第2話-4 ヒュドラ狩り
レイアの淡々とした話を、瀬里奈は恐る恐る聞いていた。こう語る彼女が今まで生き残っているということは、彼女もまた誰かのことを生贄としていたのだろうか……。
そんな恐ろしい考えが脳裏をよぎったところで、先ほど出ていった布令から連絡が入った。
「どうしたの?」
「二人ともそこから動かないで、僕が今からヒュドラを狩る」
* * *
「とんだやつらを連れてきてくれたみたいじゃないか?」
出炉の目の前でヒュドラは嫌味たらしく呟いた。
彼がこの怪物の存在に気付いたのは二度寝の最中。どこからかスルスルと地面を這うような音が聞こえてきたのである。
不思議に思いながらカーテンを開けると、床に違和感を覚えた。鉄の匂いのする赤い液体が広がっている。
「うわっ……」
呆気に取られていると、視界の端に影がちらついた。それは巨大な蛇。胴体は病室の外まで続き、全貌が掴めない程の大きさである。
そして血塗られた口元から、この生物が血だまりを作った犯人だと直感した。
「さて、次は貴様を食らうとするか」
大蛇が大きな口を開くと同時に、出炉も咄嗟に口を開いた。
「待ってくれ!俺にはすぐにでも呼び出せる知り合いがいる。彼らを連れてくる代わりに俺を逃がしてくれないか?」
喰らいつく寸前で大蛇が動きを止める。
「なるほど、貴様もそういう男か」
そうつぶやいた途端、口から何かを吐き出し、出炉に浴びせた。
まともに食らった出炉は全身が強烈な痛みと痺れに襲われ、身体が沸騰しそうなほど熱くなっていく。
苦しみに悶える姿を見て、大蛇が言い放つ。
「我が名はヒュドラ、いま貴様にくれてやったのは我の毒だ。貴様はこれから我に人間を献上せよ。それが出来なければ、毒の濃度を強くして殺す」
出炉は恐怖と痛みに震えながら、首を縦に振る。
そんな彼の様子を見て、ヒュドラは満足そうに去っていった。
* * *
「まったく、一人目があんなのだとはな」
ヒュドラは舌をちろりと動かし、黒い瞳でしっかりと出炉を捉えた。
「や、やめろ!やめてくれ!」
出炉はベッドの隅っこに追い込まれる。ヒュドラはニヤリと微笑むと、瞳を緑色に輝かせた。
その瞬間、毒を吹きかけられた時の痛みが再びぶり返してくる。今度は全身が燃えるかのように熱い。
「ぐぁあああああああ!」
悲鳴を上げた。だが痛みが治まることはない。むしろどんどん強くなっている。
「ふふ、誰にも必要とされず、餌にもなれず、死んでいくがいい」
その時だった。
窓ガラスを突き破りながら病室に飛び込み、ヒュドラの頭を殴りつける男。
ヒュドラが一瞬怯み、瞳の輝きが失われると、出炉の叫びがか細い呼吸に切り替わる。
「ぐっ……貴様ぁ!」
目の前に立っているのは布令の姿だった。
* * *
僕の姿を見て、出炉は驚いた表情をしていた。
「お、お前は何をしてるんだ?」
その問いかけを無視し、逆に質問を投げかける。
「ねぇ出炉隊長、なんであなたは未来建設小隊にいるの?」
急に飛んできた言葉の意味が分からなかったのか、彼はキョトンとしている。
「僕はどうして追い出されたんだっけ?」
「それは……」
言葉が出てこない様子を背中で伺いながら、さらに問い詰める。
「僕じゃ市民を守れないから、じゃないの? 僕は実力不足で敵に甘いんでしょ?」
生唾を飲む音だけが聞こえた。
僕は後ろをちらっと見ると、最後の質問をする。
「市民を守るのが未来建設小隊じゃないの?」
廊下へ引き下がるヒュドラを追いかけようとすると、背後から叫び声が聞こえた。
「なにをしているんだ!?死ぬぞ!」
「違うよ、僕は生きるんだ。みんなを守って」
建物の外に出ようとするヒュドラの首を走って掴むと、そのまま飛び出しながら叫んだ。
「アトラス!!」
瞬く間に女神の姿へと変身すると、ヒュドラの首を引きちぎる。人と獣が混ざったような叫び声が聞こえた。
