隣家の桐花

靣音:Monet

前編

「おはよ」


「あ、おはよう」


 玄関を出たところで、隣家の桐花とうかに会った。こんな時間に顔を合わせるのは珍しい。


「今日は遅いな。遅刻すんじゃねえの?」


「今日はゆっくりでいいの。智也ともやの高校は近くで楽そうね。じゃ」


 そう言って桐花は駅の方へと歩き出す。俺は自転車の鍵を開け、駅とは反対の方へとこぎ出した。



 桐花の家族は、俺が小学3年生の時に隣に越してきた。


 桐花が俺と同じ小学3年生、桐花の弟の悠人ゆうとが小学1年生。それに、小学5年生だった俺の姉、亜由美あゆみを交えた4人は、すぐに仲良くなった。

 

 そんな俺を羨ましがるクラスメイトは多かった。桐花はまるで子役タレントのような可愛い見た目で、引っ越ししてきた途端に人気者になったからだ。


「智也と桐花は好き同士なんだって! だから、いつも一緒に遊んでるらしいぜ!」


 羨ましいからなのか、ただイジりたかっただけのかは分からないが、そんな事をよく言われた。だが俺は、嫌がる振りをしつつ、内心は喜んでいた。


 そう、他のクラスメイト同様、俺も桐花に好意を抱いていたからだ。


 桐花と弟の悠人は、俺たち姉弟と違ってしっかりした子供達だった。帰宅時間はいつもキッチリ守ったし、喧嘩があってもその理由は大抵の場合、俺たち姉弟にあった。


 時には桐花の親から苦情が来ることもあった。


「智也くんが悠人のおもちゃを持って帰ったまま、返してくれないって言ってるんですが。智也くんとお話させて頂けますか?」


 こんな具合だ。


 その場で桐花の母親と一緒に来ていた悠人に謝り、その後は俺の親にみっちりと叱られた。


 そんな事があっても俺たちはよく遊んだ。だが、姉の亜由美が同級生達と遊ぶ事が多くなり、それに合わせるように俺たちも次第にバラバラになった。



 そして、そんな俺たちも高校生になった。


 桐花は地元で有名な進学校、それに比べて俺は評判の良くない、俗に言う底辺校に通っている。

 

 いつも一緒に高校に行っている、浩介こうすけの家のベルを鳴らす。俺が迎えに来る頃には玄関に出てろと言っているのに、浩介が待っていた試しは無い。


「おはよー、お待たせお待たせ」


「お前さあ、俺ん家に迎えに来るくらいの気合い、一度でいいから見せてみろよ」


「まあまあ。お前ん家、高校と逆方向だし効率悪いじゃん。明日はちゃんと待ってるからさ」


 いつもこんな調子なのだが、不思議と憎めない奴だったりする。




「智也、今日は持ってきただろうな、卒アル」


 学校に着くなり、宏人ひろとに声をかけられた。俺と浩介と宏人。俺たちはたいていの場合、この三人でつるんでいる。


「持ってきた持ってきた。休み時間にな」


 浩介のせいで、今日も学校に着いたのはギリギリだ。着席するのと同時にチャイムが鳴った。


 1時間目は数学だった。先生の声より、生徒達の私語の方が大きい。普段通りの、ざわついた教室。先生は気にする事も無く、淡々とチョークを走らせていく。俺の開きっぱなしのノートは真っ白だ。いつもと同じように、時間だけがダラダラと過ぎていく。


 俺は何のために学校に来ているのだろうか。



「どれどれ、見せてもらいましょうか、智也んとこの卒業アルバム」


 休憩時間になり、浩介と宏人が取り合うようにアルバムを見始める。


 男子校の俺たちにとっては、こうやって中学の時の卒業アルバムを眺めては、「この子可愛い!」「そっちの子の方が可愛い!」などと言い合うのが楽しみなのだ。隣のクラスの誰々は卒業アルバムがきっかけで、付き合い始めたと聞いたが、本当かどうかは分からない。


