続・現代の平凡サラリーマン、悩みが尽きない

クッソ・フヴィン

第1話

 2019年、東日本大震災の影響もようやく薄れてきたが、震災で発生した廃棄物が確実に爪痕を残している中でまたも天災は発生した。

 同年10月、台風19号が発生。過去にないほどの降水量によって阿武隈川が氾濫し広範囲に影響を及ぼした。




「埋め立て地を広くするために増設工事はしないんですか?」


 台風が来る前日に俺はお世話になっている最終処分場(埋め立て処分場)に打ち合わせに来ていた。


「もちろん増設したいんだけどね、色々厄介ごとが多いんですよ」

「厄介ごとですか?それは費用的な事で?」

「それももちろんあります。施行してくれる工事会社を見つけないといけないとか……。でも、一番は近隣住民からの苦情です」


 ……この業界は本当に近隣住民の影響が大きい。

 俺こと塩野が務める会社は宮澤産業と言い、産業廃棄物運搬業等を生業としている福島県中通りにある零細企業だ。


「苦情を出すんですか、一般市民が?……でも、埋め立て処分場がないと復興もインフラ工事も、なんならショッピングモールだって作る事は出来ませんよ。それくらい少し考えればわかると思うんですが……」

「その通りなんですけどね。それでも自分たちの住む土地の近くに埋め立て処分場があるという事は嫌みたいでして。環境汚染や水質に悪い影響があると思っているらしいんです。そして、そういう事を吹聴する人達が実際にいるみたいなんですよ」

「迷惑な話ですね。実際に環境汚染にはならないんですよね?」

「ええ。埋め立てする場所には全面防水シートを敷いて遮水工事をしていますからね、土壌への滲出は一切ありません。雨水等も集水設備を通してから流すので土壌や地下水に影響を与えないように出来ています。それに行政に協力してもらって一般の方々向けに説明会を開いたりもしているんですよ」


 それでも現状はあまり芳しくはないらしい。


「このままでは埋め立てするスペースがなくなるでしょうね」

「それが一番困るんですよ。中間処理場(焼却場や破砕施設)も処理後の廃棄物の受け入れ先がなくなりますから、機能を停止せざるを得ない。県内の工事を止めることになります」

「ええ、震災から大分経ちますが、それでも廃棄物は毎日たくさん出ています。このままではもって2年……。いや、1年程でいっぱいになるかもしれません」

「い、1年ですか?すぐじゃないですか……」

「ええ、増設工事には2、3年かかりますから……。しばらくは止める事になるでしょうね」


 懇意にしている最終処分場は他にもあるが、それでも1社止まるだけでとんでもない大打撃だ。この調子では他の処分場もいつ止まってもおかしくない。


「せめて近隣住民から理解を得られれば違うんでしょうけどね」


 なんてことはない。復興を望んでいる人間が一番復興の邪魔をしているのだ。なんとも皮肉な話である。




 会社に戻り部長に今日行った処分場の近況を説明した。


「やはり厳しい状況だな。はあ……どうしたものか」

「このままでは中間処理場にも影響が出るでしょうね。いや、既に多少は出ているんですが」


 どうしたものかと悩みつつも、俺は明日からの3連休に浮かれていた。連休を取れるなんて本当に久しぶりだ、楽しみで仕方なかった。




 連休1日目。記録的な大雨が福島県を襲った。


「うわ……、全然雨やまないよ。大丈夫なのか、これ。」


 朝から激しく降る雨は弱まる気配がまったくない。


「ナナ。すごいぞ、外。見てみろよ、雨ザーザーだぞ」


 話しかけた相手は飼い猫のナナだ。雄猫で7月にうちに来たのでナナと名付けた。しかし、まったく関心を示さない。

 この猫は子猫の時からあまり懐かない子だった。以前飼っていた雌猫の花子はベタベタとすり寄って来る子だったが、ナナはまったく違う。多少撫でさせてくれはするが、抱っこすると「やめろ」と言わんばかりにすぐにどこかに行ってしまう。去勢前は気性が激しい時期もあり、家中にマーキングをしていた。そのため動物病院の勧めもあり、今はタマタマがナッシーである。


