第92話 貴族令嬢

 メイドさんがお茶の用意を終えて、リージュはまず、核心に触れてきた。


「ねぇ、ウェイド様? ワタクシの勘違いだったら申し訳ないのですけれど―――モルル様は、別に風邪ではないのでしょう?」


 クスクスと聞いてくるリージュに、俺は肩を竦めて返す。


「リージュ様は、その辺りまだまだだな。もう少し迂遠に、やんわりと、察させるように聞くのが品位ってもんだぜ」


「あら、スラム生まれのあなたに品位を語られるなんて、ワタクシ思ってもみませんでしたわ。でも、一理あるようにも思えますわね。では、そう―――」


 リージュは僅かに思案してから、こう言い直した。


「モルル様は、今何を? お元気に野山を駆け回っているというところかしら」


「ハハハッ。リージュ様、飲み込みがいいな。じゃあ、俺はこう答えよう。とある貴族に狙われてて怖いって言うんで、仲間を配置して防衛体制を築いているところだ」


「あらあら、ふふふっ。確かに、迂遠で、察させるような物言いは楽しいものですわね」


「だろ? これで一段上の貴族になれたな」


「そうですわね。一段と品位が高まったように感じますわ。次に王都に招かれたときは、こんな風に周りをからかってあげましょう」


 クスクスと笑うリージュは、実に機嫌が良かった。以前のワガママさは、鳴りを潜めているように見える。


 だが、思い返してみればそれは、機嫌がいいから出ていないだけ、とだけの可能性も高かった。


 何せ、発言の節々から見え隠れする性格の悪さの主張が強い。


「王都か……。縁遠い話だな。気にしたこともなかった」


 発見へのごまかし半分に俺が言うと、「あなたの出自では、それも不思議ではありませんわ」とリージュは言う。


「領民は、基本的に領地から出ないものです。貴族くらいのものですわ。定期的に王に集結を命じられ、王都に出向く、なんて面倒があるのは」


「面倒なのか? 王都、楽しそうだと思ったんだが」


「目新しさがある内は楽しいですけれどね。もう飽きてしまいましたわ。この迷宮都市の方が楽しいですし」


 不満げに言うリージュに、俺は言った。


「故郷を愛してるんだな」


「……」


 リージュは、目を丸くする。それから、俯いて呟いた。


「故郷とか、愛するとか、……そういったことは、あまり考えたことがなかったですわ」


「いいんじゃないか。無自覚な内は幸せってことだ。故郷が恋しくて堪らなくなったら、それは故郷から離れた場所で、不幸になってるってことになる」


 沈黙。俺の言葉を咀嚼するように、リージュは視線を時折左右に動かす。


「……ウェイド様。あなたの言葉には、何だか含蓄がございますわね。ウィンディも冒険者上がりですけれど、あなたのようなことは言いません」


「そうか? 深い話をしたことがないだけの可能性はあると思うぞ。誰しも改まって話せば、このくらいのことは言える。……いやゴメン、分からん」


「ふふっ、あははっ。そこは断言してくださいまし。でも、そうですわね。となれば、故郷を愛しているワタクシは、今この場で、ささやかな幸せを享受している、という事なのかもしれませんわ」


 リージュは、ここに来て初めてコロコロと年相応な笑顔を浮かべた。それから、「ふぅ」と一息いれる。俺もお茶を飲み―――


「話を、戻しましょうか。モルル様を、ワタクシにお譲りくださいませんか?」


「断る」


 睨み合い。だが、お互いに笑顔を保つ。リージュは、クスクスと笑った。


「いいでしょう。おいくらがよろしいですか? 言い値で買います」


「大白金貨一万枚なら譲ろう」


「……大白金なんてものは、存在しませんわ。存在したとしても、そんなお金は払えません」


 リージュが眉を顰める。俺はお手上げのポーズを取った。


 だろうな。日本円換算で三十兆円くらい? ハハ、国家予算の何割だよ。


「なら売れないってことだ。言っとくが、ビタ一文まける気はない。払えないなら、この商談は破談だな」


「大金貨7枚」


 リージュは言う。


「ワタクシの懐具合と、メタモルドラゴンの幼体という価値からお父様よりいただける想定の予算。それを合算して、限界の値段が大金貨7枚ですわ。いかがかしら」


 それでも二億一千万だ。貴族といえど、この年でそこまで引き出せるとは恐れ入る。


 が、お話にならない。


「俺は言ったぞ。ビタ一文まけないって。大白金貨一万枚。払えるのか払えないのか。はっきりしてくれ」


「……」


「ほら、早くしろよ。払えるのか? 払えるならいいぜ。譲るよ」


 譲る、という言葉は、アレクの交渉術講座曰く、呪縛だ。条件を満たせば譲る。条件をみたせなければそれはお前の責任だ。人間の思考回路だとそう言うことになる。


 そして、リージュは貴族とはいえ子供だった。


 こんな手練手管を跳ねのけることは難しかろう。


「……払え、ません」


「なら、話は終わりだな」


「終わっていませんわ!」


 リージュが大声を張り上げると、兵士たちが抜身の剣の切っ先を、一斉に俺に向けてきた。


「おーおー、上等だなこれは。お金で解決しましょうって言ってきたのはリージュ様だってのに、話が通じなければ武力で強制か」


「う、うう、うるさいですわ! 素敵な方だと思ったのに! 少しくらい優しくしてくれてもいいでしょう!?」


 顔を真っ赤にして言うリージュは、店で駄々をこねていた時の姿と全く同じだ。貴族でもあるが、子供でもあるのだろう。まったく、どんな教育をしたらこんな子になるんだが。


 俺は笑みを崩さず言う。


「優しいだろ? 子供のわがままに、一日割いて、わざわざ足を運んで、ここまで来たんだ。自分の子供を譲れ、なんていうバカバカしい要求にも値段をつけた。歓談もした。これ以上どう優しくしろって言うんだ?」


