第337話 ニーズヘッグ

 泡を伴って、俺は巨大な湖に落ちる。


 直後、その湖の冷たさに驚いた。単純に氷点下近い水温というのもあるが、また別に魔術的な何かが宿っている。


 アジナーチャクラで分析して、俺は理解する。この湖の水には、入ったものを直接蝕む死の魔術が込められている。


 まずいと思って、慌てて重力魔法で脱出する。空中に浮かび、咳き込みながら、俺は髪をかき上げる。


「すげぇな。スールもやってたけど、やっぱり世界が書き換わった。えげつない魔術だ」


 にしても、湖から上がったものの、なおも死の魔術が体を蝕もうとしているのが感じられる。


 一度落ちたら時間制限で死ぬ寸法か。湖に浸かったままなら、あと十数秒で死んでたかもな。


 俺は前を見る。そこには、宙を蹴って歩く巨大な鹿がいる。獣人ではなく、まんま本当に、巨大な鹿だ。


「……エイク、か?」


 俺が問うと、鹿がわずかに笑い声をあげた。やはりエイクの変身した姿らしい。しなやかに空中を跳ね回っている。


『ネズミの癖に、フヴェルゲルミルから這い上がるとは。だが、この支配領域にただ飲まれて助かったものなどいない』


「……へぇ? そんなに強いのかよ支配領域。でも他の支配領域使える相手に使ったら、ただ勝てるってわけでもないだろ?」


『何を当たり前のことを。支配領域使い同士の戦闘は、支配領域同士、世界の飲み込みあいになる。そしてその勝敗が、そのまま戦闘の勝敗につながるのだ』


 となれば、支配領域持ちでない俺は、その支配領域勝負に負けた状態から戦闘を始めることになった、ということらしい。


 中々の窮地スタートだ。俺は何だかワクワクしてくる。


 ここまでの不利で戦ったことあんまりないもんな。敵が単純に強すぎるとかなら何回かあったけど。


 なるほど、これが支配領域か。俺はニヤケが止まらない。


 不利なルールを相手に押し付けて戦う魔術。領域の支配。疑似的な神。支配領域。


 こうして時間を無駄にしている間にも、この湖の水の死が、俺を蝕んでいくのが分かる。


 これ、短期決戦でないと負けるな。アナハタチャクラはあくまで肉体の支配だから、概念的な死の押し付けであるこれは素通りさせてしまうだろう。


 だが、そんな圧倒的優位にもかかわらず、俺を睨みつけてエイクは唸る。


『……ネズミ風情が。死を前にして、何故笑っている』


「久々だからだよ。死を前にした、ヒリつく戦闘は。だから、エイク」


 ――――ギリギリまで、楽しませてくれよ?


 俺は大剣デュランダルを抜き放ち、重力魔法で宙に浮かせる。エイクはぎょっとして高らかに飛び上がり、俺から逃げ出そうとする。


 だが、遅い。


 エイク。お前はすべてにおいて遅い!


