隣の席の女の子がゾンビになったら

ヘイ

第1話

 人とは衝動的に生きるモノなのだとみさき道明みちあきは考える。

 例えばネットショッピングでくだらない物を見て何故か購入してしまったり。届いた物を間近で見て、文句を垂れたり。

 そんな興味本位だとか、好奇心という衝動に人間は突き動かされるのだと。

 そして、道明は内側から溢れた衝動を否定しない。

 

「おい、道明。また変な物買ったのか?」

「またって何だよ、またって」

 

 衝動買いは認めるが変な物ではない。

 毎度のことではあるが道明の行動の多くは突発的、衝動的、直感的と人間というよりも野生の獣のようだ。

 

「何が『ゾンビの世界になっても生き抜く、今から準備できる99のライフハック』だ。しかも内容はゾンビがウイルスって状況に限定されてるし、習性も確実にゲームのアレじゃねぇか」

「読んでんじゃん。俺よりも読んでるじゃん」

 

 道明は読んでいて流石におかしいと思い数ページで読むのを止めた。一冊税別1200円に送料を合わせれば1500円にもなるが、実践的ではないモノなのは確かだ。

 と言うか、ゾンビなどと言うものがこの世界に溢れる事自体が現実的ではないだろう。

 

「テレビでも見た方がよっぽど有意義だっての」

 

 ガラスのテーブルの上に置いてあるリモコンをソファから立ち上がることもなく手に取り、何の気無しに電源を点ける。

 

『──昨晩、中国の北京市の研究所で謎の炎上が発生したと……』

 

 映し出されたのは髪をお団子にまとめた茶髪の女性キャスター。

 道明の興味を引いたのは彼女が語る謎の炎上に関すること。謎、と言うことは詰まるところ原因は内部にあると言うことだ。

 

「ふーん……」

「おい」

「何?」

「流石に行こうとか言わないよな?」

「あはは、言うわけないじゃん」

 

 道明としても、それが徒歩で行けるような距離であるのなら野次馬で近づいてみたかもしれないが、中国となれば飛行機に乗るなりしなければならないのだから易々と行こうとは口にはしない。

 

『現在、研究所は封鎖されて、おり……ゲェ、ッホ……お、ゔぇええ』

 

 ガシャン。

 

 音はテレビから聞こえた。

 カメラが落ちたのだ。原因不明。中継現場の映像を確認できない。テレビ局にいるキャストも焦りの表情を見せる。

 

みなみさん! 南さん!?』

 

 問題は現実に起きている。

 

「…………」

 

 自然と道明の右手は学生服のズボンのポケットに伸びていた。

 

「道明」

「ん?」

 

 道明の眼にはスマートフォンの画面が映り込む。SNSを開いて情報を集めようとするが日本語では最新の情報には辿り着かない。

 

「チッ。──なあ、父さん」

「何だ?」

「中国語ってわかる?」

「分かるわけねぇだろ」

 

 だよなぁ。

 道明は情報収集を諦めてポケットにスマートフォンを仕舞い込んだ。

 

「気になるなぁ、気になるなぁ」

「良いから早く家出るぞ。俺も会社行かなきゃなんねぇからな」

「気になんないん、父さんはさ」

「はいはい、気になるよーだ。それよりも気になるのは、遅刻した時何て言われるかだな」

 

 どうでも良いと言うわけではないが、彼には道明ほどの好奇心は湧いていないのだろう。カメラが落ちた時、あの場で何が起きたのか。それを衝動的に知りたいと思うほどの欲求はなかった。

 好奇心は遺伝ではなく純粋さの象徴であり、そして成長と共に失われていく。

 人は大人になるに従い多くを知り、リスク計算が頭を過るからだ。好奇心は理性によって抑圧される。

 

「なあ、父さん」

「ん?」

「普段、学校に真面目に通ってる様な奴が、何の連絡もなしに学校休んだらどうなるんだろ」

「……絶対にやるなよ?」

「あはははは、やんないって。俺を何だと思ってんだよ」

 

 道明のことを一応は理解しているつもりの彼だが、なんとも信用はできない。

 

「流石に人に迷惑かけることはしないっての。あと犯罪も」

「それ以外だったらやるだろ、お前」

「…………いや、まさか」

 

 道明は自らを突き動かす物を衝動としているが、完璧に把握しているわけではない。だから、どのような衝動が心を巡り足を動かすのかは分からない。

 

