第4話-2 ヒュペリオンの才能
気が付くと、巨大な門を押さえるアトラスが目の前にいた。背丈は小さいが、それでも3メートルあるだろう。
門は真っ白で、傷一つない。装飾はないがそれゆえに美しく、まるで大理石のように見えた。
ただ、それは何かを妨げるように佇んでいる。
というのも僕はそれを門と解釈したが、ほとんど壁のようだった。一応、アトラスが押さえている手元にはわずかな線がみられる。
僕の呼びかけにも、アトラスの反応はない。背中を向けたままの彼女に近づこうとしたとき、背後から巨大な影に覆われた。
振り返ると、巨大な緑色の翼を備えた妙齢の女性が立っている。
よく見ると腕は肘の辺りから翼へと変化しており、耳や瞼まで羽毛に覆われているのが分かった。
テラスだと直感し身構えようとするが、腕輪が無い。アトラスも相変わらず背中を向けたままである。あたふたと動き回る僕に、目の前のテラスは語り掛けてくる。
「汗臭いなぁ」
ボソッとした一言だけが響いた途端、景色が変わっていた。
視界いっぱいに夕暮れの薄暗い空が広がり、銀杏の木が端に映っている。姿勢もさっきと変わり、寝転んだ状態。背中の硬い感触から、ベンチの上だと理解する。
状況が飲み込めず空を見つめていると、見慣れた後輩の顔が横から入り込んできた。
「うおっ」
「おはようございます」
レイアが僕に微笑む。その穏やかな笑顔に、聖母のような雰囲気を覚えたが、覗く八重歯はいつもの後輩だった。
「あれっ、生きているの?」
アトラスの困惑した声も脳内に響き渡る。
「あぁ、えーっと、おはよう」
レイアは「全く、苦労したんですよ」と前後に身体を揺すりながら訴えてくる。
「僕、ナイフで刺されて……それで意識を失って……」
「そうなんですか?傷なんて全然なかったですよ、血も出てなかったですし。ただ、廃工場付近で倒れていたので運んで来たんです」
首を傾げる彼女を見て、そんな馬鹿なと思いつつ腹部に触れるが、感触に違和感はない。
飛び上がるように起きると、服をたくし上げて確認する。しかし、そこには傷一つ無い。
「な、なにこれ?」
アトラスもそんな声を上げる。僕は驚きのあまり口をぽかんと開けたまま、さらさらと自分のお腹をなでていた。
「ね、何もないですよ」
「いやいやいや、嘘だろそんなの」
ようやく出せた言葉はそんなもんであった。
ある種の幻覚を見ていたのか、いやそんなはずはない。あの時感じた痛みは本物だった。確実に傷は負ったはず。だとすれば何者かが治療した、もしくは腕輪の新たな効果か。
そんなことを考えていると、瀬里奈のことを思い出した。
「そうだ、瀬里奈さんは見てない?」
「瀬里奈さん……あ、工場の近くで見ましたよ。なんかピンク頭の男と歩いてましたね。彼氏かな」
「えぇ……」
仮にも人殺しをした後でデートに移れるか。それにそのピンク頭の男は何者なんだ。
「でも、なんだか怪しかったですね」
「怪しい?」
「はい、やけに人と距離を置いていましたし。なんとなく気になって遠目で見たんですけど、声はかけられませんでした。少し後を付けてみたんですけど、そのまま家に帰ったみたいです」
やはり瀬里奈には何かがある。
……というか。
「レイアは大丈夫なの?」
「大丈夫って、何がですか?」
「追跡してて何かされたりとか」
「別に大丈夫ですよ」
平然と答える彼女にセンスを感じてしまい、たじろいだ。下の世代は自分が思ってたよりも優秀なのかもしれない。ただ、それでも彼女たちのことは心配でならなかった。今は運良く、テラスの脅威から逃れることが出来ているだけかもしれない。
でも。瀬里奈は簡単に僕のことを刺してみせた。もしかしたら僕よりも……いや。
他の人もそうなのかもしれない。僕が思っている以上にみんなとは差があって。それをみんなが隠していただけなのかもしれない。
「僕が弱いだけなのか……?」
「弱くはないと思いますよ」
「そうかい?でもやっぱりテr……超巨大変異体は怖いし」
「私だって、訳の分からないものは怖いですよ。でも、私たちはこういうのに慣れてますし」
「それはまぁ、俺たちは元々パーティだったし。零士は違うけど」
「私は今もパーティですが。とにかく、普通の人にできないからこそ、私たちがやるんですよ。力を持っている私たちが」
顔を上げた僕に、レイアは微笑みながら続ける。
「そして、一人よりも二人、二人よりも三人、仲間同士助け合うからこそいいんじゃないですか。そこに強いも弱いもないですよ」
「……そっか」
そう言いながらも僕は、彼らに危険が及んでほしくないと思っていた。ただそれは、彼らを仲間だと思っているからこそ生まれたのだと確信する。
「じゃあ、助けるしかな……ん?」
ベンチの前に立っている姿があった。血まみれのフードを被っている背の高い……うっすら見えた顔は首が斜めになったまま固まっている。まさか革命派?
