第256話 テリンかく語りき

 道を小走りで進みながら、テリンは語っていた。


「何で、人生ってこうなんでしょうね……! こなたは、ただ素敵な物語を語れればよかったのに。家族が重い病にかかり、どうしようもなくなり、そこを陛下に見つけていただき」


 ふ、と自嘲げにテリンは笑う。


「陛下には、感謝しています。でも、時折見せる狂気には、恐怖しかありません。いつ殺されるか分かったものじゃないんです。今回はだから、帝都を離れられると喜んだものです」


 でも、とテリンは怒りを声ににじませた。


「こんな、こんなひどいことをしに来たわけではありません。リージュちゃんみたいな、小さな子を甚振ってまで欲しい情報なんて……!」


 そう話すテリンの言葉を聞きながら、『政争に引き込むには、善人過ぎる人』とリージュは評価する。


 人間としては好ましい。友人にするならその善良さは望むべくもない。だが、こと政争においては、付け入る隙になる。現にリージュは、テリンの善性につけこんだ。


 悪人同士の化かし合いに、善人を巻き込んではいけない。リージュは、今回の事例からも学びを得る。


 同時に思うのは、こう言う善人が主体であるからこそ、まともな社会は機能するのだ、ということ。


 悪人が市井の主体であってはならない。リージュのような悪人は、政争で使い潰されてしまうのがいい。


「……テリンさんは、良い人、ですね……」


「リージュちゃん……? む、無理をして話さなくていいですからね。寝てても、構いません」


「……は、い……」


 善悪と正誤は違う。善人であることが正しい社会もあれば、悪人でなければ生き延びられない状況下も存在する。


 リージュは、悪人寄りだ。貴族らしい少女として生きている。貴族。その本質は悪であると、リージュは思う。だから有事に必要だし、それ以外ではいない方がいい。


 悪人は、善人を食い物にしてしまうから。敵の善人を上手く騙すのなら役立つが、味方の善人を潰すほどの価値はない。


 だから偶に、こういう真正面からの善人に出会うと、何だか眩しくて、見ていられない気持ちになる。


 自分の倍は生きていそうな人に、そんなことを思うなんて。リージュは不思議な気持ちで、思ったより頼もしい背中にくっついている。


「こひゅー……、こひゅー……」


「リージュちゃん、呼吸が……。この廃墟で、少し休みましょう。無理はさせません……」


 テリンは何故か扉を破壊されている廃墟に入って、リージュを透明コートに包んで寝かせた。いつの間に持ちだしてきたのか、「これ、水です。飲めますか?」と口元に寄せる。


 リージュは水袋に口を寄せて、こく、こくと少しずつ飲みながら、自分は思った以上に衰弱していたのだと理解する。


 体に力が入らない。立ち上がることも難しい。辛うじて、思考を巡らせられるだけだ。


 もしかすると、演技をするまでもなく、リージュは次の自白剤で壊れてしまっていたのかもしれない。ギリギリのところで嘘を吐いて、脱出できたのかも、と。


 テリンは、そんな益体もないことを考えるリージュの頭を、そっと撫でる。「大丈夫ですよ……」と、まるで姉のように安心づける。


「リージュちゃんは、こなたが必ず、逃がしてあげます。……『誓約』さんはとても鋭い方ですから、見つかってしまうかもしれませんが、それでも、リージュちゃんだけは」


 外は暗い。時間は恐らく夕方の入りくらいだろうが、雲が空を覆っていて、どんよりとしていた。


 リージュは飲み口から口を離し、「ありがとう、ございますわ……」と告げる。テリンはそっと微笑んで、水袋をしまった。


 疲れから、リージュは目を瞑る。テリンは「寝ちゃいましたか?」と撫でてくるので、目を瞑ったままリージュは首を振った。くすっと笑って、「そうですか」とテリンは言う。


「では、いつものお返しに、寝物語に何か話しましょうか。これでも、『大ルーンの語り部』なんて呼ばれているんですよ。神々の説話に、造詣が深いんです」


