第95話 トキシィの意地

 遠くで、爆発するような音が聞こえていた。


「これ、クレイが戦ってる音、だよね……ッ!」


 走りに息を跳ねさせながら、トキシィは言う。


「う、ん……! クレイくん、が、必死に戦って、時間を稼いでくれてる、音……!」


 アイスが頷くのを受けて、トキシィが唇をかむ。


 後衛、二人。トキシィは、モルルを抱えるアイスと共に、森を必死に駆けていた。


「ど、どうする……!? クレイがあの判断するってことは、追いつかれたら」


「戦うしか、ない、よ……!」


「そう、だけどさ。……ッ」


 そこで、ひときわ大きな破砕音が響いた。途端に、背後が静かになる。アイスも、トキシィも顔を青ざめさせる。


「……ままたち、ダイジョブ……? クレイにーちゃ、どうなったの? サンドラも、倒れちゃったよ……?」


 モルルが、不安そうな顔で言う。それを、アイスはぎゅっと抱きしめる事しかできない。


「大丈夫、だから、ね……。ママたちが、絶対、守ってあげる、から」


「う、うん……」


 そんなやり取りをしながらも、二人は足を止めない。モルルは失えない。だから、走る。走るしか、今出来ることはない。


 しかし。


 移動能力を持った魔法使いから、足で逃げるのは不可能に近かった。


「どうも。随分走りましたね。体力は切れていませんか?」


 服をぼろぼろにしながらも、ウィンディは軽やかな様子で空中から眼前へと降ってきた。


 ふわっ、と風の抵抗を受けて、そっと着地する。アイスもトキシィも、警戒の目でそれを見つめる事しかできない。


「クレイは、どうしたの」


 トキシィがウィンディを睨みながら問うと、ウィンディはそっと微笑んで答えた。


「彼は勇敢でした。タフでもありました。まさか、あの土壇場で新しく戦法を一つ編み出すとは」


「……」


「とはいえ、力及ばずということは往々にしてよくあることです。彼を責めてはいけませんよ。相手が悪かっただけなのですから」


 ヒュウウウ、とうすら寒い風の音が、響いている。トキシィは、つばを飲み込んだ。


「アイスちゃん、私が相手する。アイスちゃんは逃げて」


「……分かっ、た。だるまちゃん、いっぱい置いてく、から」


「うん、ありがと。……本当は、あんまり見られたくないんだけどね」


 アイスは大量の雪だるまを置いて、モルルを抱いて走り去って行った。


「次は、あなたですか、トキシィ様。あなたは後衛。せめて二人がかりの方が良かったのでは?」


「私は近距離も実はちょっと出来る後衛だけど、アイスちゃんは遠距離でも近距離と同じ能力が発揮できる超後衛だから。だから、ほとんど二人がかりって言うか」


「そうですか。それで? あなたは、どんな風にボクを楽しませてくれるんですか?」


 楽しむ、という言葉に、トキシィはクレイの戦果を感じ取る。最初速やかに、と言っていたのが、今は楽しむことに比重が置かれている。


 それは、クレイの功績だろう。根本的に戦闘を好む冒険者の本質を、クレイが実力で暴き出したのだ。だから、トキシィはなるべくウィンディを楽しませるように、戦えばいい。


「……ウェイド。アンタが戻ってくる時間、頑張って稼ぐからね。間に合わなかったら、ひどいんだから」


 手の中に湧かせたいくつもの丸薬を、トキシィは飲み下す。「ふむ」とウィンディはトキシィの行動を興味深く見つめている。


「毒魔法を自ら口にしている……? 自分を毒状態にしている、のではないですよね。これは、何を企んで―――」


 トキシィは全身に、ビキビキと力が行き渡っていくのを感じ取る。四肢の先の先まで、神経が届くような感覚。時間が遅くなるような全能感。


 それらが綿密につながり合って、トキシィの脳が


「あは」


 トキシィの笑みに、ウィンディは、ぽかんと呆気にとられたような顔をした。


 直後。


 隙だらけのウィンディの側頭部を、トキシィの蹴りが打ちのめしていた。


「ッ!?」


「あはっ! 楽し――――――――――! あはははははっ!」