「ほら、行くぞ。お前と違って、俺は遅刻したら本気で殺される」

 

 ソファに座ったままの道明の頭をポンポンと右掌で軽く叩いてから、彼は廊下につながる部屋の扉を開ける。

 

「……分かってるって!」

 

 黒色のスクールバッグのジッパーを閉じ、道明は勢いよく立ち上がった。

 

 

 

 

 

 好奇心とは、ハイリスクとハイリターンの可能性だ。

 

「10円の表か裏か……」

 

 昼休みの教室で下らない賭けに興じる生徒の集団を道明は観察していた。

 

「……裏」

 

 道明はポツリと呟き、答えを確認する。

 

「表! っしゃあああ!!」

 

 どうやら道明の賭けは外れたようだ。とは言え何かを賭けたわけでもないのだから失う物などない。

 道明は溜息を吐いて、手元に視線を下げた。

 道明は誰にもバレない様にスマートフォンを取り出し、SNSのアプリを片っ端から開いていき昨晩の中国での事件についての情報を確認する。

 ただ、めぼしい情報は何もない。

 あるのは周辺に交通規制等がかけられたという情報だけだ。近づくのを禁止されてしまった今、これ以上の何かはない。だからこそ余計に好奇心という衝動が溢れてしまう。

 

「…………」

「おはよっ」

 

 そう言えば。

 道明は突然に声をかけてきた茶髪の少女に目を向けた。

 

「ビックリさせんなよ。先生かと思った」

「なら、もう少しだけ表情に出してくれても良いじゃん」

「いいだろ、別にさ。ほら、あそこの奴らみたいに知能低下した会話するほど……」

「でも、ミッチーて定期考査の学年順位中の上だよね」

「…………いや、別に偏差値とか関係なくない? 違うからさ」

 

 茶髪のショートカットで一般的には整っている部類の顔をしている。インターネットで茶髪、女子高生と調べれば3件目あたりにありそうな顔立ちだ。

 

「で、何でスマホ弄ってたの? も、もしかして、やらしー……」

「何を想像した」

「あれ、違った? ヌードデッサンの写真集でモザイクなしの陰部でも見てるのかと思ったんだけど」

「……とんでもねーこと言いやがるな、|松川《まつかわ』さんよぉ」

 

 道明はジトっとした視線を送るが彼女は悪びれる様子も見せない。

 

「あれだよ、中国の」

「ごめんね。韓国のアイドルならちょっとは知ってるんだけど、中国はあんまり……」

「違うからな? ……中国で謎の炎上があったんだと」

「え? そうなんだ」

「ニュースにもなってたろ?」

「へー、意外だなぁ。ミッチーがそんな人だったなんて」

「何で、そんな言い方になるんだよ」

 

 勘違いされる様な物言いはやめて欲しいと言いたげに道明は彼女を見つめる。

 

「だってニュースとか見ないと思ってたからさぁ」

「お前、マジに失礼だな。ニュースくらい見るから……偶には」

 

 道明が常に社会情勢を気にするような人間ではない事は確かだ。人の好奇心を刺激する物は其々で、道明にとっては原因不明だとか解明されていない物によって突き動かされる。

 一度でも引き込まれて仕舞えば、道明は納得するまで追い続ける。

 それが彼の好奇心と、衝動。

 

「て言うか、不思議だよね、ミッチーって。ミステリアス属性って奴?」

「どっちかて言うと解き明かしたい側なんだけど」

「じゃあ、探偵?」

「……やめてくれ。その肩書きは名乗りたくない」

 

 そんな不安定な職業に道明は憧れを抱いていない。

 

「てか、俺がミステリアス属性って……」

「だって、クラスの事には積極的にならないのに、そんな遠くのことにさぁ」

「そりゃ、好奇心だよ好奇心」

「克己心?」

「違う。誰が自分を打ち破る事を願ったんだよ」

 

 何より、克己という言葉は道明には誰よりも相応しくない物だろう。自身の内側から湧き上がる衝動に身を委ねた道明には。

 

「てか、分かっててやってるよな。さっきから」

「当たり前でしょ? 分かってなきゃこんなウザい事するわけないじゃん」

「…………」

「え、なに? どしたの?」

「いや、お前を殴りたくなっただけだから」

「DVだよ、DV。分かる?」

「俺とお前がいつ家庭を築いたのかな?」

「そんなっ、酷いっ……!」

「おい、バカやめろ」

 

