第370話 服を着飾り策を備えて

 アイスはその日も夢を見ていた。


 その日に見た夢は、蛇の夢だった。愛しい兄弟の一人である、大きな蛇。


 連れ去られ、離れ離れになった蛇は、その大きさから巨人の世界、ヨトゥンヘイムで育てられた。


 だが神は、やはり我が兄弟を許さなかった。


 神は、蛇を大海原に投げ捨てた。海は厳しい場所。きっとそこで、蛇は孤独に死んでいくものと思われた。


 しかし、そうはならなかった。蛇は強く、海原の中で成長し、やがて人間の世、ミズガルズすべてを囲ってしまうほどに大きくなった。


 蛇もまた、その日が来るまで海の底で静かに眠っているという。神々の黄昏、ラグナロクが起こる、その日まで―――











 みんなで、パーティーにふさわしい服装に着替えていた。


「パーティーか……。人生で初めてだな。しかも金持ちっぽい良い奴は」


 俺はクレイとスールが見繕ってきた礼服に身を包みながら、「やっぱりこういう堅苦しい服は苦手だな」と呟いていた。


 『誓約』アーサーとの政争で、ビルク卿の下に初めて赴いた時。ニブルヘイムの辺境で、バエル城での客室に集まった時。


 そして今回で、三回目の礼服だ。


 そろそろ慣れるかな、と思ったが、どうも慣れないという事に気付き始めた俺である。


 で、今はダンスとかを想定した、もう少しシュッとした奴だ。前に比べれば動きやすいが、冒険者服に比べると……という感じ。


 もう貴族だし、今後は着ることも多くなるのかなぁ、と思うと、少し憂鬱だったりする。


「ウェイド君、着終わったかい?」


 クレイの声掛けに「ああ」と答える。クレイは手早く着終わっていて、流石王族というか、着こなしも堂に入っていた。


「ん、いいじゃないか。もう少し背を伸ばせばより似合うよ」


「こうか?」


「そうそう。いいね。ウェイド君もこれから貴族だし、堂々としてもらわないとね」


「簡単に言ってくれるぜ……」


 やんわりクレイを睨むと「もしかして、こう言う服は苦手かい?」とクレイは俺をからかってくる。俺は「生まれも育ちも卑しいもんでね」とへの字口になった。


「はははっ、そう拗ねないでよ。君のことだ、少し気が向けばすぐに得意になる」


「そうかぁ?」


「それにね、悪いことばかりじゃない。高価な服で着飾るという事は、着飾った奥方と肩を並べることと、ほぼ同義なのだからね」


 言いながら、クレイは俺の背中を押して、男用の衣裳部屋から追い出した。


 するとそこには、俺の嫁さん三人が、それぞれドレスで着飾った姿で、そこに立っている。


「……おぉ……」


 俺はそれに見惚れてしまって、少し言葉を失った。


 アイスは、ロイヤルブルーのドレスを身に纏っていた。銀装飾のクリスタルのネックレスに彩られた姿が、華やかで雪の結晶のようだった。


 トキシィは、明るいパープルを基調とした、パステルカラーの小花柄が散りばめられたドレスだった。フリルが可愛さに拍車をかけている。


 サンドラは、シンプルな深紅のドレスを着こなしていた。他の二人と違って装飾はせず、シンプルに完成された印象を受けた。


 俺はごくりと唾を飲み下して、やっと言葉を紡ぐことができた。


「……きれいだ」


「「「……」」」


 俺の言葉に、三人は一様に照れていた。アイスは目を伏せて真っ赤になって、トキシィはニヤケを隠しきれずそっぽを向いて、サンドラは、サンドラだけ違うわ。


「嬉しい。もっと。もっと言って」


 サンドラは無表情ながら目を輝かせて、俺に近づき「もっと、もっと」とおねだりだ。


 こいつめ、黙ってれば美人なのに口を開けば可愛いかよ。ずるいわ何か。


「サンドラ、きれいだぞ」


「嬉しい。もっと」


「さっ、サンドラだけずるい! 私も!」


 サンドラにつられて、トキシィも近づいてくる。俺は微笑して「トキシィもきれいだ」と告げる。トキシィは口をもにょもにょさせて、「そ、そう? えへへ」と嬉しそうだ。


 俺は最後に、アイスに近づいていく。アイスは何でか知らないが、ずっと目をそらして俺の方を見てくれない。


「アイス、キレイだ。……なんて、みんなと同じことしか言ってないな。悪いな、こう、上手い言葉が出てこなくて」


