それは口にしてはいけない禁断の言葉
麓まで下ると、人々のざわめきが聞こえてくる。その騒がしさに誘われるように歩みを進めると、土が剥き出しの荒れた小道から舗装された通りに切り替わり、そこでようやっと街に着いたのだと実感する。
スライムとの死闘を終え、なんとかはじまりの街に帰ってきた。
クエストクリアすれば自動的に元いた街に転送。そんなよくあるシステムはこのゲームにはないようで、私は徒歩で帰らされるはめに。
回復アイテムなんて持ってないから、戦闘で負ったダメージはそのまんま。スライムに溶かされそうになった肌は火傷のようにヒリヒリ痛むし、疲労困憊で満身創痍。
どこかでモンスターと遭遇しようものなら即死間違いなしだったけど、まぁなんとか帰ってこれた。
無論、無事というわけではない。身体中にべっとりスライムがまとわりついたままなのだ。
別に好きでこうしてる訳じゃない。
爆発四散したスライムの雨に打たれ、私はとんでもない姿になってしまったが、この緑色のヌメヌメはいくら川の水で洗っても落ちなかったから。もうしょうがないと自分を納得させてそのまま帰ってきた。
言っておくが、私にそういう趣味はない。
「ううっ、キモい……」
肌にまとわりつく部分が妙にひんやりしているし、日差しに照らされて乾燥してきたのかカピカピになっているところもある。そのへんの感触がいちいち生々しいくて鳥肌が立つ。
もし、スライムを倒すたびこうなるのなら、何を考えてこんな仕様にしたのか開発者を小一時間とっちめたい。
この姿のまま街を徘徊してるが、そろそろ周囲の視線が辛い。とっととスライム狩りの依頼者を探して、せめてもの慰めとして10万を貰いたい。
しかし、困ったことにアテがない。ミスターXなんてのは間違いなく偽名。プレイヤー検索をかけても引っかからないだろうし、名前で聞き込みをしたところで意味がない。
どういう意図で名前を伏せてるかは知らないが、どうあれめんどくさい相手だということは間違いなさそうだ。
そこへ、ピコリンと通知音が流れ、視界の端に赤いビックリマークが浮かぶ。個人チャットの受信通知。
見ると、差出人は例のミスターXだった。
『Congratulations! よくぞスライムを倒したものだ。そんな勇者にプレゼントがある。直接お会いしたいので掲示板広場に来てくれませんか?』
彼からのチャットに書かれているのは簡潔にそれだけ。たったそれだけが、神経を逆撫でしてくる。
なーにがコングラッチュレーションズだ。こっちの苦労をたった一単語まとめてくれちゃってさ。もう少し労いの言葉があっても良いだろう。そんなもんじゃ、全然収まりがつかないからな。
というか、なんか偉ぶってる文面なのに、なんで最後だけ敬語なのさ。一貫性のなさがムズムズして……あー、気持ち悪い。
でも、直接会いたいと言ってきたのは悪くない。探す手間が省けて願ったり叶ったり。文面に違和感しかなくとも、行かない理由はない。
掲示板広場に行くと、相変わらずクエストを受けようとやって来た人たちで混雑気味だった。
しかし、その人混みに私が近づくと、サッと左右に割れる。何を言うわけでもなく示し合わせたかのように自然と人が道を譲ってくれる様を見ると、偉い人になったような気分になる。
しかし、これはただ単に避けられてるだけ。危ないものとは距離を取ろうという、生物に備わった当然の回避行動の結果でしかない。
まあ、こういうのは昔から慣れている。避けられたり汚いもの扱いされるのは。人間は理解の及ばないものを拒絶する生き物。だから、仕方ない。
「初めまして、ルナさん」
突然、声をかけられた。
振り向くとそこには若い男がいた。ポロシャツにチノパンという、いわゆる普通の大学生のような、不快感の無いレベルに身だしなみを整えているザ・普通の人。でも顔は普通にイケメン。
ゲームを始めてから目に入る人たち全てが変な格好をしているもんだから、ちゃんとした彼を見て感動すら覚えてしまう。
しかしながら、初対面の男に自分の名前を知られているということは、あまりいい気はしない。特に、自分の情報をあまり他人に知られたくない、こういうMMOの中となればなおさら。
「あの、どちら様ですか? それにどうして私の名前を?」
「僕の名前はキバ。ミスターXって言えば分かるかな」
そうかそうか、お前がそうか。
彼の言葉はこれ以上ないってくらい的確に私の疑問を全部紐解いてくれた。
要するにコイツは諸悪の根源だ。この見るからに好青年風のイケメンのせいで私はスライムに殺されかけたし、服を溶かされて陵辱されかけたというわけ。
「あなたがミスターX! 初心者をスライムにけしかけるなんて、なかなかに立派な趣味をお持ちですね」
心に閉じ込めてたことが、思わず口をついてしまった。言うつもりは毛頭なかったんだけど、一切悪びれもしない顔を見てたらつい。
「……」
「よろしくお願いします!」
無言のキバさんに握手を求める。空気と反応し濁った色に変化したヌルヌルに塗れた手を私は差し出し、それを見て彼は固まった。
そして彼は私の頭の先から──
「実に、苦労したみたいだね……」
慎重に言葉を選んで言った。
その目には憐れみの色が浮かんでいて、まるで雨に打たれる捨て猫を見るように、ただただ心から可哀想と思われている。
まるで他人事だ。
私にはそれがどうにも気に入らない。
「そうそう、とーっても苦労しましたよ。でも、誰のせいだとお思いで?」
煮えたぎる気持ちがおさまらず、彼の胸ぐらを掴み上げる。
「スライムかな……?」
「冗談を言っていいタイミングはよーく考えた方がいいと思いますよ。まあ、それはそれで一応正解ではありますし、これ以上はあまり深くは言いませんが。
でももし、心当たりがあるのなら、とっとと10万くーださい! さもなくばアンタをブン殴る」
「分かった、分かったから! 何でもするから暴力はやめたほうがいい」
彼は言った。
間違いなく、確実に。
「へぇー何でもしてくれるんだ」
軽はずみに口にしてはいけない禁断の言葉を。
「それじゃあ──」
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