「……大ルーンって、何ですの……? ルーンは、知っておりますが……」


「ルーンを知っているんですか? 流石、貴族のお嬢様……。ルーンって、この辺りだとあまり聞かない魔法なんですが」


 では、大ルーンについてお話しましょうか。テリンは、穏やかな口調で語り始める。


「大ルーンというのは、通常三文字しか許されないルーン魔法の、四文字以上の物を指します。こなたの場合は特に、神話のような特殊な物語を記した大ルーンに詳しいんです」


 例えば、とテリンが何かごそごそと音を立てる。


「ほら、これ。先ほど使った万能鍵。これは神話に出てくるような物品ですが、アーティファクトではなく自作の物です。つまり」


 テリンは、誇らしげな口調で言った。


「こなたの大ルーンは、神話のアイテムを再現できるんですよ。どうです、すごいでしょう?」


 その声色が面白くて、リージュは僅かに口端を緩める。感想を述べようと口を開くと「ああ、大丈夫ですよ。ゆっくり休んでいてください」と制止される。


 それから、静寂が廃墟に広がる。リージュは呼吸も落ち着いて、ちゃんと休めるようになる。


「……本当は、神話を読んで、皆様に語って、そんな生活を過ごしていたかったのですけれどね。こんな、実利を求めた、模倣ではなく」


 テリンが、ポツリと言う。それはリージュに言ったというよりも、独り言に近い。リージュは静かに呼吸しながら、誰にでも事情はあるものなのだと再認識する。


 そこで、テリンが息をのんだ。


 素早く、透明コートに手を伸ばして、テリンはリージュの顔を隠す。そうすることで、リージュの身体は完全に透明になる。


 そこに、声が響いた。


「やぁ、テリンさん。こんなところでどうしたのかな」


「……こんにちは、『誓約』さん。敵陣営の扉の破壊現場を、少し見て回っていたんです」


 『誓約』。リージュの身体は強張る。


「それは勤勉だね。でも、今はそれよりも重大なことがあってね」


「そ、それは、なんですか……?」


「リージュちゃん、だったかな。あの、アルケーに尋問を任せていた子。どうやったのか、脱出したみたいなんだ」


「それは……」


 テリンは、今まで見せてきた善性が嘘のように、驚いた振りをする。『誓約』はそれを疑いもせず、言葉を続ける。


「もしかしたら、彼女は捨て身のスパイだったのかもしれないね。我々には分からない脱出用のアーティファクトを隠し持って、あえて捕まった」


 リージュは、『誓約』に完全に思惑を言い当てられて固まる。もっとも、アーティファクトなど持ち合わせていなかったが。


「扉の破壊作戦も、彼女の誘拐の追跡から情報を掴まれたように思う。それが確認できたから、満を持して逃げ出したのかも、とね。アルケーが言っていたよ」


 ともかく、と『誓約』は言った。


「彼女を探し出す必要がある。アルケーが油断して、いくつか彼女の前で情報を漏らしたと言っていた。秘策が敵にバレるとマズイ」


「は、はい……! こ、こなたも探します」


 テリンの、立ち上がる気配。揃って、二人はこの場を去って行く。


 それに、リージュは黙して耐えた。ここに至っても庇われ、見逃されたのはテリンのお蔭だ。テリンは約束通り逃がしてくれた。帰れるかどうかは、リージュ次第だろう。


 リージュは、意識して呼吸を落ち着け、眠りにつく。体を限界まで休め、回復に専念する。


 それから数時間経った頃、リージュは目覚めた。


「……体は、動きますわね」


 起き上がる。透明コートを着込んで、立ち上がる。体も服もべとべとのままだが、動ける。進める。


 骨休めは終わった。ここからは、リージュの戦いだ。


「情報を持ち帰って、『誓約』の次の策に備えませんと」


 リージュは、歩き出す。

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