 道明と彼女の関係はただ、クラスメイトで席も近いと言うことから始まっただけの関係だ。幼馴染と言う訳でもなく、話してみて何処となくウマがあったというべきなのか。

 

「まあ、冗談はともかくとして」

「…………」

「ミッチーくん」

「呼び方がちょっと聞き慣れないんだけど」

「いい、ミッチー? 好奇心はネコをも殺すの」

「……え? 俺、ネコなの?」

「あのさぁ」

「いや、すまんすまん。つっても、流石に自衛できる範囲でやるつもりなんだけど」

「衝動に蓋はできない。ミッチーはそう言ったよね」

「…………」

 

 彼女は道明以上に、彼の衝動がもたらす結果を懸念している。

 だからこそ言ったのだ。

 

「ミッチーはさ、衝動で子供以上に危険を冒すかもしれないし」

「俺をなんだと思ってるんだよ」

「え? ピュアで頭のおかしい男の子?」

「……いやいやいやいや」

「質問です、ミッチー」 

 

 彼女は腰に手を当てながらズイと道明に顔を近づける。

 

「ちょ、近いんだけど……」

「……路地裏で女性、まあ男性でもいいけど叫び声が聞こえました。どうします?」

「どうするったってなぁ」

 

 一般的に考えられるのは3つ。

 まず、無視する。

 次にこっそりと立ち寄り、状況を見て警察を呼ぶかする。

 最後が。

 

「まあ、声かけるだろ? 何してるかを確認してからだけど」

 

 好奇心で状況を観察し、さらには藪を突くのだ。

 

「……危機管理能力がゴミなミッチーに言っておくけど、多くの人は無視するんだよ?」

「え、勿体な」

「そーいうとこだよ」

 

 道明は自らの考えがおかしいとは分かっているのか呆れた様に溜息を吐く。

 

「いいから、もう授業始まるって……」

「えー、まだ10分あるけど? それに席隣なんですが?」

「もうやめてくれ。変な所に行かないからぁ……」

 

 この少女は単にお節介なのか、ただ道明の反応を見るのが好きでやっているのか。どうであれ、道明にとっては厄介であることには変わりない。

 

 

 

 

 

 

 

「どこまで付いて来るんだよ、明美あけみサン」

「まあ、私は道明くんが寄り道しない様にしてあげようとしているのに!」

「恩着せがましいわ! 付いて来なくたって寄り道しねぇよ!?」

「残念。それは松川ちゃんポイントが足りませんね〜」

「初めて聞いたんだけど、そのポイント」

 

 彼女のまるでお姉さんぶる様な口調が、道明にも若干苛立たしく思える。信号機に捕まり、二人は立ち止まる。

 

「松川ちゃんポイントは信頼の証。そう、つまりミッチーを信じられるほどのポイントは無いんだよ」

「おい、どんだけ俺を信じてないんだ」

「現在の松川ちゃんポイントは20〜」

「何ポイントで信じるの、それ」

「5000」

「何したら溜まるの、そんなに」

「フツーに生活して、フツーに何もしなければね」

「俺にゃ無理だね、コンチクショウ!」

 

 道明も高校生になって、明美と知り合って大分立つと言うのにポイントが20だと言うことはこれ以上の伸び代には期待しない方がいい。

 

「因みに初期ポイントは8000だったんだけどな〜」

「まさかの減点式!?」

 

 道明の驚愕は減点式だけにとどまらず。

 

「つーか、どうやったらマイナスで殆どが無くなるんだよ!」

「それは胸に手を当てて考えて見なよ」

「…………」

 

 心当たりがないこともない。

 道明は認め難い事実を何とか受け入れ様として、小さな唸り声を出した。

 

「ま、ねー。ミッチーには期待してないけどさ」

「……まるで俺がいけない子みたいに」

「いけない子だよ?」

「なに俺がいけない子なのが当然みたいな感じで言ってんの?」

 

 どこにでもいて、衝動的な高校生はいけない子などではないはずだ。

 

「衝動ってのは、そんなに大事?」

「明美……。衝動ってのはさ、『こうしたい』と思ったから湧いて来るんだ。だから、俺はその衝動に突き動かされても後悔はないと思ってる。だって『こうしたい』という欲求に嘘はないし、迷った時の直感は八割くらいで当たるって話だ」