「本当にそっけないな、おまえは」




 夕方になっても雨が弱まることはなかった。ニュースでは阿武隈川が氾濫したと報じて、決して近づいてはいけないと警報が出ていた。この辺りで俺はとてつもなく嫌な予感をしていた。

 そんな予感が的中したのか携帯電話が着信音を鳴らす。


 ああ、出たくない。まだ連休1日目だぞ。


 電話の相手は祖田建設の菅野さんだった。


「…もしもし、お世話になっております。宮澤産業の塩野です」

「祖田建設の菅野です、お世話さまです。塩野さん、ごめんね。今日お休みだった?」


 もちろんそうですよ。と言い電話を切りたい所だが我慢する。


「いえ、大丈夫ですよ。どうかされましたか?」

「月舘総合病院の現場なんだけどさ、今大変なことになってるんだ。もう引渡し前(施工工事終了目前)なのに最悪だよ」


 そうでしょうね、たしか阿武隈川付近でしたし。


「川が氾濫して水が来たんだ。もう完全に床上浸水してる。1階にある機器を避難させないと全部ダメになっちゃうよ。本当は今すぐ来てほしいけどさ、もう夕方だし、明日手伝いに来てくれない?頼むよ!」


 嫌です!本当に嫌!そう叫びたい衝動を抑え返事をする。


「……わかりました。行ける人間を連れて明日そちらに行きます……」

「本当?助かるよ、ありがとう!待ってるからね!」


 こうして俺の連休は1日で終了した。しかし、本当の地獄はここからである。作業員一人ひとりに連絡を取り、明日の休日、仕事に出てくれとお願いをしなければならないのだ。……結果としては罵詈雑言の嵐だった。




「……おはようございます、部長」


 休んでいない連休明け、俺は会社に顔を出した。


「おはよう、大変だったな。でも、祖田建設さんからお礼の連絡あったらしいぞ、よくやった」

「全然嬉しくないです……、だったら臨時ボーナスでもください、結局13日だけでなく14日も仕事だったんですから」

「そういう事は社長に言え」


 社長に言っても期待できるかどうかはかなり怪しい。


「で、どうだったんだ、月舘総合病院は?」

「結論から言うとあまりよかったとは言えませんでした。12日の夜、ピーク時点で床上1メートル近くまで上がったそうです。1階部分はほぼ水没ですね。高価な機材は2階にあったので無事だったのが不幸中の幸いですが、1階にあったベッド等の寝具や電子機器は全滅だそうです。後、壁紙も1階部分は全部張り替えるそうですよ。菅野さん、死にそうな顔していました」

「それは気の毒だな」

「とは言っても、うちに出来るのはこれくらいでしょうね。後はコンテナ(廃棄物を入れる箱)を設置すれば祖田建設さんのほうで何とかするそうです」

「手配は?」

「もうしました、丁度空いてましたし。というか、この状況では市内の現場はキャンセル出るんじゃないですか?」

「ああ、もう何件かは連絡来てるよ。現場止まっているそうだ」


 それはそうだろうな……、と思いつつ事務所を見渡すと違和感があった。


「あれ、今日来てる人少なくないですか?」

「ああ、住んでる家やアパートが床上浸水した社員が結構いてな。片付けが終わるまで休みだ」


 羨ましいような羨ましくないような不思議な気分だった。


「あれ?専務も休みですが、珍しい。でも、専務の住んでる所この辺でしたよね、台風の被害はなかったのでは?」

「ああ、専務は別の理由」


 そんな話をしていると、慌ただしくドアを開けて事務所に入って来る人がいた。


「部長、塩野君!仕事取ってきたぞ、楽々亭の郡山工場だ!こいつは大きな仕事だぞ!」


 慌てて入ってきたのは社長だった。満面の笑みである、嫌な予感しかしない。

 楽々亭とは東北大手ラーメンチェーン店の事だ。郡山の工業団地には県内の食材を管理配送する工場があるのだ。


「今から打ち合わせに行くぞ、一緒に来い!」


 社長が張り切っていると面倒ごとしか起こらない。




「工場で保管している食材をすべて廃棄ですか……」

「はい、その通りです」


 今回の台風の影響で、工場内の電源や予備の発電機が水に浸かりすべて壊れてしまったらしい。冷蔵庫、冷凍庫が止まり食材が保管できなくなってしまったのだ。さらには、衛生や安全面を考慮した結果すべて廃棄することが決まったらしい。