「うるさいうるさいっ! うるさいんですの! あなたが無理な金額を吹っかけてきたから、ワタクシに払えるギリギリを提示したっていうのに」


「ああ、あれ悪手だよ。自分の手札はこれですって、トランプ中にさらすようなもんだ。リージュ様はババ抜き中に、ジョーカー交じりの自分の手札を相手に見せるのか?」


「う、うう、ううう……!」


 リージュ様は顔を真っ赤にして、拳をぎゅっと固めて俺を睨みつけていた。涙目で、そろそろ泣き出してしまいそうだ。


 だが、まぁ、もう勝負はついているだろう。


 リージュは頭に血が上って、俺が何を目的として、挑発しているのかにも気づけない。


 貴族令嬢は立ち上がり、俺を指さして言う。


「こ、この無礼者をひっ捕らえなさ―――」


「オブジェクトウェイトアップ」


 指を鳴らすのは、今度は俺の番だった。


 兵士たちの全員が、何倍にも増した自重によってその場に潰れた。崩れるように倒れ、誰もが立ち上がれない。


 全員相当に鍛えているのだろうが、人間五倍六倍の体重は支えられないものだ。


「……え……?」


 呆けたように、リージュは指をふわふわと揺らした。そして実力差を悟り、震わせ始める。


 俺は背もたれに深く寄りかかって、右足を高く掲げ、足を組んだ。


。単刀直入に言うが、役者が違ったよ。何で俺がここに来たか。まずそこからお前は考えなければならなかったんだ」


「え……? ど、どう、いう……」


「ドラゴンを狩った冒険者が、どれほど貴族を恐れると思う?」


 俺がニッコリと笑いかけると、リージュは顔を青ざめさせていく。


「それ、は」


「貴族って立場だと忘れやすいのかもしれないが、一定のラインを越えた冒険者は、民間人にはどうしようもなくなるんだ。貴族が辛うじてどうにかできるのは何故かと言えば、それは同じレベルの冒険者を雇ってるから」


 でさ、と俺はリージュに問いかける。


「その、同じレベルの冒険者、リージュの傍にいるか?」


「……―――――ッ!?」


「さて、じゃあここで俺の思惑が何だったのかの答え合わせだけど」


 俺は戦慄するリージュに説明する。


「俺はさ、こうやって商談が荒れて、暴力沙汰になって、楽しくウィンディと殴り合うために来たんだ」


「……は……?」


「色んな奴が言うんだ。ウィンディは強い。あいつは昔俺と同じレベルの偉業をやってのけた。お前らなんか相手にならない。―――こんなワクワクすること言われて、黙ってられるか?」


 リージュの全身が、震えていく。俺は段々可笑しくなって、くつくつと笑い始める。


「じゃ、じゃあ、ああ、あな、あなた、は……!」


「ああ、そうだ。商談をぶち壊した後、暴れるつもりで来たんだ。なのにそのウィンディが、何か知らないがどこかに行っちゃうじゃんか。どこ行ったんだよアイツ」


 リージュは、震え、その場に立ち尽くしながら言った。


「……せました」


「……何だって?」


 俺は前のめりになる。


「ですからっ」


 リージュはもうボロボロと涙をこぼしながら、叫ぶように答えた。



「……」


 俺は、パチパチとまぶたを開閉させる。


 それから、言った。


「リージュ。ちょっとお前のこと舐めてたわ。貴族でも子供だと思ったけど、違うな。子供だけど、ちゃんと貴族してるよ。クソ貴族を」


「う、うう、うぅぅううぅぅぅ……」


 その場で何も出来ずに震えるリージュ。俺は「よっせ」と体を起こし、そのままリージュを山賊スタイルで持ち上げた。


「ッ!? な、何を! 何をなさいますの!」


「んなもん決まってんだろ。ウィンディ向けの人質にするんだよ。俺の仲間が人質に取られて、その所為でボコられたら最悪だ」


 まずは条件を対等にする。


 俺は言いながら、左肩の上に位置するリージュのケツを思いっきり叩く。


「痛いっ! 痛いですわ! 何をなさいますの!」


「今のはちょっとした予告だ。―――状況を理解せずに喚いたら、この二倍の威力で叩く」


「ひっ」


「すぐにでも帰ろう。……無事だと良いが」


 不安が胸によぎる。俺はバルコニーにつながる大窓を【加重】で自壊させ、ガラス片を踏み越えて、そのままバルコニーの塀に乗り上げる。


「え、え? まさかここから落ちるなんて」


「言わねぇよ。逆だ。ここから飛ぶ。あでも正しいわ。やっぱ落ちる」


「えぇっ!?」


「いちいち騒ぐな」


 俺は魔法を唱えながら、塀を跳躍した。


「チェンジポイント、ウェイトアップ」


 俺たちは、ものすごい勢いで上空数十メートルの高さに


「ひっ、ひぃいいいいい……」


 リージュはか細い悲鳴を上げる。俺はそれに笑う事も出来ず、不機嫌気味にそのケツを叩いた。


「痛いっ、痛いですわぁあああぁぁぁ……!」


「減速はなしだ! このまま自宅まで一直線に落ちる!」


 俺たちは、空を駆ける。

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