「いや、私は納得しないからね?」

「いや、マジで! そうなんだって!」

 

 道明の必死な説得にも、「へー、そうなんだー」と聞き流す様な態度。本当に理解を示すつもりはないのだろう。

 信号が変わった。

 

「ん、ミッチーの家どっちなの?」

 

 明美が一足先にと歩き出す。

 

「ミッチー?」

「明美! そこから──」

 

 言葉に詰まった。

 何と言えばいいのか。

 信号を無視して突き進む大型トラック。明美の身体を跳ね飛ばすまで瞬きが数回。たったそれだけの合間に何という言葉を吐いていれば、彼女が助かったのか。

 考えても仕方がない。

 砕ける様に、壊れていくのが見えた。薄っぺらな何かが吹き飛んでいく様に。間近に見えた彼女の顔が、縋り付く様に。

 道明を見つめていた。

 

「ほら、やっぱり……」

 

 道明の目は彼女から一瞬逸れて、突っ込んできたトラックのフロントに向けられている。咄嗟の行動こそが、人の行動の基準だ。

 もし。

 もし、誰かを助けたいという善人であるのなら、医療行為が出来ずとも明美に近づき応急処置を始めたかもしれない。

 

「──明美ッ!」

 

 トラックの運転席は血で染まり、フロントガラスは割れてしまっている。距離も元々の位置からかなり離れてしまった。

 居眠り運転だったのだろうか。

 運転手の意識がなかったと考えるのが妥当か。

 

「……なあ、おい!」

 

 身体が折れている。

 血だらけ、痣だらけ。

 見ているだけでも痛ましい。

 反応は返ってこない。痛みのショックで気を失ったのか。

 

「救急車、だよな……?」

 

 震える手で道明は緊急の番号を打ち込む。

 その手を直ぐ近くで止められた。

 

「あ、明美……?」

 

 華奢な手が万力の様な力で道明の右手首を握りしめる。

 

「ぐぅうううっっっ!!!」

 

 死にかけの人間が、怪我を負った人間が発揮できる様な力ではない。血だらけの体、折れ曲がった手足。

 突然の出来事に驚き、道明は手を振り解き立ち上がった。

 ミチミチと音を上げて、明美は手足を駄々を捏ねる子供の様に振り回す。

 気味が悪い。

 ホラー映画の現象が目の前で起きている様な。最悪の事態が。

 魚の目の様に、今にもこぼれ落ちてしまいそうな明美の目が、ただの鏡の様に道明を写し込んだ。

 

「……何だよ、これ」

 

 あまりにも不可思議な事態を飲み込めない。彼女の身体は動かない筈だ。痛みに顔を歪めるなら分かる。

 だが、苦悶すら見せず彼女は背を地面にされた虫の様にのたうっている。まるでひっくり返ったカブトムシの様に。

 

「お、おい。明美、俺が分かるか?」

 

 道明が声をかけると明美の反応が見えた。肘を地面に付け、仰向けの姿勢のままに彼女は道明に近づいてくる。

 挙動に理性を感じられない。

 彼女はもう、松川明美ニンゲンではない。

 

「ァ、ギィィ……ァゥゥヴヴ」

 

 意味を持たない、ノイズの様な声。

 聞き馴染みのある透き通る様な声ではない、不快さすら覚える様な声だ。

 

「あ……う、そだろ」

 

 立ち上がってしまった。

 左足は他と比べても損傷は少ないが、右足は膝から下が捻れて真逆になってしまっているというのに。

 折れた腕が悲鳴を上げるのすら無視して彼女は地面から立ち上がってしまった。

 歩行者用信号機が赤に変わる。

 小さな黄色の車両が突っ込んできて、彼女の前で急ハンドルを切りクラクションを数度鳴らした。

 ハザードランプが点灯、車の持ち主である金髪、スカジャンにジーパンの男が苛立たしげに車から降り、乱暴にドアを閉めた。

 

「おい! 危ねぇだろ! ふざけんじゃねぇ。死にてぇのか!! 死にてえなら勝手に死んでろよ!」

 

 止まれない距離ではなかった筈だ。

 血だらけで横断歩道に立つ明美の姿が見えなかったというのなら不注意にも程がある。だからと言って道明には指摘できるほどの余裕もない。

 そもそもで彼を気にかける事すら思考の外側にあったのだ。

 

「クソが!」

 