「食材は食料品や野菜類等を含めて約200トンあります、これを2週間以内にすべて処分していただきたい」


 200トンを2週間!?絶対に無理だ。こればかりは口が裂けても「出来らあっ!」なんて言えない。


「ええ、大丈夫ですよ。200トンなんて10トンダンプを20台分だ、すぐですよ」


 俺と部長は開いた口が塞がらなかった。社長がとんでもないことを言ってしまった。


「ちょっ、社長、本気ですか?コンクリートじゃないんですよ。食料品や野菜の比重なんてたかが知れています。嵩を考えるとせいぜい積めても2、3トンと言った所です、10トンダンプなら80台から100台は見ないとダメですよ。それに2週間ですよ、そんな短期間で一度に大量に受け入れてくれる処分場なんてないですよ」


 ついその場で本音を言ってしまった。その言葉に反応したのは社長以上に楽々亭側の人達だった。


「つまり出来ないと……?困りましたね、出来ると言って営業をかけてきたのはそちらですよ。今更そんな事を言われるとは……」


 間髪入れず部長が助け舟を出してくれた。


「まずは会社に持ち帰り検討させていただきたいと思います。もちろん全力を尽くせるように努力しますよ」

「ええ、出来ないなんて言いませんよ。お任せください」


 社長が便乗する。


「良い返事を期待していますよ」


 そう発言をしたのは楽々亭側だが、楽々亭の社員とは違う人からだった。




「塩野君。ダメだろう、あの場であんな発言は。もう少し考えてから言ってくれ」


 会社に戻った俺達はすぐに打ち合わせを始めた。


「申し訳ありませんでした……、考え足らずで……」

「まあ、いいさ。君も仕事が可能かどうかを優先で考えてしまったんだろう。でもね、経営に携わる者がそれではダメなんだ」


 言わんとしている事はわかるが、だからと言って出来もしない事を無責任に言っていいものだろうか……。いや、それくらいの気概がなければやはり経営者など無理なのだろう。


「とにかく、後は頼んだよ。先方に失礼のないようにな」

「は!?社長、当てがあったのではないんですか?」

「当てならいつも使っている焼却処分場があるだろう。鈴木君(焼却処分場の主任)と打ち合わせして段取りしてくれ」


 そういうと社長はサッサとその場を離れてしまった。


「冗談でしょ……。部長どうしましょうか?正直俺にはどうすればいいのか……」

「……とにかく何かしらの手を考える必要がある。私も当てを考える。塩野はとりあえず鈴木君と打ち合わせしてくれ」


 わかりました。と返事をすると、俺はさっそくお世話になっている焼却処分場に向かった。




「おまえの会社の社長は馬鹿なのか?」


 開口一番に焼却処分場の理事長がそう言った。

 急すぎる案件だったので鈴木さんにも判断出来ず、話が理事長にまで行ってしまったのだ。


「……そうかもしれないです」

「そうかもしれないじゃなくてそうだろ、状況分かってるのか?今は最終処分場に受け入れ制限かけられているんだぞ。うちだって1日の処理能力が決まってるんだ。そんな短期間に大量の廃棄物を受け入れ出来るわけないだろ」


