幻の団長


「というわけで、この子が新しいメイド候補ね。まだ正式雇用じゃないけれど、顔見知りぐらいにはなってあげて」

「よろしくお願いいたします」


 アシェルの言葉に合わせて、セイディは軽く頭を下げる。そうすれば、騎士たちが「よろしく~」「これから頑張ってね~!」なんて声をかけてくれた。そのため、セイディの気持ちは軽くなる。どうやら、ここはフレンドリーな場所のようだ。……まぁ、フレディの言う通り男所帯なので気をつけなければならないことも、多いのだろうが。


「じゃ、今日の連絡事項はこれで終わりね。あとはいつも通り自由にどうぞ。ただし、明日の朝の訓練には遅れないように」


 紙を見つめていたアシェルがそう言い終えれば、騎士たちは自由な行動を始める。あるものはデザートを食べたいと言い出したり、またあるものはこの後私室でカードゲームをするようだ。そんな各々の行動を始める騎士たちを見つめながら、セイディはふと気になってしまった。それは……王弟である団長の存在だ。


(そりゃあ、王弟殿下だとお忙しいとは思うけれど、今日一日お見掛けさえしていないわね……)


 王弟殿下の顔ぐらいならばまだ辛うじて……わかる。だからこそ、団長らしき人物と会っていないことはセイディにもわかった。この寄宿舎を取り仕切っているのはアシェルのようだし、もしかしたらあまり顔を出さないのかもしれない。だが、挨拶は礼儀の問題として大切だろう。


「アシェル様」

「どうしたの?」


 そのため、セイディは隣に立つアシェルに声をかけた。そうすれば、アシェルは表情を緩めてセイディに向き合ってくれる。その表情は美しい顔立ちと合わさり、今のアシェルは誰もが見惚れるような表情になっていた。


「団長に挨拶は……しなくても、よろしいのでしょうか? あ、お忙しいのならば別に構いません。暇だというときに、伺いますので」

「……いや、別に団長忙しくないよ」

「ですが、王弟殿下だと……」


 セイディはそう言ってアシェルの目をまっすぐに見据える。そんなセイディの言葉を聞いてか、アシェルは「……フレディから、聞いたの?」と問いかけてくる。そのため、セイディは静かに頷いた。その頷きを見てだろう、アシェルは「余計なことを言ったもんだね」なんて言いながら頭を掻く。


「団長は王弟殿下でまだ王族だけれど、王位継承権は放棄しているし、そんな重要な役割は持っていない。むしろ、騎士としての仕事の方が多いぐらい」

「……では、何故本日お会いできなかったのですか?」

「勝手にどこかに行って、帰ってこないから」

「……はぃ?」

「だから、今日の午前中から行方不明なの!」


 アシェルのその言葉に、セイディは絶句した。団長ともあろうものが、勝手にどこかに行くのだろうか。そもそもな話、行方不明で通じることがおかしいのではないだろうか。


「まぁ、どうせ狩りに行っただけだろうし、心配はしていないけれどさ」

「狩りって、危なくないんですか?」

「むしろ獲物が危ない」


 そう言うアシェルの声に、心配は全く含まれていない。ただ「はた迷惑だ」とでも言いたげで。しかし、アシェルは団長のことを「尊敬できる人物」だとも言っていた。……私生活は、かなり適当らしいが。


「そうなんですか。では、また今度で良いです」

「……食いつかないんだ」

「私、別に人間に興味はないので」


 きっと、アシェルはセイディが王弟殿下である団長にすり寄りたいとか思ったのだろう。だが、セイディは人間に興味はない。一度裏切られれば、トラウマを乗り越えるのは大変なのだ。……たとえ、セイディのメンタルが鋼で逞しいとしても、ちょっとは婚約破棄に堪えているのだ。……ほんの、ちょっぴりだが。


「裏切られたら、その分人間を嫌いになって当然ですよ。なので、私は人間に対して興味がありません」

「そう言うサバサバとしたところ、俺は好きだよ」

「さようでございますか」


 アシェルの言葉を適当に躱しながら、セイディは「そろそろ部屋に戻りますね」と言って大きく伸びをする。明日は朝から忙しいのだ。出来れば早めに眠り、明日に備えたい。元々朝は得意な方だが、それでも念には念を。


「分かった。じゃあ、ゆっくりしたらいいから。お休み――」

「――副団長!」


 アシェルがセイディを送り出そうとした時だった。不意に、一人の騎士が食堂に慌てて戻ってくる。それと同時に、アシェルを呼んだ。


「いや、どうしたの?」

「団長が、団長が! ドラゴンを、狩ってきちゃいました!」


 そして、その騎士はそれだけを叫ぶとふらふらと崩れ落ちる。それを、周りの騎士たちが慌てて支えていた。


「狩りに行っているんだろうとは思ったけれど、ドラゴン狩ってきちゃったんだ……」


 そんな騎士たちの様子を見つめながら、アシェルは露骨にため息をつく。セイディはその空気にたった一人馴染めず、「はて?」と頭の上にはてなマークを浮かべていた。

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