座敷わらし

きもと じゅん

第1話

 都会の片隅の夜の公園・・・。住宅街の一角の、砂場と滑り台、そしてブランコだけの小さな公園・・・。深夜のアルバイトを終えたあなたは、公園の傍らを肩をすぼめて家路を急ぐ。その時一陣の風が吹き、あなたの足元の枯葉が舞い上がる。公園の方からキキッと軋む音が聞こえ、あなたはブランコが揺れているのに気付く。

 二つあるブランコのうち一つだけが、誰も乗っていないのに小さく揺れている・・・。こんな寒い夜更けに誰かいる・・・、不審に思ったあなたは辺りを見回すが、薄暗い街灯に照らされた公園に人影は見当たらず、人が隠れるような所もない・・・。ブランコは止まるどころか更に勢いを増して揺れている・・・。

 でも怖がらないで下さい。ブランコに乗っているのは私です。あなたに気付いて欲しいと、見つけて欲しいと思っているのです・・・。


 寂れたアパートのワンルームの一室。辺りはすっかり寝静まり、物音一つ聞こえない。あなたは、少し罪悪感を感じながらも、スマホ片手にカップ麺を啜る。啜る音が妙に部屋中に響き、あなたはふと箸を止める。そして小さなクマの縫いぐるみと目が合う・・・。コタツの端にちょこんと座り、あなたを見つめている・・・。五年前に買ったお気に入りのぬいぐるみ。しかし、この縫いぐるみはずっとベッドの枕元に置いており、いつもあなたが抱いて眠っている・・・。それに帰って来た時にも、ベッドにバッグを放り出し、「ただいま」と確かに言った・・・、絶対に動かしてはいない・・・。

 でも怖がらないで下さい。私がイタズラしてのです・・・。ベッドの横に私はいます。あなたに気付いて欲しくいと、遊んで欲しくいと思っているのです・・・。


 森の中に佇む木は、自分が「木」であることを自覚しているのでしょうか。千年も二千年も聳え立っている巨木でさえ、周りの木々や草花が幾度となく花を咲かせては散り、枯れては芽を吹き、朽ちては育って行くのを見ていても、自分が「木」であることを意識したことはないような気がします。

 私もそうでした。人々の生死を数え切れない程見てきて、幾度となく人々の話に耳を傾けても、私が何なのか、何者なのか考えたこともありませんでした。


 いつも私は人々の間にいました。気付かぬうちに見知らぬ土地にいて、見知らぬ町の、名も知らぬ人々の間にいました。しかし私に気付く人は誰もおらず、私の傍らを通り過ぎて行くだけでした。人々の話し声は聞こえても、私の声は誰にも届きません。でも、そのことを不思議だと思ったこともありませんし、それが当たり前の事だと思っていました。

 それに私は人に触れることも、モノを動かすこともできませんでした。暑さや寒さも感じません。お腹が空くこともありません。そういう事もずっと当たり前だと思っていました。


 それがふと自分が何なのか、何者なのかを意識することになりました。

 二百年程前のことでしょうか・・・、私はどこか小さな村の小さな神社の境内にいました。村の夜祭りの日です。境内には煌々と篝火が焚かれ、沢山の夜店も出ていました。私は境内の石段の傍らで、何気なく参拝で行き交う人々をぼんやり見ていました。

 私の前を通り過ぎる人々のお喋り、走り回る子供の声、モノを売る店の人の声、祭囃子・・・、私の周りは賑やかな音に満ち溢れていました・・・。その時でした。

 「何してるの、迷子になったの」優しい女の人の声でした。

 思わず目を上げると、村人とは明らかに違うきれいな女の人が、じっと私を見ていました。境内の灯りの全てが注がれているように眩しく輝き、あでやかな着物がよく似合い、その女の人がとても美しく見えました。そして良い香りもその女の人から立ち昇っていました。

