第17話 変化
「その娘に今から用がある。どけ。」
鍛え抜かれた事がありありと分かる均整のとれたその身体と、まるで彫刻のように整った顔立ちに浮かぶ青筋は相手を萎縮させるのに十分なものだった。マロは、圧倒的強者を思わせるその体躯に情けない声を出しながらさっさと逃げて行った。
「あ、あの、なんやわからへんけど、ありがとうございました。」
絳鑭は助けてくれたその貴族にお礼を言うと、さっさとその場を立ち去ろうとした。
「待て。」
呼び止められる理由が分からなかったが、害はないと判断して絳鑭は立ち止まった。
「先程の言はその場凌ぎのものではないのだ。本当に其方を養女にしたい。」
「はい??養女??あの、うちは奴隷ですよ??」
「あぁ、知っている。」
知っている、ということは奴隷でも構わないということだ。だがそれはありえないようなことなのだ。今まで貴族が奴隷を養女や養子に迎えたことはあっただろうか。いや、おそらくないだろう。働き蟻のように扱き使われ、奴隷をただの駒としか思っていない貴族が、跡取りにもなることのできる立場に元奴隷を入れるだなんて、前代未聞の事だ。にわかには信じ難い。
「先程の攻防戦、しかと見ていた。その運動能力、即時の判断。それは我が家でしか活かせないものだろう。どうだ、我が家の養女にならないか??」
しかめ面をしつつもその貴族には、他の貴族とは違って誠意が見えた。奴隷に対してこんなにも丁寧に接してくれる御仁はそういないだろう。
「其方のご両親にもきちんと了承は得る。どうだろうか??」
姉達に虐められる日々にうんざりしていた絳鑭に、了承以外の返事はなかった。
謝礼として支払われる額を提示された父は、眉一つ動かす事なく養女の件を受け入れた。その様子を見ていた絳鑭は、家から出られるという安堵感で一杯になった。そんな家に未練などこれっぽっちもあるはずもなく、絳鑭は家族だった者達との別れをすっぱりと済ませ、その日のうちに
毅家がどのような立場の貴族かも分かっていなかった絳鑭は、馬車がついたその屋敷を見て数秒動きを止めた。
(確かに、マロよりは上位の貴族なんやなーとは思うてたけど....。まさかここまでやとはなぁ....。)
毅家本邸は向こうの景色が見えないほど大きすぎる屋敷だった。しかし派手さはなく、スッキリとしているものの、調度品一つ一つには良いものが使われており、それが豪奢さを引き立てていた。無駄のないその屋敷はまるで、ここの主人である翔信の人となりを示しているかのようであった。
翔信は笑顔一つ見せる事のない常に仏頂面な養父であるが、救い出してくれた恩返しだと思い、絳鑭は日々辛い鍛練に励み続けた。ただ、どんなに頑張っても、どんなに上達しても、翔信がその眼差しに愛情をこめて絳鑭を見つめる事はなかった。それは彼女が十五歳になり武官試験を第一位及第した時でさえ同じ。
『これで動かしやすい手駒が増えた。』
たった一言。そのたった一言しか彼は発さなかった。
そのような歪んだ家しか知らなかった絳鑭には、愛というものが一体何なのか、本当に分からなかった。—だが、そんな絳鑭に転機が訪れる。
それは、養父の指示で毅州の平民街へ赴いた時のことだった。養父の目的は、離宮中の姫君の発見だった。
(大概的には外国への研修っちゅうことなっとんのに、養父様は何考えとんやろ。こんなとこにいるはずないのになぁ。)
所詮深窓のお姫様に、血気盛んなこの街が耐えられるはずがない、と高を括りながらも、その喧騒の街をどこか懐かしく感じながら散策しているうちに、いつの間にか空は暗くなり始めていた。そろそろ帰るか、と踵を返しかけていた時、その声が聞こえてきた。
『おばさぁーーーーーん!!』
街にいる名もなき誰かさんの声のはずなのに、絳鑭には何故かその声だけが響いてきた。
『星華ちゃん、今日は来るのが遅かったねぇ....、、』
(星華......??星華って、まさか....っ........、)
絳鑭は急いで近くの茂みに隠れ込み、星華と呼ばれたその少女の姿を盗み見た。着ている服や所作、話し方は平民そのものだったが、滲み出る雰囲気のようなもののせいか、遠くから見ていても目を引く可憐さが際立っていた。
宮廷内での暮らしとは程遠い、質素なものが要求される平民街での暮らしのはずなのに、それでも幸せそうな顔をする星華を絳鑭はとても興味深く思った。絳鑭は星華に近づくためちょうど行われるという武芸大会に出場し、養父に頼んで星華と対戦できるよう裏で手を回してもらった。実際に星華と話してみると、彼女は穏やかな性格でどこか抜けているところのある普通の少女だということが分かった。
そのような
あまりの手の抜きように、絳鑭は逆に感嘆の息を吐くことしかできなかった。あの時は流石の絳鑭でも自信を喪失しかけた。......今思えば懐かしい思い出だが。
絳鑭は、柄にもなく感傷的になっている自分に苦笑を浮かべた。それからおもむろに立ち止まると、暗闇を照らす電灯を眩しそうに見上げた。
(......あんたは、うちの電灯みたいやな。)
いつも懐にしまってある烏のぬいぐるみを服の上から握りしめ、人生で初めて貰った贈り物の感触を確かめると絳鑭は、決意を胸に再び歩き始めた。
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