 ごもっともです。俺は何も言い返せなかった。

 長々と理事長に文句を言われている所に部長が来てくれた。


「まあ、あまり目くじら立てないでよ理事長。こっちも社長に振り回されてるんだ」

「そうは言ってもね、ここ最近おたくの会社甘え過ぎじゃないの?」

「いつも助けられてて感謝してますよ」


 部長が来てくれた事で少しは雰囲気が良くなった、こういう時は頼りになる。


「実際の所どうするの?何度も言うけど、うちは無理だよ」

「いわき廃棄物センターさんに声をかけたよ、協力してもらえそうだ」


 いわき廃棄物センターは県内でもトップを争う規模の大会社だ。ここが協力してくれるなら可能かもしれない。ただ……。


「了解もらったんだ、すごいじゃない。それなら片付けられるんじゃないの。まあ、おたくの会社の利益は当初の半分以下になるだろうけど」


 その通りだ。仕事の大部分はいわき廃棄物センターに任せることになるだろう。


「仕方ないさ。さて厄介なのはこれからだ、社長を説得しないと」




 会社に着いた俺達は早速社長に報告をした。


「ダメだ。いわき廃棄物センターに頼れば儲けは大幅に減る、うち主導で出来る方法を考えるんだ」


 社長からは予想通りの反応が返ってきた。


「何故ライバル会社に塩を送るような事をしなくてはならないんだ」


 社長はライバル会社というが、会社の規模が全く違う。向こうは気にすらしていないだろう。比べてしまうとうちの会社なんてカスみたいなものである。


「しかし、社長。理事長には断られましたよ。今後はうちの廃棄物を一切受け入れしないとまで言われました」

「そんなのハッタリに決まっている。それにうちは焼却処分場の組合員だからそんな事は出来ない」

「他の組合員の会社からも評判悪いそうです、無理ばかり聞いてもらっていますからね。案外本当にそうなるかもしれませんよ、次の理事会で吊し上げられるんじゃないですか」

「……しかしだな」

「社長、もうそんな事を言っていられる段階ではありません。決断を急ぐ必要があります、楽々亭の打ち合わせに来ていた面子を見たでしょう。市職員だけではなく、連立とはいえ与党の県議会議員まで何人か来ていたんですよ」


 偉そうなおっさんがいるなと思ったがそうだったのか。さすがは楽々亭。福島県ならば知らない人はいないと言える程の大企業である。


「これで提示された条件を満たすことが出来なければ業務妨害罪が適用されるかもしれません、そうなれば終わりです」

「……そんな大げさな。何故犯罪にされてしまうんだ」

「県内すべての店舗を賄っている工場ですよ。稼働が止まれば福島県内ほとんどの楽々亭店舗が店休になるでしょう。その損害は想像できません、1日休んだだけでもとんでもない額になるでしょう。犯罪ではないですが、それが出来るくらい力を持っている会社だということが問題なんです」

「いや、でも……。しかしねえ……」


 なんとも往生際が悪い。


「……はあ、わかった。任せる、大事にだけはならないようにしてくれ」


 こうしていわき廃棄物センターの力を借りて2週間という条件をクリアすることに成功するのだった。宮澤産業でも廃棄物の運搬処分をしたが、いわき廃棄物センターの半分にも満たないだろう。そのため仕事が始まった後も社長が色々と文句を言って来たりもした。




「という事があったんですよ、ナベさん」

「大変だったな」


 ナベさん(田辺)とは高校時代からの友人だ。


「本当にね。でも、今回俺は何も出来なかったよ。ほとんど部長が何とかしてくれた。俺がした事と言えばいわき廃棄物センターさんとの間に入って現場の段取りをしたくらいかな。経験やキャリア、人脈の大切さを身に染みて知ったよ」

「まあな、俺もそう思う。特に人脈は大事だ、業者会があれば必ず顔を出して覚えてもらうようにしてるぜ」


 田辺は実家で自営業をしている。今は代表を親が務めていた。


「さすが次期社長は違うね。人付き合いが面倒で今まで軽視していたけど考えを改めないといけない」

「でも、結果として良かっただろ。議員先生と知り合う機会なんて滅多にないぞ、名刺もらったんだろ」

「40歳前くらいの若い先生から名刺をもらったよ。あいつら基本的に選挙前くらいしか表に出て来ないし、選挙中は忙し過ぎて話す機会なんてないからね。普段何してるかわからなかったけど、一応何かしらはしていたみたいだ」

