第90話 招待
翌日の早朝。俺が半分寝ぼけながら歯磨きをしていると、呼び鈴が鳴った。
「はーい」
他のメンバーがまだスヤスヤと眠っている時間帯だ。俺はあくび交じりに扉を開けると、何処かで見たような執事がそこに立っていた。
「……アンタ」
「お久しぶりです。カルディツァ家、リージュお嬢様付きの執事、ウィンディです」
にこやかに微笑むウィンディは、そっとお辞儀をした。この大胆さは、恐らくこちらが成り行きを掴んでいる、という想定の下の行動だろう。
俺は微笑みを返して、挨拶を返した。
「久しぶり。覚えてるよ。お嬢様のわがままを諫めもせず、なすがままにしてたやる気のない執事だ」
「これはこれは、手厳しいですね。ですが、お嬢様の教育はボクの仕事ではございませんので」
「そうかい。それで? 今日は何の用だよ」
「こちらを」
ウィンディは、俺に手紙を差し出した。封蝋はいかにも貴族らしい紋章の形をしている。
「本日、リージュお嬢様はウェイド様、並びにご息女モルル様を、お嬢様の住まう別邸に招待なさいました。時間はお昼過ぎ。是非ともお越しください」
「ふぅん。行かなかったらどうなるんだ?」
「貴族の要望に応じない、というのはこの迷宮都市においては不敬罪に当たります。お言葉の上でも、そのようなことは口になさいませんよう」
「そりゃ悪かったな。こっちも育ちがそう良くないもんで、そういう作法に明るくないんだ。許してくれ」
「そういう割にはなかなか学のある語彙のように思われますが」
「周りの影響だ。みんな育ちが良くってな」
「そうでございますか。では、これにて」
ウィンディはそう言って、さっと身を翻して去っていった。俺はその後ろ姿を見つめてから、「アレクの言う通り、交渉が始まったってとこか」と家の中に戻っていく。
報告を受けたアレクの答えは、こうだった。
「はぁん……。随分大胆な降伏宣言だ」
それに、俺は首を傾げる。
「降伏宣言? ……宣戦布告、じゃなく、か?」
「ああ。今まで用件も告げずに攫いに来てたのが、一回落ち着いて話をしましょう、と来てる。つまりは降伏だ。お金で解決しましょう、の流れだな」
朝食の席。リビングでの会話だった。
持ち回り制の食事当番で、今日はクレイが作った朝食を食べている。アイスやトキシィには敵わないが、まぁまぁウマイ飯を作るのがクレイだった。
そんな訳で、俺は目玉焼きやウィンナー、その他様々な具材を大雑把にホットドッグにしたものを大口で頬張りつつ、アレクの言葉に思考を巡らせてみる。
「アレクの想像する降伏が、俺が考える『負けました降参です』ではないのは何となくわかった。俺も目を通したけど、慰謝料払うので許してください、じゃないもんな」
「そりゃ全面降伏だな。俺が言う降伏ってのは、要するに『あんたら思ったよか強かったんで、武力じゃなくお金で解決しましょう』だ。庶民相手に、貴族が滅多にしない奴」
「昨日は安眠を邪魔された。処すべき」
そういうのは、不機嫌そうに目をこするサンドラだ。中々派手なことを言う。半目ながら、もっもっ、とホットドッグを頬張っている。
「が、リージュ嬢の背後に誰がいるのか、それとも自発的な行動なのかで、ニュアンスが変わってくる。大人が背後に居るなら降伏で問題ないが、子供が用意した交渉の席なら、まだ荒れる余地はありそうだな」
「荒れるってのは?」
「文字通り、荒れるってことだ。戦闘も辞さないくらいの覚悟で向かった方がいい」
「本当に荒れるんだな」
「それで、今日手紙を渡してきたのが、そのウィンディ、という執事だったんだね?」
クレイの確認に、俺は「ああ」と頷く。するとクレイはさらに続けた。
