第16話 伝令と過去

 〝次の若葉彩る除目にて現虹姫げんこうきの竜星華を虹星国の正規の第一権力者、虹王こうおうとする。したがって現国王、竜河雪りんこうせつは以後政殿からは一切身を引き、隠居に入ることをここで宣言する。〟


 この伝令が宮廷内を巡り早一刻。宮廷は騒然となった。今まで退位の意を全く見せることのなかった河雪が突如として娘にその位を返上すると言い出したのだから当然だ。虹王の中継ぎと決められている国王の引き継ぎ期間は、虹姫が二十歳になるまでだと定められている。


 虹の加護を持つ者の寿命は、その力の代償のような形で一般の人間と比べると明らかに短い。そのため、どんなに虹王が早く亡くなろうとも跡継ぎを残せるようギリギリの線で年齢を区切っている。逆に言うと、国王は虹姫が二十歳になるまではその権力を振りかざして生きていくことが可能である。河雪もそのようにするのだろうと、多くの貴族達が睨んでいた。

 だが実際にはそうではなく、星華が十九歳になる春で河雪はその役目を降りることとなった。意外なその決断に貴族達はあたふたと慌てることしか出来なかった。


「星華、あんた虹王やってぇ!!」

「わぁ、ほ、本当だ........。」

「星華様!おめでとうございます!」

「おぉ!凄いじゃないか!」

「............。」


側近達に喜ばれながらも、星華は曖昧な笑みしか返す事が出来なかった。その日から、およそ二月後に迫る星華の戴烏冠式たいうかんしきの準備が始まった。




「そーかぁ....。星華もとうとう虹王かぁ....。」


暗い夜道を一人歩く絳鑭の呟きは誰に届くわけでもなく、少し寒さの残る外気の中に彼女の吐息と共に消えていく。その端整な顔立ちを普段とは違うように歪ませた彼女の脳裏に蘇っているのは、かつてまだ『毅』の文字も知らなかった幼き日の記憶—。



 絳鑭の家は救いようがないほどの貧乏だった。父と母と五人の姉に絳鑭。という身分の家の中ではかなりの大所帯だった。


 母は、それはそれは見目美しい女性だった。たくさんの貴族を見るようになった今でも、美しさにおいて絳鑭の五本の指に入っている程。そんな母が貴族達の目に入らぬはずはなく、絳鑭が三歳の時に母は家を出て行った。


父は荒れ狂い、毎日朝に帰ってくるようになり、五人のうち四人の姉達は六人姉妹の中で一番母の血を多く引き、美しい顔立ちをしている絳鑭を虐めるようになった。唯一、絳鑭と一番年の近い姉だけは絳鑭に何も手出しをせず、黙って外を眺めていた。

 

姉からという事もあるが、絳鑭は奴隷。どのような人にどのような扱いを受けても、何も文句を言うことはできない。それを言ったが最後。その奴隷はめった殺しにされてしまう。物心ついた絳鑭は、自分の身を守るために鍛練をし始めた。


 身のこなしや剣術は当然我流で、今の絳鑭を見るとめちゃくちゃなものだったが、護身のためのものだと考えると、かなり筋が良かった。


 母が出て行ってから五年後のある日の事だった。日課の鍛練をしていると、近くの路地から一番年の近い姉が、にやにやと脂ぎった顔を下品に歪ませてでっぷりとした腹を揺らして歩く男に引きずられて出てきた。


 (なんや??姉貴引きずってるあいつは誰や??くそキッショいんやけど)


「何しとんや!!こんのくそきもじじい!!」

絳鑭は考える間もなく、勝手に身体が動いていた。

「なんだとーっ!!」


振り返ったデブじじいは顔を真っ赤にしてこちらを睨んできた。だが、数秒するとそれがあっという間に崩れ落ち、でれでれとした気持ちの悪いニヤケ顔になった。

「ちょっとおジョーチャン??マロに付いてこないカイ??おいしいお菓子をあげるじょ!ぐふぐふ。」

「ほんまキショいわぁ。さっさとその手を離しや!!」


 絳鑭は素早くマロの脛を蹴り飛ばし、姉の手を掴んだ。絳鑭はどうして好きでもない血縁上だけの姉を助けたのか、マロから離れようと走っている間ずっと考えていた。息切れしてもう走れなくなった姉を家へのわき道に逃れさせ、自らは未だ追ってくるマロを撒くための囮となった。マロは肥えていながら意外にも俊敏性があるらしく、絳鑭が立ち止まるとすぐに追いついてきた。


「ふぅー。おじょうちゃん、もう一人のはどこかな??」

「さぁー。知らへんわ。」

「まぁ良いかぁー。さっきの子より、おジョーチャンの方がおいらの好みだからねっ!でゅふふふふー。さあさ、こっちにおいでぇー」


詰め寄ってくるマロの衣服に使われている上質な絹や、その指にジャラジャラと無数にはめられた装飾品から、マロがおそらく貴族である事は察せられた。だが、その時の絳鑭の頭の中には唯々諾々と従う、という考えは全くなかった。にょろりと伸びてくる手から逃れるよう身体を捻り、素早い動きで後ずさる。


「あれぇ?おジョーチャン、奴隷でしょぉ??ボクチンの言う事聞かないとどーなっちゃうか、わかってるよね??」


(こいつ、一人称は結局なんなんや??統一せいや!)


緊張感の全くないような事を考えながら、絳鑭はマロの手から逃れ続けた。絳鑭の素早い動きに追いつけなくなったマロはその目を獰猛なものに変え、腰に提げてあった銃を手にした。


「こんな手は出来るだけ使いたくなかったんだが....。くそっ。生意気なくそガキめが。痛い目を見たくなかったら大人しく付いてこい!」


(あんなものを持ち運んどるやなんて!なんていうやっちゃ。どないしよ....。)

絳鑭が思考を巡らせていたその時、マロの後ろから声が聞こえてきた。



「何をしている。その娘は我の養女となる者ぞ。」


声の主はマロよりも明らかに豪奢な格好をした貴族だった。




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