 「大丈夫?おうちの人は」もう一度声がしました。

 私の横には誰もいません。間違いなく私に話し掛けているようです。どぎまぎしながらも何か言わなくちゃと思いましたが、声になりませんでした。

 女の人が振り返り、隣の男の人に、「この子迷子かしら・・」と言いました。背の高いお侍さんでした。ところがそのお侍さんは不思議そうな顔で、女の人に何か言いました。恐らく「誰もいない」と言ったのだと思います。女の人が「うそ」と言って、もう一度私の方を振り返りました。そして驚いた表情で「うそ、さっきまで小さい女の子がいたのに・・・」と着物の袖で口を押え、そう言いました。

 私はずっとその場にいました。しかし女の人にはもう見えなくなってしまったようです。女の人は不思議そうに辺りを何度も見回していましたが、やがてお侍さんに促されるように立ち去って行きました。

 ようやく私も落ち着くと、何が起こったのかとても気になりました。女の人に私が見えたとしか考えられません。それもほんの一瞬のようですが、確かに女の人に私が見えたようです。

 私が見える人がいた・・・、初めての経験で全くの驚きの出来事でした。そして驚きと共に、何故か嬉さもこみ上げて来ました。そしてこの時からでしょうか、自分のことを意識するようになりました。


 それから徐々に私が見える人が増えて行きました。しかし、最初の頃は少し怖がった表情で立ち去って行くばかりでした。幻か何か、信じられないもの見たように、はっと息を飲み立ち去って行きました。それでもいつしか、夜になると優しく声を掛けてくる人が増えて行きました。

 「迷子になったの」、「どこから来たの」、「お母さんはどこ」・・・

 いつも私の様子を心配してくれているような言葉です。それも皆優しい表情で、窺うように私を見ています。女性の方がより多く声を掛けてくれます。しかし、何故か直ぐに私が見えなくなってしまうようです。連れの人に伝えようと、私からちょっと目を離している間に、私は消えてなくなるようです。

 「あれっ、さっきまでいたのに」、「あなた見えなかった?」、「いや、見えなかった」、「ホントに小さな女の子がいたんだってば」・・・そんな会話が続き、やがて不思議そうな顔でみんな立ち去ってしまいます。

 大人より子供の方が、それも小さい子の方が私がよく見えるようです。子供には昼間でも見えるようです。それに私を怖がることもありません。特に小さな子は嬉しそうに私に近寄って来ます。そして何故か子供の前では、私は消えることはないようです。迎えの人が来て立ち去る時も、何度も振り返り名残り惜しそうに手を振ってくれます。

 動物にも私が見えるようになったようです。犬以外は私に見向きもしませんが、犬は時折立ち止まってじっと私を見ることがあります。「おいで」と手を差し伸べますが、警戒しているようでそれ以上近づいてはきません。立ち去る時も何度も私の方を振り返ります。


 私は自分の姿を知りません。私の姿は水面にも鏡にも映らないのです。しかし、私に声を掛けてくれる人の言葉から、何となく私の姿は幼い子供の格好しているように思われます。話し掛ける時は大体しゃがみ込んで話をしますし、そしてほとんどの人が私が迷子だと思っているようです。

 女の子だと思われることが多いようですが、偶に男の子と言う人もいます。どちらにせよ私は人間の子供の格好をしていることだけは確かなようです。そのことも何故だかとても嬉しく感じました。

 

 それから百年程経った頃でしょうか、江戸から明治という時代に変わった頃に、こんなこともありました。

 どこか有名な大きな神社の近くの比較的大きな宿の二間続きの部屋に私はいました。そこには「おかみさん」と呼ばれる品の良さそうな女性が泊まり、宿の主人が丁重に挨拶をしていました。おつきの人も何人か隣の部屋に泊まっていたようです。

 夜になるとおかみさんは、沢山買った土産物の整理を始めました。手毬がその中にあったようです。私は部屋の隅にいたのですが、おかみさんの手からこぼれた手毬が私の方へ転がって来ました。思わず私はその手毬を、おかみさんの方へ手で押し返しました。いつもは手毬は私の手に触れることなく、壁際まで転がって行くのですが、この時は私の手に触れ、手毬はおかみさんの所まで戻って行ったのです。

 おかみさんは少し驚きましたが、部屋の奥に私がいることに気が付いたようです。そして気を取り直したように少し微笑み、手毬をもう一度私の方へ押し返しました。手毬が私の方へ転がってきました。私はもう一度押し返しました。手毬はおかみさんの所へ転がって行きます。