「彼はかなりの手練れだ、というのが昨日得た情報だよ。土壇場での彼との戦いは避けた方がいい。あるいは、対策してから挑むか」
「できれば戦いたいもんだが」
俺がニヤリとすると、クレイは苦笑して肩を竦める。
「そこの塩梅は任せよう。それと、モルルちゃんだけれど」
呼ばれたモルルは、アイスの膝の上で「んむ?」と首を傾げている。
俺は答えた。
「連れていかない。モルルはみんなと一緒にお留守番だ」
「そなのー?」
「ああ、そうだ。みんなが遊んでくれるぞ」
隣の席のアイスの上で、生肉の塊をガツガツ食べるモルルの頭を撫でる。「ん~♪」とモルルは気持ちよさそうだ。
「なら、留守は、任せて……っ。わたしたちで、モルルは守る、から」
「ああ、任せた。荒れる可能性を考えると、みんなに居てもらった方がいいか?」
「そだねぇ~。いつもみたいにクレイが商談、サンドラが散歩で出られると、近距離戦できる人、居なくなっちゃうし」
トキシィの分析に、確かに、と俺は考える。アイスもトキシィも、近接戦は得意としていない。逆にクレイは防御力が高いし、サンドラは余程のことがないと攻撃を食らわない。
クレイを見ると「僕はもちろん構わないよ」と笑みを作った。
「助かる、クレイ。サンドラも、今日は家に居てくれるか?」
「んむ、ウェイドが言うなら仕方ない。今日はダンジョンの奥地を彷徨う予定だったけど、代わりに『塩対応のはひふへほ』でも考えておく」
「何だ『塩対応のはひふへほ』って」
「は、『はぁ?』、ふ、『ふーん』、へ、『へぇ』、ほ、『ほーん』」
「塩対応のはひふへほだわ」
「『ひ』だけまだ思いつかないので、今日はそれを考える」
「暇なんだな、サンドラ……」
「それにする。ひ、『暇なんですね』。完成。ドヤ」
ドヤ顔になるサンドラ。俺はこう答えた。
「ふーん。まぁよろしく」
「さっそく塩対応を受けている」
「他に何か言っておきたいことある奴いるか?」
「本当に塩対応で悲しい。泣いちゃう」
悲しそうな顔で俺の腹のあたりにサンドラが抱き着いてくる。俺は観念して、サンドラの金髪をポンポンと撫で叩いた。
「分かったよ、悪かった。サンドラはもう言うこと言ったか?」
「じゃあ、ウィンディについて追加で」
サンドラは指を立てる。サンドラって経歴が特殊なのもあって、結構冒険者について知ってることが多いな。
「あたしがペーペーだった時に、少しだけ噂を聞いた。単身でドラゴン狩りしたとか、素手で腕の立つ盗賊団を全滅させたとか、話題に上る冒険者だった」
「前から有名だったのか」
「そう。重要なのは、逸話から分かる強さのレベル感」
サンドラが言う。
「単身でドラゴン狩りとか、素手で悪徳組織を荒らした人、身近にいる?」
俺は考え、答えた。
「俺だわ」
「そう。そこから、数年経ったのがウィンディ。つい最近こなしたのがウェイド。警戒は怠らないように」
そう言われると、中々警戒し甲斐があるというものだ。俺も『未来の俺並みの実力者』と戦うと思うといくらか手を考える必要があるし、他のメンバーも顔が引きつっている。
「分かった。気が引き締まったな。ありがとサンドラ」
「それほどでもある。今度デートしよ」
「いいぞ、時間作るな」
以前と違って、俺とサンドラのデート予約に突っ込む人間はいなかった。みんな仲良くなったのだな、と思うと俺も嬉しい。
「じゃあ、みんなも気を付けてくれよ。俺も気を付けて、招待されてくる」
俺は言って、ホットドッグを口に詰め込む。
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