「貫け! デュランダル!」


 大剣が一直線にエイクを目指してする。掛けるはフル加重。エイクはジグザグに逃げるが、それだけでは逃れられない。


「ガァァアアアアアア!」


 ジグザグの逃亡が僅かに功を奏して、デュランダルがエイクの脇腹を裂いた。血を流し、エイクは湖に落ちていく。


 だがそうしながら、エイクはまだ絶望していなかった。地面に落下しながら、奴は叫ぶ。


『メズミめがァァァ……! ならば、良いだろう。真に、真の、このフヴェルゲルミルの恐ろしさを、貴様に教えてくれる……!』


 一瞬の深呼吸。大きく息を吸って、エイクは


 俺は思いだす。エイクの支配領域には、が潜んでいるという話を。


『我が身を贄として捧ぐ! ニーズヘッグ! 恐ろしきフヴェルゲルミルの黒龍よ! この不遜なるネズミを食い散らかせ!』


 湖の下から、巨大な影が現れる。「まずっ」と俺は慌てて上空に飛び上がる。


 直後、それは現れた。


 巨大な咆哮を上げ、大量の水をまき散らし、それは飛び上がった。長い長い漆黒のドラゴン。


 俺はアジナーチャクラでそれを眺めて、呟いた。


「……本当に支配領域の中に古龍抱えてんのかよ。何だエイク。やばすぎだろ」


 ―――それは、古龍だった。


 神話に由来する出自を有し、絶大なる力を持つ、変幻自在のドラゴン。詳細は知らないが、ニーズヘッグとエイクは呼んだ。


 なら、そういうことだ。


 このニーズヘッグを倒して、初めて俺は、エイクの支配領域を破って逃れることができる。この不利な状況下で古龍を殺さなければ、俺は死の魔術で死ぬ。


「なるほどな。そりゃあ『支配領域にただ呑まれたらその時点で負け』って言われるわけだ」


 奥の手をもったいぶるのも頷ける。素の戦闘力の何倍のポテンシャルだよおい。


 だが、俺はもっとワクワクしてしまう。相手にとって不足なし。俺はデュランダルを呼び戻し、手に握って構える。


 ニーズヘッグは気づけばエイクを口に咥えていて、上を向いて大きく口を開け、そのまま飲み込んでしまった。


 我が身を贄とは、このことだろう。死んでも復活する奴が贄とか、と思わないでもないが、このニーズヘッグにとっては食えればいいに違いない。


 一体全体、全長で何百メートルあるのだろうか。俺は軽く下唇を舐める。


 緊張の一瞬。これまでにないサイズ感の強敵との対峙。全身が武者震いを起こしている。


 動き出すのは、同時だった。


 ニーズヘッグは口から巨大な魔法陣らしきものを吐き出した。そこに向けて、大きく息を吸い込む。


 それは古龍の専売特許、ドラゴンブレスに違いなかった。ドラゴンブレスは純粋な破壊。まがい物でなければ正面から破ることは敵わない。


 だから俺は、重力魔法でニーズヘッグの頭を


「古龍最強の一撃、古龍自身が食らったらどうなんだぁ!? えぇ!?」


 オブジェクトポイントチェンジで、グンとニーズヘッグの頭を魔法陣―――古龍の印に突っ込ませる。


 直前で息を吐き出していたらしいニーズヘッグは、まんまとドラゴンブレスに頭を突っ込んだ。かすかに悲鳴らしい音を響かせ、ニーズヘッグの頭は消滅する。


 だが、だ。


 落下するニーズヘッグ。だが途中で、いつの間にか現れた古龍の印がニーズヘッグの全身を受け止めた。


 ニーズヘッグの体が古龍の印を通過する。腰からくぐり、下半身と上半身が同時に古龍の印を潜り抜け―――


 消滅した首から先がくぐりつけると同時、ニーズヘッグの頭が復活する。


「ギャォォォオオオオアアアアアアアアアアアア!」


 咆哮。ニーズヘッグは激怒して、口から古龍の印を大量に吐き出し、四方八方にばらまいた。


「そんなのアリかおい! ハハハハハッ!」


 すべての古龍の印から、ドラゴンブレスが放たれる。無数に放たれる即死攻撃に、俺は今際の際の爆笑をかましながら、重力飛行でギリギリを躱し続ける。


 エグイ。エグすぎる。これが奥の手ならば、金等級でもかなり上位に当たる強さだろう、これは。


 湖に落ちて上がれなければ数十秒で即死。上がれても飛び回る強化大鹿形態と制限時間使で戦闘。勝っても制限時間継続のまま古龍登場だ。


 古龍がまず素の能力で金等級中位~上位程度の強さがあるというのに、ああ、まったく、なんてこった。


「最高だ」


 俺は立体的にぐるんぐるんドラゴンブレスを避けながら、デュランダルを巨大化させ一閃した。


 ニーズヘッグの胴体が真っ二つになる。ドラゴンブレスが一時的に止まる。ここで畳みかけるぞ、と剣を返そうとしたら、デュランダルがドラゴンブレスに貫かれていたらしく、ぽっきりとへし折れる。