「浩介とこの中学はレベル低かったからなあ。智也んとこもダメだったら、出会い系サイトしか残ってないなあ」


 宏人は大人びた事を言いたがる癖がある。好みの子を見つけたとしても、声を掛ける勇気があるとは思えないが。


「お。この子、超可愛いじゃん! ちょっと真面目そうだけど」


 宏人が指さしたのは桐花だった。


「あー……幼なじみだ。俺ん家の隣に住んでる」


「マ、マジで? よく話すのか?」


「話したり一緒に遊んだのは小学生の頃までだな。中学の時なんか、殆ど口も聞いてない」


「そうなんだ。一度声かけてみてよ、智也」


「マ、マジで言ってる!? あいつ、マリン女子学院だぜ。全然、話し合わないと思うけど」


「関係ねえって。賢くても強い奴になびく女って結構いるんだよ」


 強い奴って、一体誰の事だよ。


 ラインも知らないし、話す機会も無いと断ったが、宏人に押し切られて桐花に声をかけると約束してしまった。




 隣家に電話するのも変だと思った俺は、夕食を済ませた後、桐花の家のインターホンを鳴らした。


「夜分すみません。隣の福井です。桐花さんいますか?」


「ちょっと待ってくださいね。今行きます」


 インターホンでそう答えたのは、桐花の母親だろう。俺はしばし待った。


「智也くん、お久しぶり。桐花に何のご用かしら? もしかして、最近よく会ったりしてるの?」


 出てきたのが桐花の母親だったので、俺は少々面食らった。桐花も母親の後ろから顔を出した。何故か桐花は、険しい顔をしている。


「い、いえ、全然。今朝、久しぶりに挨拶交わしたくらいです」


「本当に? 学校から電話があって、桐花が学校に来たのは昼過ぎだって言われたんだけど、智也くんは関係ないのかしら?」


「や、やめてよ、お母さん! 智也は全然関係無いんだから! 家に戻ってよ!」


「あなたが無断で遅刻なんかするから悪いんでしょ! こんな時間から家を出させませんからね!」


「あ、桐花のお母さん、俺の話は5分もあれば終わるんで、場所もここで大丈夫なんで」


 俺がそう言うと、桐花に「5分だけよ!」と言い残して、桐花の母は家に戻っていった。


「ごめんなさい、智也……私が無断で学校に遅刻したから、凄く怒ってるの。智也は何の関係も無いのに、ホントごめん」


 桐花は小さく頭を下げた。


「いや、大丈夫。……それよりさ、話長くなるかもだから、ラインで話ししようか。今、スマホ持ってる?」


「あ、あるよ、ちょっと待ってね」


 桐花がポケットからスマホを取り出し、ラインの交換を済ませた。


「じゃあ、詳しくはライン送るから。……それにしても、桐花がサボったりするんだな。ハハハ、俺ちょっとビックリしたよ」


 桐花の予想外だった行動に思わず笑ってしまった。桐花に笑顔を向けたのなんて何年ぶりだろう。


「ずーっと真面目にやってきたのが、今になって疲れてきちゃったのかな……親に怒られるなんて久しぶりだった」


 そう言って桐花も笑った。


 続きはラインで、と俺は隣の家に戻った。


 今朝会った時の桐花は、既に遅刻する気だったんだ。桐花は午前中、何をしていたんだろう。



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さっきはどうも。早速だけど、桐花って付き合ってる奴っているの?

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居るように見えないでしょ? いないいない。そもそも男子と付き合ったことなんて無いよ

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 いや、桐花に彼氏が居ないなんて、キッカケが無いだけの事だ。久しぶりに見た桐花の笑顔に、俺は少なからずドキッとした。


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実はさ、中学の卒アル見た俺の友達が、桐花に声かけてくれないかって言われてさ

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やだやだ、そんなの。卒アル見て声かけてくる人とか絶対イヤ

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 何故か、ホッとした俺がいた。


 宏人と桐花が合うとは思わなかったし、知らない奴ならまだしも、宏人と付き合うのは何か嫌だった。


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OKOK! 多分、性格も合いそうにないし、良かったと思う

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何でそんな人紹介しようとしたのよ・笑

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確かにw

言いたくなかったらいいけど、午前中ってサボってどこ行ってたの?

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どこって訳でもないの。「みんなは今、勉強や仕事してるんだなー」って思いながら、じーっと人混み眺めてたの。ちょっと病んでるのかな、私・笑

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勉強しすぎでストレス溜まってるんじゃない? たまには息抜きしないとダメだぜw

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智也はどうやってストレス解消してるの?

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俺は好き勝手生きてるから、そもそもストレス溜まってないなw

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 そんなやりとりを、延々と1時間も交わした。


 桐花は中学の頃から常に成績が良く、志望校にも無事合格した事で、気が抜けたのかもしれないと言っていた。部活やバイトにも憧れがあるみたいだが、桐花の母親が許してくれないようだ。


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桐花に悩みなんて無いと思ってた。賢いのは賢いので色々と大変なんだな

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賢いって、勉強頑張った結果なだけだよ。智也だって勉強すれば出来るのにしなかっただけでしょ? 私からすればちょっと勿体ないな、って思ってたけど

って言うか、悩み無い女子高生なんてどこ探しても居ないと思うよ・笑

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 「智也はやれば出来るのに」


 殆ど会話を交わさなかった中学生の時に、桐花から言われた事がある。答えが分からなかったテストの解答欄に、ふざけた解答を書いて周りに見せびらかしていた時だった。


 みんなが笑っている中、桐花だけが厳しい顔でそう言ったのを思い出した。


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じゃ、そういう事で! またサボりたくなったら相談しろよw

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ありがとう。頻繁にラインしても怒らないでね・笑

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 8時過ぎから始めたラインだが、終わる頃には11時を回っていた。

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