「今度何かあったら頼ってみろよ」




 次の日会社に出勤した俺は早速面倒な話の引継ぎをさせられた。


「塩野君、おはよう」

「おはようございます、沢田さん」

「来て早々悪いんだけど電話変わってもらえる?黒宝社の方からなんだけど、産廃の件で」

「はい、わかりました。あれ?黒宝社は専務の担当でしたよね。俺でいいんですか?」

「専務来ていないから仕方ないわ、お願いね」


 なんとまだ休んでいるらしい、余程質の悪い風邪にでも当たったのだろうか。


「お電話変わりました、お待たせし申し訳ありません」

「ああ、どうも。産廃担当の人?郡山の農業組合なんだけどさ。ほら、工業団地の。台風の影響で廃棄物がたくさん出たんだよ。打ち合わせに来てよ、そちらの専務に連絡しているのに電話出ないんだ」

「わかりました。早速ですが午後から大丈夫ですか?」

「いいよ、待ってるから」




 午後になると俺は早速現場に向かった。


「お世話になっております。お待たせしましたか?」

「ああ、ほんとに待ったよ。早く来いよ」


 この時点で俺は嫌な予感でいっぱいだった。


「早速現場見てくれない?奥にあるからさ」


 案内されて向かった先の広場に廃棄物は山積みになっていた。


「いつまで経っても来てくれないからさ、こんなに溜まったよ。どうすんのこれ?」


 どうするのと言われても……。


「専務に何度も連絡してるのに全く電話に出ないし。これおたくらの責任だよ」


 何故そうなるのかまったく理解が出来ない。


「……わかりました。少しでも早く片付けられるようにします。しかし、今は他の現場でも台風の影響が出ているため予定がいっぱいの状態です。早くても2週間先になるかと……」

「だからさあ!今この状況はおたくらの責任だって言ってるの!それなのに2週間先?何を言ってるんだおまえは!」

「いえ、こちらの責任ではありません。連絡が付かない以上こちらに関知する方法はありません、そちらの段取りが悪かったとしか言えないでしょう。ただの責任転嫁です」

「ふざけるなよ!なんだその口の利き方は。もう宮澤産業は使わん!」

「お好きにどうぞ、別にこちらも困りません。むしろ無理を言う相手が減りますから助かりますよ。どうぞ他の業者を使ってください」

「なんて無礼な奴だ、覚悟しておけ!社長に苦情を入れてお前を会社に入られなくしてやる!」


 もはや脅しとも言える捨て台詞を言い黒宝社の担当者は帰って行った。




 会社に戻った俺は自己嫌悪でいっぱいだった。

 いくら理不尽な事を言われたとはいえ、客に対してあの対応はない、反省しなくてはならない。


「塩野君大丈夫だった、黒宝社?大変だったでしょ」

「ええ、何とか。でも、相手に失礼な事を言ってしまいました。黒宝社の仕事なくなったら本当にすみません……」

「あはは!大丈夫よ、何言われたのかは知らないけど。会社同士の繋がりはそんな簡単になくならないわ」

「それならいいんですが……」

「専務もそんな人をずっと相手にしていたからね、そりゃノイローゼにもなるわね」

「え!?専務ノイローゼで休んでるんですか?」

「あれ、知らなかった?今、東北病院の心療内科に通っているのよ」


 知らなかった。専務も相当追い込まれていたんだろう。




 自宅への帰り道、農業組合の現場をどうしたものかとずっと考えていた。会社に黒宝社から苦情があったらしく、社長からは少し注意を受けたが、気にする必要はないと言われた。


「はあ……、一体どうしたものかな」


 ふと友人の言葉を思い出した。何かあれば頼ってみればいい。藁にもすがりたい気持ちだった俺は、試しに名刺をくれた若い議員先生に連絡してみる事にした。


「もしもし、夜分遅くに申し訳ありません。今、大丈夫でしょうか?」

「塩野さん?どうも先日はお世話になりました。おかげで県内の楽々亭も無事に操業開始出来ましたよ。これも塩野さんが陣頭指揮を執ってくれたおかけです、実は私も立場上かなり助かったんですよ。それで今日はどうしたんですか?」