それに呼応するかのように、駐車場の地面から地響きと共に巨大な物体がせり上がる。真ん丸とした胴体に一つの尾、数十本の首を生やしたテラス。大きさは女神の姿となった僕を一回りも超えている。
「テラスは僕たちが追放する!」
「黙れぃ!」
噛みつこうと向かってくる首を一本、また一本と掴んでは引きちぎる。そのたびに叫び声が上がるのだが、違和感に気づいた。
首が再生しているのである。そして断面から噴き出した毒は、コンクリートに当たるとジュっと音を立てて、白い煙を出していた。
「あれはやばそうだね」
「あぁ、ヒュドラの毒は神話世界でも数多くの英雄を殺してる。直撃したら私たちもただでは済まないかも」
「しかも再生能力まで……」
そう話している間にも、次々と飛び掛かってくる。ジャブの連続のようだが、軽く食らうだけでも必殺の一撃になるかもしれない。
きりの無い連続攻撃に、僕たちは一旦大きく距離を取った。
だが当然、こちらからも攻撃はできない。得意の近接技を繰り出せないどころか、このままでは制限時間が来てしまう。
「ねぇ、何かないの?安全に攻撃する方法」
「そうだねぇ……あ、腕輪!」
「腕輪?」
「そう、腕輪を見て!」
言うとおりに右腕を見るが、なんの変哲もないいつもの腕輪が付いているだけ。
「それを使って」
「どうやって?」
「腕輪の一番手前にいる神に触れるの。この状況を打開できるはず」
「わかった」
僕はそれに従って、ちょうどアトラスがその手にキスをしている神に触れた。
天空から白い光が降ってくる。それは巨大な光柱を形成し僕を包み込むと、布のようなものに変化しながら全身を覆い始める。
光が消えると、身体には真っ白のローブがまとわれていた。右手にはまるで雷のように不規則に曲がった形をした、白く光輝く槍が握られている。
「これは……?」
上手く状況を飲み込めない僕にアトラスは自慢げに言った。
「ゼウス神の力だよ。これさえあればヒュドラなんかに負けない、はず」
最後の一言で若干不安になるが、今はこの力を使うしかなさそうだ。
「ここからどうすればいいの?」
「今持っている槍、ゼウスの
「わかった」
槍投げのように構えると、ゼウスの雷がさらに光を増した。ヒュドラはそんな様子を見て、先ほどと同じように首を飛ばしてくる。
僕は目一杯の力を込めて雷を投げた。
それは一筋の光となり、次々と首を打ち貫いていく。ヒュドラは絶叫を上げ、首は再生することなく燃え始める。
「これは……!?」
その力に思わず声が出てしまう。
念を送り雷を手に引き戻すと、今度は一気に踏み込んで胴体に突き刺した。
周囲に魔法陣が大きく浮かぶと、一瞬で収束し全身を白い炎が包み込む。
ヒュドラは今まで聞いたことの無い絶叫を上げながら蒸発していった。
* * *
荒れ果てた駐車場で、車止めに座りながら腕輪を眺める。
「やったじゃない!」
声をかけてくれたアトラスに対し、僕は「あぁ」とそっけなく返した。
「どうしたの?」
僕に違和感があったのか、彼女が心配してくるが、僕ははにかみながら返す。
「別に。なんでもないよ」
そんな話をしていると、松葉杖をつきながらやって来る出炉が見えた。
「……布令、なのか?」
「うん、僕だよ」
出炉は少しだけ安心した顔をすると、申し訳なさそうに呟く。
「ごめんな……」
「仕方ないよ、僕はまだ弱いから」
微妙な空気が流れる。だが、不思議と居心地は悪くない。
「おーい!」
遠くから嬉しそうに瀬里奈が走ってきた。
「助かったよ布令君。大活躍だったね!……あれ、何を話しているの?」
「仲直り、かな」
僕は出炉に背を向けると、その場から離れていく。
そして後ろ手を振った。
第2話完
【あいさつ文】
お世話になっております。やまだしんじです。
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