 虚をつかれて倒れ込むウィンディの背後に回って、トキシィはウィンディの胴体を踏みつけにする。そこでやっとウィンディの防御が間に合う。


「っ! なっ、何を!? ふ、ふふっ。び、びっくりしましたよ! 何ですかあなたは」


「トキシィぃいいいいいいいいいいいいいいい、でぇええええええええす!」


 矢を力任せに振るうだけの攻撃を、ウィンディは目を剥いて回避する。そして跳ねるように立ち上がった。


「っ!? 何でボクはこんなのを避けて、毒? いや、何? 何ですか?」


「うふふふふふふふふふふふふ」


 トキシィはもう何か楽しくって仕方がない。指でクルクルと矢を回して、そして指弾のように撃ち出した。


 パンッ、と矢が回避したウィンディの背後の木に刺さり、砕ける。ウィンディは意味が分からない、という顔で砕けた矢を見つめている。


「今、何をしました? 弓を使わず、弓と同等以上の威力を出しましたか?」


「正解! それで、ドーン!」


 砕けた矢の残骸を中心に毒の霧が散布された。ウィンディは咄嗟に口を覆って逃げようとするが、ダメだ。


 雪だるまが「キピッ!」と地面を凍らせる。ウィンディは足を取られる。好機だ。


 両手を矢筒から抜き出し、そして再び指弾で撃ち出した。同時に八本。ただし、一本は明後日の方向に飛ぶ。


「ウィンドシールド! ごほっ」


 その弾幕を、ウィンディは風の盾で弾いた。その勢いのまま、毒の霧がかき消される。トキシィはむっと口を尖らせ、「ぶーぶー!」と文句をつけた。


 だが、ウィンディは血の気を引かせている。


「……指を一本潰して、今の指弾を放ったんですか?」


「ん? 何が~?」


「気付いていないのですか。……見れば、体の節々を限界まで追い込んでいる。なるほど、これほど強いならクレイ様と一緒に襲い掛かればと思いましたが、奥の手中の奥の手でしたか」


「どういうこと~?」


 トキシィは口元に指を運んで首を傾げた。指には何故か血がたくさんついていて、口元が汚れてしまう。


「ありゃりゃ~! あははははっ!」


「……痛々しいですね。ならば、迅速に打倒するのも優しさの内ですか」


「負けないよ」


 トキシィは、ニッコリ笑う。


「負けないから、私。あははっ」


「……いいえ、負かしますよ。ボクが相手なのですから」


 アイスが凍らせた地面から動けないウィンディは、ナイフを手に取った。右手に三つ。


「フォロイングウィンド」


 右手がブレる。凄まじい速度で、風に乗ってナイフがトキシィの四肢を狙う。


 それを、トキシィの上昇した動体視力は捉えていた。弓に刻まれた『集中』のルーン。逃げながらなぞったそれは、トキシィに常人にはできない芸当を可能にさせる。


 例えば、投擲されたナイフを掴んで止める、とか。


「あはっ!」


 両手と口でナイフを止めたトキシィは、それを捨ててウィンディに迫る。だが、その前にウィンディが、氷に取られた靴を脱ぎ捨ててこちらに向かってきていた。


 蹴りを放つ。止められる。そのまま足首を掴まれ、風の感触と共に地面の上下が反転した。


「寝ていなさい」


 叩き付けられる。衝撃で、無理をしていた体が限界を思い出す。


「ゴホッゴホッ。……ああ、まったく。これが卒業したての銅等級? 嘘でしょう? しかも、彼ら彼女らが、必死に訓練してなお、リーダーのウェイド様には届かない?」


 ハハ、とトキシィから受けた毒霧に、ウィンディは懐からポーションを取り出して、さっと飲んで瓶を捨てた。


 ついでにウィンディは、ナイフを取り出して、周囲に集まっていた雪だるまたちを砕いていく。


「……考えたくありませんね。一旦置いておきましょう。ボクは、淡々と仕事をするだけです」


 トキシィは、徐々に正気に戻ってきて、荒れ狂う感情を抱えながら手を伸ばす。


「モルルは、渡さないから……!」


「……いいえ、お嬢様の手に渡りますよ。それが、貴族というものです」


 ウィンディは言い捨てて去っていく。それをどうすることも出来ないまま、トキシィは意識を落とした。

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