第200話 逃亡劇
トキシィの動きは迅速だった。
まずコーリングリングをこすり、「ウェイド! 殴竜が来た! 最優先で駆けつけてきて!」と叫ぶ。『ッ! おう!』という返事を聞き次第、「サンドラ! お願い!」と告げた。
サンドラが、トキシィの腰に手を回す。しっかりとトキシィを抱え、呪文を唱えた。
「サンダースピード」
サンドラに触れるものすべてが雷と化して、電光石火の速度で駆け抜ける。
進む方向は森の方角。トキシィの毒海に浸かり、腐り溶けてドロドロになった森林があった。日ごろなら到底行きたくない場所だが、逃げの一手ならばこれほどの好条件はない。
駆け抜ける。空中を雷となって進む。トキシィは行く先をサンドラに任せたまま背後を向いた。殴竜は雷となって逃げだした二人を、じっと視線で追っていた。
「っ―――で、でも、追いつけはしないよね」
というか、視線で追うのも相当に難しいはずなのだが。最近のサンドラの電光石火は、もはや瞬間移動に等しい。
森に突入する。雷となった身体の前には、溶けた木々の汚泥など気にならない。念のためサンドラはジグザグに進んでいるが、殴竜の気配は遠い。
このまま逃げ切れるだろう。そう、トキシィが息をついた瞬間だった。
森の全てが、薙ぎ払われた。
「えっ?」
木々の汚泥も、毒の海も、短く生える草も何もかも。
すべてが吹き飛んだ。その起点には、殴竜。腕を払った体勢で、じっとこちらを見据える殴竜が立っている。
トキシィは言った。
「サンドラ、全力でまっすぐ逃げて。追いつかれても不思議じゃないから、戦闘の覚悟も決めておいて」
「分かった」
一直線に、最高速度でサンドラは走る。雷光の速度に追いつけるものなんて、居ないはずだった。殴竜に遭遇したって、逃げればいいと思っていた。
だが、その考えが間違えだったというのは、もうすでに理解していた。
殴竜が消える。一拍遅れて、その足元が大きく砕けた。風鳴りが聞こえる。サンドラの息をのむ声が聞こえて、トキシィは正面に振り返った。
殴竜が、目の前に立っている。
「電光石火の魔法か。厄介だな。剥がせるだろうか」
肉薄。言葉の直後にはサンドラ、トキシィの懐に殴竜は踏み込んでいて、サンドラの纏う雷のオーラを掴んでいた。
一息に剥がされる。生身の二人が露出する。咄嗟に、二人は叫んだ。
「ヒュドラッ!」
「
トキシィは自らの不死身でもって、死にかねない速度での地面への激突を緩和した。サンドラは無意識の支配でもって、うまく着地して殴竜に向かう。
そして二人は、殴竜と相対することとなる。逃亡不可能な強敵。敵軍の総大将。
殴竜、シグ。
「いったたた……。サンドラ、無事?」
「無事。トキシィ、足へし折れてる。あ、治った」
「いちお不死身だからね。で……」
殴竜を見る。慌てて構える二人を、まるで待つように見つめている。
「お前たちは、『ノロマ』のパーティメンバーだな。『毒海』のトキシィに、『迅雷』のサンドラ」
「殴竜なんていうビッグネームに知られてるなんて、嬉しいね」
「ウェイドの二つ名、『ノロマ』なの? どこが?」
「ああ、違う違う。ウェイドの奴は、『一回見るとウェイドの速度感と比べて全員ノロマに見えない?』でノロマ」
「理解した。確かにウェイドの成長速度は異常」
目の前で軽口をたたき合っても、殴竜は気にした風もない。度量が大きいと見るべきか、どうなのか。
「……恨み言の一つも言われると思ってたけど、何も言わないんだね」
トキシィが言うと、殴竜は答える。
「兵のことか。随分と荒らしてくれたものだとは思うが、それだけだ。今回連れてきた兵は、愛着のある者たちではないからな」
「……それは、素っ気ない将軍だね」
言いながら、違和感があった。今回は。前回は違うというのか。含みがあるが、殴竜が構えたせいでそれ以上踏み込めない。
「ともあれ、お前たちの相手をするのは変わらない。お相手願おう」
左手を前に、右手を引いて。重心を低くした体勢は隙の少なさを窺わせる。
「厳しいよねぇ~……こうなったらやるしかないけどさ」
「攻撃はトキシィに任せる。あたしの攻撃は多分効かない。トキシィの毒なら、体内に入れば可能性はある」
「神を殺した呪毒だもんね。やるしかない、か。うん、やろう」
トキシィもサンドラも構えを取る。トキシィはヒュドラの九つの首を広げ、サンドラは拳法めいた構えを取る。
サンドラは言った。
「隙は、あたしが作る」
サンドラの姿が、消えた。まるで最初からいなかったように、意識の隙間を縫うように居なくなった。
「む……。消え、てはいない。隠れたか。ならば、まずは『毒海』を」