「う、ううん……! えっと、その、ちがくて。……うぇ、ウェイドくんが、格好良すぎて、あんまり見れないっていうか、その……っ」


 アイスは照れた拍子にそんなことを言う。お、おぉ……。俺も、か、そうか。


 なるほど、これは照れるな……。不意打ちを食らった気分だ。


 とか思っていると、他の部屋からもズラズラと、今回のパーティーに参加予定の面々が現れる。


 スールに、魔人兄妹。師匠連中は何やら野暮用があるとかで、サーカスに行くと聞いた。あと、新参ながらムングも参加だ。


 つまり、俺たちパーティメンバー五人に、追加で四人。計九人で、パーティーに赴くこととなる。


「ご主人様~♡ ローロのドレスどう~? 似合ってる~?」


 そんなことを思っていると、ドレスを着たローロが俺に走り寄ってきた。


 ローロのドレスは、小さな女の子の体型にはフィットしていたが、それを除けばかなりセクシーなデザインだった。


 淡いピンク色のドレスで、Vネックで胸元まで覗かせている。ボリューム感あるスカートが特徴的だ。


「ずいぶん大人びたの着てるな、ローロ」


「にひひっ。スールおじさんにみんなで買ってもらったんだ~♡ ローロのは特に良い奴でね~?」


 スールを見ると「たかられました。ええ、たかられましたとも」と疲れた苦笑を浮かべていた。


 相当やられたらしい、と俺は同情してしまう。見ればローロに限らず、全員いい服を着ている様子だ。


 どうやらムングも買ってもらったらしく、服をちょいちょいとつまんで、スールに笑顔を向けている。


「兄妹に乗っかって正解だったな。ケケケ。こりゃあ上物だ。感謝するぜ、スールさんよ」


「……気に入っていただけて何よりですよ。ぜひこの分、貢献してください」


「ああ、ああ。もちろんだ。出来ることは何でもするぜ、ケケケ」


 ムングもなかなかの着こなしである。スールの哀愁も相まって二割増しだ。


 俺は再びローロを見下ろして「ああ、似合ってるよ。きれいだ」とその頭をなでた。


 ローロはそれに、思ったよりも照れが勝ったらしく「んむ、く、ごっ、ご主人様の癖にナマイキ~!」と妙なことを言って、レンニルの後ろに隠れてしまう。


「はははっ。お前が言えって言ったんだろ」


「む~! お兄ちゃん! ご主人様に文句言って!」


「褒められたのになんて文句言えばいいんだ」


「いいから! 何か文句言って!」


 完全に無茶ぶりする妹に振り回される兄の図だ。


 俺たちはその様子に揃って笑う。この兄妹も愛嬌というか、随分と馴染んだよなぁとか思う。


 そこで、不意に俺は気づいた。


「……ローロ、その指輪」


「え? ……あ」


 ローロは手を引っ込める。俺は何度かまばたきする。


 ローロの指にはめられていたのは、連続強盗の時に、何も得られなかったローロを見かねて、俺が投げ渡した指輪だ。


 てっきり遊ぶ金にするために売ったものと思っていたのだが、まだ持っていたのか。


 可愛いところもあるもんだな、と思いながら、俺は聞く。


「ローロ、意外に気に入ってるのか? その指輪」


「っ……! お、お兄ちゃん!」


「叩くなローロ! 俺に当たるな!」


 ローロは顔を真っ赤にして、兄レンニルをバシバシ叩いている。俺はそれにひとしきり笑ってしまった。


「はー……笑った笑った。じゃ、そろそろ行くか」


 俺が言うと、全員が玄関へと向かいだす。


 向かう先はパーティー会場。だが単なるパーティーではない。友好的に近づき、警戒を交わして懐に飛び込み、最後にはすべてを奪う腹積もりのそれだ。


 すでにバザールの塔は落としたが、商人ギルドの金と権力をまとめて動かせる立場は、魔王城攻略に際して十分以上に役に立つ代物だ。


 すぐ取れる位置にある以上、取り得というもの。少なくとも、俺とクレイはそう考えた。


 無論、向こうも無策ではないだろう。俺たちの武力をどうにか取り込んで、自由にする算段で動いているに違いない。


 だが、それでも勝つのは俺たちだ。見ていろ、ヨル。商人ギルドは、俺たちがもらい受ける。

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