「チィッ! 簡単にはいかねぇなぁ!」


 俺は獰猛に笑いながら、重力魔法でニーズヘッグに飛び掛かった。ニーズヘッグは古龍の印で全身を再生させてから、再び四方に古龍の印をばらまく。


「おい、強い攻撃だからって擦るなよ。もう対策終わってんだっつの」


 ディープグラヴィティ。俺は無数にばらまかれた古龍の印に、直接【崩壊】を叩き込んだ。散らばる古龍の印はすべて形を失い消えていく。


 ニーズヘッグはそれに瞠目し、全身を硬直させた。「隙だらけだ」と俺はニーズヘッグに肉薄する。


「お前が再生能力持ちなのは分かった」


 修復したデュランダルを振りかぶりながら、俺は言う。


「だが、八つ裂きにされたらどうなる?」


 剣閃を、放つ。


 一太刀、二太刀、三太刀四太刀五太刀――――俺の重力魔法を伴ったデュランダルの一閃が、何度もニーズヘッグの体を襲う。


 デュランダルと重力魔法のかけ合わせは強力だ。【軽減】からの急【加重】、そして直撃後の【反発】が、デュランダル自体の重力操作と合わさり、威力を無限近くにまで引き上げる。


 ニーズヘッグの体が、粉々に引き裂かれていく。すでに八つ裂きどころのそれではない。俺は執拗なまでに剣を振るい、ニーズヘッグの全身を肉片へと変えていく。


 だがそれでも、古龍の印はニーズヘッグの死を認めない。


 落下していく肉片の下に、巨大な古龍の印が広がった。


 俺はそこに「ディープグラヴィティ」と【崩壊】を叩き込もうとするが、どこからともなく放たれたドラゴンブレスに回避を優先させてしまう。


 肉片が次々と古龍の印を潜り抜けていく。


 そこから現れたのは、無数の小さなニーズヘッグたちだった。


「「「ギャォオアアアアアアア」」」


 甲高い咆哮を共鳴させながら、ニーズヘッグたちが一斉に俺に飛び掛かる。その勢いのすさまじさに、俺は「オブジェクトリポーション!」と言いながら、自分の【反発】を強める。