その時だった。サンドラの放った落雷が、殴竜目がけて落ちてきた。
「キピッ!」
そこに、アイスの雪だるまも合わせた。殴竜の足元が凍り付く。そこから全身に凍結を広げていく。
それに、殴竜は反応した。背後からの攻撃に対し、反転。拳を振りかぶり、そして放つ。
そしてトキシィは、理解できない光景を目にした。
落雷が、拳を前に弾け、散らばった。電撃を前に、殴竜の拳が打ち勝った。
身振り一つで、凍り付いた足元が熱を発した。凍結はただの所作で解凍された。
だが、それをしてトキシィは隙と断じた。殴竜はトキシィに背中を見せている。だからヒュドラの九つの首の全てを、殴竜の背後に殺到させた。
殴竜の声が、薙ぎ払われた森に落ちた。
「連携はよくできている」
殴竜は振り返りざまに、ヒュドラの幻影の一つを簡単に掴んで止めた。
「だが、それだとしても俺の反応速度に届いていない」
ヒュドラの首を思い切り引っ張られる。トキシィは咄嗟にその首を切り離そうとしたが、間に合わなかった。
トキシィは殴竜に引き寄せられ、腹部を拳で貫かれる。
「ん、……が……」
「お前は不死だろう? ならば、死なない程度に殺すのがいい。不死は、死に慣れてからが強いぞ」
殴竜の野太い腕が、ずるりとトキシィの腹部から抜かれた。内臓をこぼしながら、トキシィは倒れる。その頭は、動揺に荒れまわっている。
何で。こんなあっさり。本当に相手にならない。ダメ。サンドラは。
雷の気配を感じ、トキシィは上を見る。空に、垂れこめるようなどす黒い暗雲が出来ていた。どこからともなく、サンドラの声が聞こえる。
「トキシィの分、返す」
雷霆が、殴竜に降り注いだ。
先ほどよりもさらに激しい、怒涛の勢いで雷が空をつんざいていく。トキシィは眩しさに、思わず目を閉じていた。雷が何度も何度も殴竜の方向から聞こえてくる。耳も塞ぐ。
数十秒して、音の連続が終わった。トキシィが目を開けると、殴竜がそこに立っていた。全身を黒焦げにして、そこに直立している。
「……サンドラ、まさか、勝った……?」
「……」
サンドラの息遣い。近くに居る。トキシィは貫通した腹部の傷の治癒を何となく確認してから、力を振り絞り上体を起こす。
そして、気付くのだ。
殴竜が、サンドラの首を掴んで、持ち上げているのを。
「……っ、ぅ……」
「……どちらも、将来有望だな。この年でこれとは。俺よりも、強くなりかねない」
殴竜は身じろぎをする。すると黒焦げになった皮のようなものが、その全身からボロボロと崩れ落ちた。
それらの一つ一つが落ちる度に、地面に霜が広がった。アイスも、サンドラに合わせて殴竜に攻撃を浴びせていたのだ。
だが殴竜は、無傷だった。薄皮一枚でサンドラとアイスの本気を防いで見せた。
「……化け、物……」
トキシィの口が、呟いていた。トキシィだって、サンドラだって、アイスだって、常人では逆立ちしてもたどり着けないような境地にたどり着いたはずだった。それを、こんなにも一方的に。
サンドラが投げ出される。サンドラは何度かせき込みながら、トキシィの隣に転がった。
「雷霆の中、で、ずっと追いかけまわ、された。速す、ぎ。たった数十秒で、集中力が、切れた」
息絶え絶えに、サンドラは語る。集中力。ウェイド、サンドラのチャクラを支える、人間として根源的な能力。普通ならかなりの長時間もつと、かつて語っていたもの。
それを、ただ、地力のみで切らせたのか。チャクラそのものをどうこうするような飛び道具なしで。殴竜は。
「お前たちは敗北した。だから、ここからは黙ってみていろ」
殴竜の物言いに、二人は眉を顰める。その時には、すでに殴竜はこちらから興味を失ったように、明後日の方向を向いている。
「俺なりに、楽しみにしていたのだ。邪魔をしてくれるなよ。誤って殺して、奴に恨まれるなどごめんだ」
「奴って、何? どういう事……?」
トキシィの問いに、殴竜は笑った。
「何と言うことはない。俺は『ノロマ』と、気持ちのいい好敵手でありたいだけだ」
地面が、爆ぜる。
凄まじい勢いで、土が散らばった。地面が揺れたような錯覚さえ覚えた。殴竜を挟んだ向こう。そこに、待ち望んでいたその人が立っていた。
ウチのパーティリーダーが、足を踏み鳴らす。
「待たせたな、二人とも! すぐにクレイも来る。二人は逃げてくれ。俺は、その時間を稼ぐ」
「ウェイド!」「待ってた」「キピピッ!」
結晶剣を周囲にまとわせて、ウェイドは殴竜を威嚇する。殴竜はただ、静かに微笑んでいた。
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