 「うふっ」と笑って、「遊んで欲しいのね」と言って、また、手毬を転がしてくれました。それから三度繰り返しました。

 最後におかみさんが「ごめんね、もうおしまい。この手毬は私の孫娘の為に買ったものなの。あまり遊ぶと孫娘に怒られちゃう」と言って手毬を行李の中に仕舞いました。

 手毬を仕舞いながら、「良かった、あなたがいてくれて」と言いました。それから、「あなたの噂は聞いたことがあるわ。座敷わらしを見た人は、みんな幸せになるって。あなたと会えるなんて、私は運が良いのね。きっとこれで私も無事に東京まで帰れるわ。本当にありがとう」おかみさんはそうも言ってくれました。

 寝る前には「おやすみ」と私に声まで掛けてくれました。とても嬉しくなり、わたしも「おやすみ」と言いました。 

 もしも私に母親がいるとすれば、おかみさんのような人が良いと思いました。そして、おかみさんが宿を出発する時、私はおかみさんの無事と幸せを必死で祈りました。人の為に幸せを願う、そんなことは初めてでした。


 そしてこの時から私は時折モノに触れることが出来るようになりました。花や木の枝、私が触れると小さく揺れました。誰もいない部屋の片隅で、おもちゃや人形に触って一人で遊ぶこともありました。

 この頃になると、更に私を見える人が増えていったようです。怖がられることも少なくなり、声を掛けられることも多くなりました。直ぐに消えてしまうようですが、それでも以前よりは気味悪がられることも少なくなってきました。

 中には「座敷わらしに会えた」と喜ぶ人もいます。そしてお菓子とかおもちゃをくれることもありました。勿論私はそのお菓子を食べることも、おもちゃで遊ぶこともできませんが、少しづつ私が変わっていくように感じました。

 しかし私は「座敷わらし」ではありません。いつもいつも同じ座敷や同じ場所にいる訳ではないのです。私は自分の居場所を自由に選べないし、また、自由に動くこともできません。私は自分の意思とは関わりなく急に居場所が変わり、風に流されるように居場所も変わります。人里離れた山深い集落から都会の雑踏に、暖かい海辺の漁村から雪に閉ざされた鄙びた一軒家に・・・、私は何かに引き寄せられるように漂っていました。


 私を引き寄せているもの・・・、それはいつも子供の死です。私の居場所が急に変わる度に、そこにはいつも子供の魂が彷徨っています。

 自分の死をまだ信じられないでしょうか、その場から離れられないようです。恐らく死が何なのかも理解できていないようです。戸惑い、恐れ、そして淋しさで途方に暮れていました。

 私はその子の魂に寄り添うだけです。慰める訳でもなく、言い聞かせる訳でもなく、その子の側にいるだけです。その子が全てを理解し、諦め、そしてあの世に旅立つまで、ずっと付き添っているだけです。

 その子を見送った後、暫くはその子のゆかりの場所を漂っています。その子が住んだ部屋の片隅、近所の家や公園、お寺や神社など、その子の短い人生を辿るように色んな所を訪れます。そしてタンポポの綿毛が風に飛ばされるように、やがて私もあてどなくさすらい続けます。次の子供の死に引き寄せられるまで・・・。


 多くの子供の死を見て来ました。病気だけでなく、不慮の事故、そして天災や戦争に巻き込まれて命を落としたり、飢饉で栄養失調で衰弱死したり、飢えて死んだり、不当に殺されるといったことも見て来ました。

 しかし、子供の死を嘆き悲しむ親や親族がいれば、子供はそれなりに安らかに逝くのでしょうか、私を引き寄せることはありませんでした。私を呼ぶのは、親や肉親の愛を知らずに、淋しく孤独に亡くなった子供達ばかりです。

 昔は飢饉や貧しさ故に仕方なかったのかも知れませんが、親に見捨てられ、食べる物もなく、泣く事さえ出来ずに死んでいく子供達が沢山いました。病気になっても、怪我をしても、看病も手当もして貰えず放置されたまま死ぬ子もいました。捨てられたり、売られることも珍しくなく、貰われた先で獣同然にいたぶられ、悲惨な死を遂げた子もいました。貧しい家だけでなく、裕福な家に生まれても、親の虐待、暴力で亡くなる子も数多くいました。


