめんね。私は零夜じゃなくて、この人が好きになったんだ』と。俺はそれを聞いた瞬間ブツッという音を聞いた気がした」


 何が起きたのか、俺も正確には理解していないがと前置きをしてから話す。


「父さんを亡くし、不安定になっていた俺の心は、罅と言う形で限界を訴えていた。俺の初恋を穢され、汚され、俺の根幹が揺らいだ。その振動は俺の心に決定的なダメージを与えて、俺の罅は広がり――俺の中の何かが決定的に欠落した、そんな音がした」


 そしてと俺は続ける。


「彼は彼女に『お情けだ。抱かれてあげればどうだ』と言った。彼女はそれを承諾し、俺の上にまたがった。俺は抵抗する気すら起きなかった。まだ、ショックが抜けきっていなかったからだ」


 それから数分後と俺は繋げる。


「彼女は俺の上でつい先刻までよりも大きな、嬌声を上げていた。彼はそれを信じられないという目で見ていた。理解できないとばかりに首を振り、じりじりと後ずさっているのが見えた。そして、彼は悲鳴を上げて家を出て行った」


 翌日、俺が起きると机の上に紙が置いてあったと話す。


「それは彼の分の必要事項が書かれた離婚届だった。震える手で書いたのか、自が所々歪んでいるが、確かに彼の字で記入されたものだった。叔父さんに彼の行方を聞いてみると、数日後に、彼が消えてしまったという事を聞いた」


 俺は彼を取り逃してしまったことを悔やんだが、だからといって彼を捕まえられるような手段があるわけでもなかったと言う。


「仕方なく、俺は彼のことを忘れることにした。そもそも、それどころでもなかった。目覚めた母さんは、離婚届を見て狂ったように叫んだ。しばらくすると、落ち着いてきて、いつも通りの様に俺を学校に送り出してくれたが、俺は母さんのことが気掛かりで勉強に身が入らなかった」


 案の定だったと俺は語る。


「俺は、家の前で張り込んでいた彼女を追い返して、帰宅した。彼女がインターホンを鳴らしていても、反応がなかったことが俺の不安を掻き立てた。机の上には紙が増えていた。離婚届には母さんの字が書きこまれており、近くにはひたすらごめんなさいとだけびっしりと書きなぐられた手紙のようなものがあった」


 母さんが再び、部屋に籠り切りになってしまったと俺は説明する。


「彼女に再びどうにかしてもらおうと、吐き気を堪えて、家にあげても大した効果は出なかった。彼女が前よりも俺への執着に意識を傾けていたせいもあるのかもしれなかったが。幸いにも、扉の前に食べ物を置いておけば次の日には消えていたので、俺も叔父さんもそこまで深刻にはとらえていなかった」


 今思えば、あの時に扉をぶち破ってでも母さんを連れ出しておくべきだったと俺は自責の念を滲ませながら言う。


「俺が異常に気が付いたのは母さんが引きこもってから、一か月ほど経ったときだった。家に帰ると腐敗臭のようなものが俺の鼻を刺激した。俺は不思議に思った。朝にゴミを出しに行ったばかりだったからだ」


 少し考えても分からなかったから、俺は臭いがより強くなる方向に歩いて行ったと話す。


「すると、母さんの部屋の前から臭いが漂ってきているような気がした。まさかと思った。しかし、それなりに五感は鋭いつもりだったので、扉越しに耳を澄ませてみた。だが、生活音らしきものが何も聞こえてこない」


 いよいよもって、俺は不審に思ったと語る。


「最近、母さんの部屋の前のご飯が消えていないことを思い出した。一週間か、もう少し短かった気がする。変に思いつつも、そのうち空腹に耐えらえなくなるだろうと考えて、放置していた」


 俺は脳裏に浮かんだ想像を振り払うように頭を振ったと言う。


「しかし、嫌な予感は収まらず、叔父さんの帰宅まで待てる気がしなかった俺は隣の家に駆け込み、彼女に扉を開けるのを手伝ってもらった。俺ほどではないが、彼女も体を鍛えていたので、扉をぶち破ることができた。ドアが開いた瞬間にブワッと臭いが強くなる」


 そして、目にした光景に俺は、咄嗟に五葵の目をふさいだと語る。


「母さんがいた。どこから入ってきたのか、ハエが死体にたかり、そばにあった腐った料理にも集っていた。器を見る限り、一切食事に手を付けた痕跡がない。壁一面にはびっしりとごめんなさいと言う言葉だけが書かれていた」


 俺は彼女の目を覆ったまま、後ずさりして扉を閉めたと話す。


「そのまま、うっすら状況を察しているだろう彼女を家に帰して、俺は叔父さんに電話をした。叔父さんに繋がったと思った瞬間、俺は言葉を纏めることもできずに、捲し立てるように家に広がっていた光景を説明した」


 その途中で、脳裏に母さんが浮かぶと耐えきれずに吐いてしまったがと出来るだけ、平坦にいう。

 そして、水を口に含み、落ち着こうとする。

 もう、結構な年数が経っているが、今でも思い出すとキツイものがある。

 数也達が心配そうに見つめる中、俺は大丈夫だと発して、話を続ける。


「叔父さんはすぐに飛んできてくれた。そして、部屋の中の惨状を見ると、ウッと口を抑え、目からはボロボロと涙がこぼれていた。しばらく、叔父さんは母さんに懺悔するように自分を責めるような言葉を発していた。その中にはあの男を連れてきた責任を感じているようなものもあった」


 だけどと俺は続ける。


「それは決して叔父さんのせいではなかった。すべては奴が責任を負うべきものであり、百歩譲って、俺が負うべき罪だった。俺は座り込んだ叔父さんの背中をなで続けた。空が暗くなり始めたころ、叔父さんはもう大丈夫だと言って立ち上がった」


 それからはあっという間に過ぎていったと話す。


「母さんの葬式が終わり、母さんが使っていた部屋は誰も近寄らなくなっていた。叔父さんも俺も暗黙の了解のうちに、母さんの件には触れないような空気ができていた」


 叔父さんのダメージは大きそうだったと俺は語る。


「母方の祖父と祖母は元気で、叔父さんにとっては肉親の死というものに初めて直面したからだったからだろう。それに比べて、俺の精神的なダメージは少なかった。肉親の死が初めてではなかったというのもあるし、理不尽に大切なものが奪われる悲しみも知っていたから」


 でもと繋げる。


「それでも、俺は悩んだ。俺は果たしてこんなに冷たい人間だったかと。母さんとの思い出が目に付くたびに、俺のショックの小ささに葛藤した。そして、その鬱憤を晴らすように、俺は荒れていった」


 そんな時に出会ったのが、砂土さど六華りっかだったと俺は言う。


 ふうと息を吐いて、水を飲む。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る