 悪態を吐く彼にギョロリと彼女の目が向いた。男は感じ取れないのだろう。自らに向けられた野生の眼差しを。

 車の故障がないかの確認に意識を奪われている。

 

「あり得ねぇわ……。これからっつうのに」

 

 距離は2メートルか。

 壊れた身体をさらに破壊する様に、明美は男に向かって跳躍した。ブチブチと切れる音を立てて。

 

「…………」

 

 道明は見ているだけだった。

 動き出すのが怖かったとするのが一般的な理由だろう。当然、それもあった。

 だが、これから彼がどうなってしまうのかという興味があった。そんな不謹慎な興味が道明の心の中に湧いてしまったのだ。

 警察に通報するべきだったのか。

 目の前で起きる出来事に道明は目を奪われてしまった。

 

「……ああ」

 

 ただ、男が死んだ。

 首を絞められて骨を折られ、男は死んだ。泡を吹いて、無抵抗にアスファルトに身体が落ちていった。

 鼻の骨が折れた。

 そして、その男はのそのそと眠りから醒めるようにゆらりと覚束ない足取りで立ち上がった。

 

「あり得ねぇ」

 

 どう考えてもおかしい。

 明美も運転手の男も、確かに死んだのだ。奇跡的に生きていたとして、言語を話すことすら出来なくなるのは普通ではない。

 原因は何か。

 共通事項はここで死んだという事。

 二つの事例だけでは根拠には弱い。

 だが、道明の直感は確かに働いていた。

 

「……ゾンビ、なのか」

 

 なんともタイムリーな事だ。

 今朝方話したばかりの話題。かと言ってあの本を熟読どころか斜め読みもしていない道明には生存する為の最適解を理性的には選び取れない。

 

「そうだ、明美はあの男を噛まなかった……」

 

 首を絞めて殺した。

 だと言うのに男はゾンビになってしまった。明美もトラックに撥ねられて死んだ。

 ここで、“ただ”死んだ。

 死んだ後の変化だ。

 噛まれたのではない。

 

「ま、さか」

 

 道明の心臓が強く鳴った。

 直感は八割当たる。

 変化の種は体内に既に潜伏している。

 

「潜在ゾンビなのか、俺も」

 

 確かめる訳には行かない。

 可能性は低くないのだ。だからと言って死んでしまっては元も子もない。何より、この場でこの事態を把握している道明が死んでしまうのは許されない。

 

「何で、俺がコッチ側なんだよ」

 

 道明は自らの立ち位置が物語の主人公と思っているわけではない。寧ろ、興味本位に突き動かされ早々に退場してしまう様な人間だという自負がある。

 そう指摘したのは。

 

「……明美」

 

 彼女なのだ。

 名前を呼べば彼女が跳ねた。死ぬつもりはない。死んで仕舞えば被害が拡大する。

 被害を最小に抑えるには。

 この二人のゾンビを完全に停止させ無ければならない。それはつまり彼が、彼自身の手で目の前の彼女らを殺さなければならないと言うことだ。

 鼓動が早まる。

 手段は何か。

 鞄を盾にしながら道明は思考する。

 

「…………」

 

 ゾンビ映画の舞台の多くは日本ではなく、銃社会である国だ。日本がもしもゾンビ映画の様な状態になってしまった場合、武器になるものが余りにも少ない。

 何かが。

 

「……どこにあるんだよ!」

 

 バットは武器になりそうだが、道明の見える範囲には見当たらない。先程まで男が乗っていた車の中には。

 

「……ある」

 

 武器になりそうな物が、いや、間違いなくバットが助手席にあった。

 趣味で野球でもやっていたのだろうかという考えが湧いてくるが、今は関係ない。

 

「バットを最短距離で……」

 

 手に入れて。

 

「ぶっ飛ばす」

 

 そうと決まれば直ぐに行動だ。

 道明の決断は早かった。もはや、リスクなど関係なしに。

 鞄ごと明美を押し退けると一目散に男の車に向かって走る。鍵が空いている事は分かっている。

 ドアを開きバットを手に取り、車の影から飛び出し。

 

「ごめんな──」

 

 明美の頭を遠慮なく全力で打ち抜いた。

 

 

 

 20XX年6月18日、午後5時12分。

 岬道明は人を殺したと警察に自首した。遺体の損壊はどちらも顔の原型が留めていない程であった。

 

 

 

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