#25.



 「いいか、2人とも。人は絶対1人では生きていけない。絶対だ。誰かに、それとも何かに助けを求めたりするもんだ。もしお前たちが挫けそうになったり、挫けそうな誰かを見つけた時はそいつの手を取って寄り添うんだ。助けが欲しい時は思いっきり手を伸ばすんだ。でっかい声で必死に叫ぶんだ。誰かに気づいてもらえるまでな。絶対1人になったらダメだぞ! これは師匠からの唯一のお願いだ!」


オレの願いを胸元でじっと聞いているニケと優子は、オレの体からゆっくりと離れた。2人が顔を上げると、そこには春に咲く花のような優しい笑顔がオレの胸に咲いた。それを見たオレもつられて春が訪れた。


 「しょうがないね。いつもはムカつくことを言ったりしてくる師匠だけど、そのお願いだけはちゃんと聞いてあげるよ」

 「私も今の師匠の言葉を心の中に大事にしまっておきます」


そう言って涙目になっている優子を見ると、オレもぐっと感情が昂った。それを堪えながらニケには気づかれないように意識をオレに向けた。


 「へへ、ありがとうな。2人とも」

 「また、泊まりに来ていいですか?」

 「うん、もちろん! いつでもいいぞ」

 「あ、ありがとうございます」

 「僕、優子がそんなに泣くんだって初めて知ったよ」

 「私を何だと思ってるんですか? ニケさん」


とっくにバレていた。まぁ優子が涙を流す理由を知らなければいいか。涙を流す優子を見守るように微笑んでいるニケの顔がオレの心を一層暖かくさせた。いつまでもこの時間が続いてくれればいいのにと、オレは神様に切に願った。


 「じゃあ次はニケの隠し事でも聞くか!」

 「は!? 僕は何も無いよ」

 「え~? 顔にウソって書いてあるぞ~」

 「眠くなってきたから僕はそろそろ寝る」


慌ててそっぽを向くニケの背中を思いっきり抱きしめたくなったが、優子のいる時にベタベタくっつきすぎるのも良くないと自分を抑えた。


 「ハハ、ふてくされるなよ。まぁ時間も時間ってのは確かにあるな。そろそろ寝るか?」

 「そうですね。そうしましょう」


オレたちはそれぞれが使ったグラスを元にあった場所へ片付けて階段を上り寝床へ向かった。とんとんと3人分の階段を上る足音を聞いているだけで今日のオレは嬉しくなった。それに、家に漂う程よくひんやりとした空気が何とも心地よく思えた。階段を上り終えてオレと優子は突き当たりにあるオレの部屋のドアにたどり着いた。その手前にあるのがニケの部屋だ。


 「じゃあ優子はオレの部屋で寝るか。ベッド、1つしかないけどデカいから心配しないでくれ」

 「はい。もちろんです」

 「師匠、優子に変な事したらダメだよ」


目を細めながらオレを注意するニケの顔を見て、オレは自然と顔の筋肉が緩んだ。


 「変な事って何だ? ニケ、何考えてんだよ! いやらしいぃー! 酒でも飲んだかぁ!?」


 家の外にも届きそうな声でニケをからかうと、ニケの顔がさっきの風呂上がりに見た時みたいに一瞬で真っ赤になった。


 「く、くすぐったりイジワルするなって事だよ! 逆に何考えてんだよ! 師匠は!」

 「ハハ、さぁ思春期少年とはここでお別れしてオレたち美女はこっちだ。じゃあニケ、また明日な」

 「……馬鹿にしやがって」

 「オレはお前のそういうとこ大好きだよ。じゃあおやすみ」

 「……おやすみ。ゆ、優子もおやすみ」

 「おやすみなさい」


ニケはそっぽを向きながらも、それこそ猫の鳴き声のように小さな声でオレに返事をした。ニケが部屋のドアをぱたんと閉めたのを確認してからオレは部屋のドアを開けた。


 「ニケは純粋だよ。本当に可愛い」

 「そうですね、私もそう思います」

 「ふふ、優子から本心でそう言ってもらえるあいつは幸せ者だな。素直に羨ましすぎる」


今日は終始ニケの話題を優子としながらオレと優子はベッドに入った。ひんやりと程よく冷たい布団が気持ちいい。優子が寒がらないといいが。


 「寒くないか?」

 「はい、とっても心地いいです」

 「そりゃ良かった。疲れてるだろうから、いっぱい休んでくれよ」

 「はい。あ、師匠ワガママ言ってもいいですか?」

 「うん? どうした?」

 「今日、師匠にくっついて寝てもいいですか?」


まるでピアノの音色のように綺麗で優しい優子の声を聞いて、オレはまた気持ちが込み上げた。オレも酒が回っているのか、今日はやたらと泣いてしまいそうになる。


 「うん、もちろんいいよ」


抱きしめた優子の体は小刻みに震えていた。それと鼻をすする音も微かに聞こえた。湯たんぽのように体が温かい優子を全身で包み込むように抱きしめた。すると、オレの胸元で優子が柔らかく笑った。


 「……師匠、暖かいです」

 「優子、さっきは悲しい思いをさせてごめんな」

 「……もう我慢しなくてもいいですか?」

 「うん、しなくてもいい。頑張ってくれてありがとうな。泣きたいだけ泣いたらいい。オレの胸で受け止めてやる。って、イケメンすぎる台詞言っちゃって逆に恥ずかしくなってきた」


オレの体に抱きついたまま優子は、ダムが決壊したように泣きじゃくった。オレは優子の体を強く抱きしめ、さらさらの髪を優しく撫で続けた。泣き疲れた優子は顔をぐしゃぐしゃにしたまま眠りについた。張り詰めていた糸が切れたのか、いつの間にかオレの目からも涙が零れ落ちていた。ティッシュを1枚箱から引き抜いて優子の濡れた顔を拭っても優子は起きる気配がなく、気持ちよさそうに眠っている。そんな優子の髪をオレはいつまでも撫で続けた。ふと机の上にある写真立てに入った琥珀さんと二人で映る写真がオレの視界に入った。


 「師匠。オレ、この子たちの師匠になれて本当によかったよ」


オレの独り言に、うーんと優子が反応した。オレの瞼も次第に重くなっていく。今日でまたひとつ、この場所でとても大切な思い出ができた。ぐっすりと眠ったその日の夜、オレは夢の中で琥珀さんに抱きしめられた。


 『香澄は私なんかよりも、とっても立派な師匠だよ。これからも、オレの一番弟子として見守っているからね』


夢の中で聞いた琥珀さんの言葉が、目を覚ましてもオレは鮮明に覚えていた。オレは隣で眠る優子を包み込むように優しく抱きしめた。


 「んー」


優子もぎゅっと抱きしめ返してきた。小鳥がさえずる鳴き声と、カーテンの隙間から差し込む優しい陽の光。幸せな朝とは、この瞬間みたいな事を言うのだろう。穏やかな空気が流れる5月の朝だった。

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