 世の中が豊かになると、そういう死は減ると思っていました。確かに病気や栄養失調で死ぬ子はほとんどいなくなりました。しかし、愛や温もりを知らず死ぬ子は後を絶ちません。むしろ増えたのではないかと思えます。

 今でも、大人の身勝手なエゴや怠慢で、子供は見捨てられ、餓死したり理不尽な暴力で今日も命を落としています。

 しかし親に愛されず、見捨てられた子だからといって、子供は必ずしも親を恨んだり、憎んだりしている訳ではありません。それより食べ物が与えられないのも、親に殴られたりするのも、自分のせいで、自分が悪いからだと思っています。

 私は子供の魂に寄り添い、安らかにあの世に旅立つのを見守るしかありませんでした。無垢で健気で、愛と温もりを知らない短い命を悼むしかありませんでした。もう少し生きたかったという儚い望みを聞くしかありませんでした。


 私は少しづつ分かってきたように思いました・・・。

 その子達の思いや願いを私に託し、その為に私は存在していると・・・。きっと、私はその子達そのものなのかも知れません・・・。

 私が見え、私を気遣って声を掛けてくれる人々の優しさ・・・、それは死んだ子供達には無縁の愛や温もりを感じさせるものでした。私を通してその喜びを感じていたのだと思います・・・。そしてもっともっと愛され、温もりに包まれたいという願いや思いが、私を変えていったのだと思います。私がもっと多くの人々に見えるように、もっと優しい言葉を掛けて貰えるように、そしてもっと触れ合えるように・・・。


 もう少しで私の声も大人の人に聞こえるようになったと思います。幼い子供には私の声は確かに聞こえていました。大人の人も、時折「今、何か言った?」と耳をそばだててくることもあります。私の声が聞こえ、会話ができるようになったら、私の世界はもっともっと変わり、大きく広がるに違いありません。

 私がどう変わっていくのか、私には想像も付きません。しかし、私が変われば、もうこれ以上愛や人の温もりや淋しさを知らずに死んでいく子はいなくなると思っていました。それが死んでいった多くの子供達が心底願っていたことですから・・・。

 しかし・・・。


 時代が変わり大きな戦争が起こると、世の中はすっかり荒廃してしまいました。人々には私に気付くような余裕はなく、私に言葉を掛ける人はほとんどいなくなりました。それは致し方のないことで、いずれ良くなると思っていました。

 しかし、戦後の混乱から回復し、昭和から平成、そして令和と時が移り変わり、世の中が繁栄し、人々が豊かになっても、人々の心にあの頃のゆとりや優しさは戻りませんでした。

 街は音と光で満ち溢れ、夜でさえ昼間のように明るくなり、テレビの音や音楽が夜遅くまで聞こえて来ます。スマホというのでしょうか、歩く人も手の中のスマホを見つめ、辺りを見る事さえ少なくなりました。人々は日々駆けずり回り、忙しく私の側を通り過ぎて行くだけです。表面は楽しそうに笑っていますが、心の奥底はどこか虚ろに見えます。いつもストレスを抱え、人に気遣うことも、優しくすることも出来なくなってしまったように思えます。欲望にまみれて身勝手となってしまったようにも思えます。


 優しい言葉を掛けてくれた着物姿の美しい女の人、私と手毬で遊んでくれた、あの優しいおかみさん、もう今はあんな人達はいなくなってしまったのでしょうか。もう誰も私に気付くことなく、語り掛けても来ないのでしょうか・・・。

 このまま私に気付く人も、言葉を掛ける人もいなくなると、私は一体どうなるのでしょうか・・・。今まで愛を知らず、人の温もりも知らず、淋しく死んでしまった子供達の思いや願いは、一体どうなるのでしょうか・・・。

 子供達の思いは私の中で重みを増しているのに、私の影は段々と薄くなって行くように感じます。私は消えてしまうのでしょうか・・・。それとも、まさか私も《あの子》のようになってしまうのでしょうか・・・。