「実は相談したい事がありまして……」


 俺は今日あった顛末を説明した。


「すみません、こんな事を話しても困らせるだけですよね」

「いえ、そんなことはありませんよ。私は今パワハラ問題にも力を入れています。いまやパワハラは会社だけの問題ではありません、様々な分野で起こり社会問題になっています。そのために色々なケースを経験し解決したいと思っているんですよ」

「それはとても心強いですね」

「良ければなんですが相手の会社と名前、そちらの専務様が往診している病院を教えてもらえませんか?」

「いや、それはちょっと……」

「大丈夫、秘密は洩らしません」


 これはどうなんだろう、話していいものなのだろうか……。いや、話さないと連絡した意味がない。議員先生も愚痴を聞かされただけみたいなものだし、わざわざ時間を取ってくれているのだ。


「わかりました。本当に申し訳ないですが内密にお願いします」

「ええ、大丈夫です。悪いようにはしませんよ」


 今思うと個人情報の流出と、コンプライアンス違反なのかもしれないな……。




 数日後、会社に黒宝社から電話が来た。


「塩野君、黒宝社から電話だけど変わってもらえる?……でも、農業組合の現場担当者みたいだから無理しなくてもいいわよ」

「いえ、大丈夫です。変わってもらえますか」


 しっかりと謝罪せねば。その上で現場の段取りの話をしよう。


「もしもし、お世話様です。農業組合の現場の廃棄物をお願いしたいのですが、打ち合わせ出来ませんか?」


 ……おかしい、以前の担当者と少し声が違うような気がする。そんな俺の態度を察したのか相手が事情を説明をしてくれた。


「以前の担当者ですが、今は謹慎しています」

「え、そうなんですか!?」

「はい。以前からあちこちで問題を起こしていまして、社内でも問題行動が多かったんです。パワハラで体調を崩す者もいましたし、せっかく入社した新入社員がすぐにやめてしまったり……。ただ、会社に昔からいたので社長もあまり強く言えなかったんですよ」

「そうなんですか……」

「それで労働基準監督署から立ち入り調査が入ったんです。結果としてはパワハラの事実が認められました。本人は否定していましたが、個人からの聞き取り調査でそう判断されたみたいです」

「でも、よく調査してくれましたね」

「ええ。誰か内部告発でもしたんですかね、随分と迅速でしたよ。それに既にある程度の情報を持っていたみたいですし……。どこかの病院の診断書があって、それが決め手になったとか何とか……。まあ、密告する気持ちも分かりますよ。それで現場ですが、今からでもけっこうですので最短で予定出来る所を押さえてもらえませんか?」

「はい、それなら大丈夫です。先日現場に打ち合わせに行った日に色々と言われはしましたが、一応予定は入れておいたんです。今週末には現場に行けますよ」

「本当ですが、それは助かります」


 電話をくれた新しい担当者からは、今後もよろしくお願いしますと言われた。何とか黒宝社さんとの関係を悪くせずに済んだのだった。




「今週はそんな事があったんですよ、ナナ」

「……」


 飼い猫のナナは聞いているのかいないのか、返事すらしてくれない。というか、こちらを見てもいない。


「どれだけ偉い人でも横柄な態度を取ってはいけないし、相手に八つ当たりしてはいけない。だけど人間はどうしても立場が上になってしまうと、勘違いして態度が大きくなる。もちろん俺も人の事は言えない、戒めとして常に自覚しないと。それに因果応報、必ず自分に返ってくるからね。悪い事は出来ない、やってはいけないよ」


 猫に話しているつもりだが、一見するとただの話の長い独り言だろう……。


「他人の痛みが分かる大人にならないとね」


 さて、落ちも付いた所でお腹も空いたしご飯を作ろう。




 専務は未だに体調が回復せず休んでいる。

 よく鬱やノイローゼは心が弱い人がなる。などと言われるが、そんな言葉で片付けられる問題では決してない。個人差こそあるだろうが重大な病気なのだ。




 そういえば休日に楽々亭郡山店の前を通ったら、郡山工場の工場長が割引券を配っていた。休業していたお詫びなんだとか……。おいおい、だったらまずはそれを尽力した俺にくれよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

続・現代の平凡サラリーマン、悩みが尽きない クッソ・フヴィン @whitemouse59

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