いや、その顔は。頬の肉が欠けているが、紛れもなく明日羅であった。
「な、なにしてるんですか?」
問いかけを無視し、彼女は拳を振り上げた。
瞬間、レイアはそれが振り下ろされるより早く、明日羅の脇腹に回し蹴りを喰らわした。
鍛え抜かれた肉体とスーツから引き出される凄まじい威力の蹴り。だが明日羅は踏ん張りながら数メートル移動した程度で、彼女が化け物であることを理解させた。
「逃げますよ!」
呆気にとられた僕をレイアが引っ張り、その場から駆け出して行く。
だが、不意に視界が覆われた。
手の感触だが不自然であった。右外から覆われているのに、下に親指がついている。手のひらで覆っているはずなのに、向きがおかしい。
その手に引き留められ、その場に叩きつけられた。
「布令!」
僕は慌てて身体を起こすと、明日羅をチラリと見る。その姿は不気味そのもの。自分を押さえつけたのは右手ではない。右側に生えた左手であった。よく見ると左手はそのまま左手……今の明日羅は両手が左手と化していた。
「僕は大丈夫だけど、明らかにヤバいよこれ」
明日羅の手だけではない。銀杏並木の前には人も集まってきている。傍から見れば人間の喧嘩、彼らは見物程度なのかもしれないが。
ここで戦うわけにはいかない。でも……。
先ほどの”仲間”という言葉が脳裏にちらついた。このままではレイアも巻き込んでしまう。
「どうしますか!?」
脳内に反響するレイアの声に、僕は不本意であったが答えた。
「もう一回運んでもらえる?できるだけ離れよう、ここじゃだめだ。人気のないところじゃないと」
その言葉に対し、しばらくが返事がない。「レイア?」と聞いたところで、彼女は目を見開き、重々しい口調で言った。
「……わかりました」
僕は彼女の細腕にがっしりと抱え込まれ運ばれていく。背後からは明日羅が追ってきている。彼女は明日羅なのか分からないが、今のところは明日羅と呼称する。
「ちょっと激しくなりますよ」
空を飛ぶように移動している僕たちを見て、人々が何か歓声を上げている。
街路樹を飛び越え、飛び込むようにしてビルとビルの間へと駆け込む。
レイアはビルの壁に足をかけると、忍者さながらの壁と壁の飛び移りを見せる。飛び移りながら屋上へと上がっていく。
だが、明日羅はそれまでも見越してか大きく飛ぶと、屋上の淵に立つ。
そのまま拳を作ると、こちらへ垂直の壁を足場にして駆け下りてくる。
「そんなのありかよ」僕が思わずつぶやいていたが、レイアの顔は平然としていた。
そして、「ちょっと失礼」とどこか明るい口調で言うと、そのまま壁を引き剥がした。
「え?」
そのまま引き剥がされた壁は明日羅の足元までえぐる。
足場を失った明日羅はそのまま地面へと落ちていった。
「少しはいい所見せられましたかね?」
屋上に降り立ち、レイアは得意げに微笑むのであった。
* *
日はすでに落ちている。
アパートの一室にパッと光がともった。
そこには血だまりの中に、血まみれで椅子に座っている零士と、返り血に染まった瀬里奈がいる。
「はー、マジでイかれてるでしょ。あんたの身体どうなってんの?神経ないの?」
「なぜIBEXになった」
零士からは昼の時と変わらないトーンで質問が来ていた。
「なぜ裏切った」
その質問に対し、瀬里奈は頭をかくと、呟いた。
「もういいや、殺す。殺すからいいわ、答えるよ」
その言葉に零士は悲鳴も懇願の一つもしない。
ため息をつくと、言葉をつづける。
「私はね、強い人に憧れるの。一番、圧倒的に強い人に。ずっと追いかけていたの」
「それがどう関係するというんだ?」
「私はね、ずっと追いかけていたの。最強を」
「それが明日羅さんだろう」
零士の答えに瀬里奈は声を荒げた。
「あんな奴のどこが?違うでしょ、みんな言わないけどさ」
「……何を言っている?」
瀬里奈は高らかに笑った。
それは響き渡り、狂気のようにも捉えることができたが、その瞳から涙が零れ落ちているのを見るに慟哭のようにも見受けられる。
「そうやって忘れたふりをするよね、史上最強の存在を」
そこで零士は瀬里奈の言葉が読めたのである。
「お前……」
「5年前の同時多発テロ事件、本当に活躍したのは私でも明日羅でもない」
そのまま零士の背中に回り肩にナイフを振り下ろす。
それでも声を上げない零士に歯ぎしりをしながら、怨嗟のように呟いた。
「人間として戦績が認められなかった」
彼女のつぶやきに零士は顔を落としたまま無言であった。
瀬里奈は言葉を続ける。
「始お兄ちゃんでしょ」
【あいさつ文】
お世話になっております。やまだしんじです。
ここまで読んでくださりありがとうございました。よろしければ、作品のフォローや↓の☆☆☆を★★★にする、または応援レビューなどをしてくださると大変うれしいです。執筆のモチベーションにもつながります。
これからもよろしくお願いいたします。
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