 視界のすべてが、小型のニーズヘッグに覆われる。小型と言っても全長は全部三メートル超えだ。デカイ個体だと数十メートルはある。凄まじいミチミチ感に圧倒される。


 その次の瞬間、【反発】の力が勝ってニーズヘッグ達が弾かれた。ふぅ、と俺は一瞬んじた焦りに、冷や汗をぬぐう。


「おいおいタフすぎだろ! ハハハハハッ! ―――……っと。そろそろ遊んでる場合じゃないな」


 心臓に死の蝕みが近づいているのを感じ取って、俺は息を吐く。


 楽しい戦いはここまでとしよう。俺はこれまでのやりとりで、だいたいニーズヘッグをどう殺せばいいか分かっている。


「さぁ、終いだぜ―――オブジェクトウェイトアップ」


 宙を飛び回るニーズヘッグ達に、フル加重の重力を掛ける。ニーズヘッグたちは自身にかかる飛行の魔で抗うが、少しずつ加重に呑まれて高度を下げていく。


 これだけだと意味はない。この湖には入る者に死を突きつける性質があるが、ニーズヘッグはこの中から出てきた古龍だ。恐らく普通に過ごす分には問題ない。


 だが、この手の無効果能力には、大抵制限がついている。


「例えば、その鱗が湖の死を遠ざけてる、とかな」


 俺がそう言った瞬間、人間の言葉をちゃんと理解していたのか、ニーズヘッグたちが一斉に暴れだした。図星か。分かりやすくて助かるぜ。


 デュランダルを構える。集中力を限界まで高める。深く深く息を吸い、深く深く息を吐く。


 さぁ行くぞ。


「ザコどもが、全員三枚におろしてやる」


 俺は重力魔法で飛び回りながら、デュランダルをやたらめったらに振り回した。大量に飛び回るニーズヘッグたちは無数に両断されていき、強い重力に湖に落ちていく。


 すると、傷の断面から一気に湖の死が入り込んで、落下した小さなニーズヘッグたちが次々死んでいった。たまに古龍の印で復活しようとする奴は、【崩壊】で阻止してやる。


「邪魔するだけのドラゴンブレスなんか、怖くねぇんだよ!」


 小さなニーズヘッグたちが、それぞれ大量に古龍の印を吐き出してドラゴンブレスを撃ってくる。しかしもはや、そんなのは何の障害でもない。


 俺はすべてを躱しながらすべてを切り伏せる。邪魔な古龍の印は【崩壊】で破壊する。次々にニーズヘッグたちが湖に沈んで死んでいく。


 そうして、目につくニーズヘッグのすべてを切り伏せた。


 だが、支配領域は解かれない。このままだと、俺は死ぬだろう。


「浅知恵だ」


 俺は視線を下ろす。


 湖の上には、確かにもう一匹もニーズヘッグはいない。だが、湖の中。そこに、縮こまって隠れる、小さな小さな一匹の姿を、アジナーチャクラは見逃さない。


「最後だ。―――気張ってくぞオラァァァアアアアア!」


 俺はあと少しで俺を殺す死の蝕みを、サハスラーラチャクラで拒む。時間稼ぎにしかならないが、ここまで温存してきた分、数秒なら耐えられる。


 落下。デュランダルの剣先を湖の中にいるニーズヘッグに向けて、俺は猛烈な勢いで潜水した。


 全身に死の蝕みが入り込んでくる。リポーションで拒もうとしたが、この湖は物質的な存在ではないらしく拒み切れない。


 だが、だから何だというのか。


 水深十メートルを超え、二十メートルを超え、三十、四十、五十と潜る。ニーズヘッグも俺に気付いて必死に潜っていくが、俺の方が速い。


びべべんばべぇえええええ逃げてんじゃねぇえええええ!」


 ニーズヘッグに追いつく。細切れの肉片から蘇った小さな個体でも、俺よりデカイ。最後の一暴れで、巨大なヒレが俺の胴体を打つ。フィジカル差の純粋な衝撃。


 それを、捕まえた。


 デュランダルを突き刺す。引き寄せ、手でしっかりと掴む。あと一秒で俺の全身が死の蝕みに侵される。だが。


ぼべぼばびば俺の勝ちだ


 最後のニーズヘッグを、両断する。その断面から湖の死が入り込む。ニーズヘッグがわずかにもがいて―――最後に、脱力し動かなくなった。




 視界が、ニブルヘイムの街並みに戻る。




「がぼっ、がはっ、ごほごほっ!」


 俺は全身水浸しになりながら、ニブルヘイムの石畳の上でもがいていた。


 体を蝕んでいた死の気配はもうない。ただ水浸しというだけだ。呼吸を整えながら、俺は髪をかき上げ立ち上がる。


 そこには、俺と同じく全身を水浸しにしながら、信じられないという顔で地面に手をつくエイクの姿があった。俺の影に気付き、顔も上げられないほどに震えだす。


「……エイク、だったな。お前に、質問があるんだ」


 俺はゆっくりと近づき、しゃがんで、エイクの角の根っこを鷲掴みにする。エイクはビクッと震える。


「お前の言うネズミって、誰のことだ? 教えてくれよ」


 角を持ち上げて、強制的に俺と顔を合わさせる。エイクは震える声で、こう言った。


「……お、オレ、だ」


「は? お前なの? お前、鹿じゃなかったのか」


「い、いいや、違う。オレ、だ。オレが、ネズミ、だ」


「そうか。じゃあ商店で盗みを働いたのもお前か?」


「そ、そうだ。すべて、オレが盗んだ」


「ははは、お前悪い奴だなぁ」


 そこで、大商店の中から、悲鳴が聞こえた。


「なっ、何ですのこれはぁっ! 何でワタクシの商店が、こんな有り様になっていますのぉっ!?」


 イヤ――――――! という甲高い悲鳴は、ヨルのものだ。それに俺は、クレイがいたぶられた分の半分程度、溜飲が下がる思いをして、くくっと笑う。


 が、まだ半分だ。復讐はやり切るまでが復讐。トドメ刺しは楽しみに取っておこう


「今は引き際だな」


 俺はエイクの角から手を離す。それから、その耳元でこう囁いた。


「楽しい戦いだったぜ。またやろうな」


 俺はエイクから踵を返し、「おーい、アイス~、ローロ~」と呼びながら歩き出す。背後で「絶対にお断りだ……」と呟くエイクに、少し寂しい思いをするのだった。

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