 《あの子》にはつい最近出会いました。父親の虐待で死んでしまった幼い子に呼ばれた時です。

 私がその場に行った時、《あの子》が先に来ていました。子供を虐待死させた父親が倒れ、その上に《あの子》がいました。《あの子》の目は怒りで真っ赤に燃え上がっているようでした。恐ろしさに立ち竦みましたが、一目で「あの子」は私と同じだと分かりました。《あの子》も子供達の思いを背負っていました。

 「こいつの魂を食ってやった」《あの子》も私に気が付いたようです。

 「毎日のように殴ったり、蹴ったり、冷たい水を掛けて子供をいたぶっていた。こいつに同じ思いをさせてやる。生ける屍にして、死んでしまった子の痛みや苦しさを一生味合わせてやる」《あの子》はそう続けました。

 そして私の方に向かって「復讐するしかない。お前の気持ちも一緒だろう。子供に代わって復讐し、子供を大事にしなかった大人に後悔させるのだ。そうでもしないと今の大人は分かりっこない」そう言いました。泣いているようにも見えました。

 「・・・」私は何も言えませんでした。悲しくて《あの子》を見る事さえできませんでした・・・。

 気が付くといつの間にか《あの子》は消えていました。子供の魂も消えてしまい、私だけが一人ぽつんと取り残されていました。

 

 私もいつか《あの子》のようになってしまうのでしょうか・・・。確かに、私も子供を殺したり、死に追いやった大人に怒りを感じていました。しかし復讐や仕返しをしても、死んでいった子には何の慰めにもなりません。子供達も望んでいないと思います。

 それに《あの子》のようになってしまったら、もっと悲しくなりそうです。

 私は信じたいのです、人を、大人を・・・。子供を愛し、慈しみ、優しさや心の温かさをまだ信じていたいのです・・・。


 あっという間に陽が沈み、古びた校舎が闇に包まれる。やっと絵を画き終えたあなたは、一人美術部の部屋を後にする。廊下や階段に人の気配はなく、みんな下校してしまったようだ。あなたが下に降りると、さっきまで晴れていた空が雲に覆われ、雨が音を立てて振り始める。

 傘は持って来ていない。雲は厚く雨は暫く止みそうになく、濡れて帰るには家は遠すぎる。どうしよう・・・、職員室で傘は貸して貰えるのだろうか・・・。その時一本の傘が目に入る。傘立てに一本だけ傘が残っている・・・。

 《私の傘?》・・・三カ月前に買ったあなたの傘と同じ色、同じ柄・・・。しかし、その傘は先週の土曜日に友達と行ったファミレスに忘れ、まだ取りに行っていない。

 《明日返せば良いだろう》あなたはそう思い、その傘を借りて帰ることにする。そしてその傘を手に取った時、あなたは思わず目を疑う。傘の手元のシール・・・、それはあなたが目印で貼った、あなたのイニシャルが入ったシール・・・。

 そうです・・・、それはあなたの傘です。あなたに気付いて欲しくて、私があなたの為に持って来たものです・・・。

 私に気付いて下さい・・・、傘立ての横に私はいます。私を見つけてください・・・、そして私に声を掛けてください・・・。


 日付が変わる頃、あなたは明日のプレゼン資料を作り終える。オフィスにはもう誰も残っていない。大きく背伸びをし、あなたは帰り支度を始める。パソコンを閉じ、ファイルを仕舞い、入口の側の照明スィッチをオフにしようとした時、スマホの着信音が聞こえる。あなたのデスクの上で、スマホは三回だけ鳴って切れる。忘れていたことに気付き、あなたはスマホを取りに戻る。スマホを手に取り、あなたは着信履歴をチェックする・・・。そしてそのナンバーを見て、あなたは思わずスマホを取り落としそうになる・・・誰もいない、あなたのオフィスの電話番号・・・。

 怖がらないで下さい。私が掛けたのです。あなたがスマホを忘れたことを知らせたくて・・・、そして私がいることを知らせたくて・・・。

 私に気付いて下さい・・・。あなたのデスクの傍に私はいます。私を見つけてください・・・そして私に声を掛けてください・・・。

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