第4話 2011年3月11日

 2021年1月16日、津波警報と津波注意報が発令された。

バイト終わり、いつも通り家でネットサーフィンをしていた。突然検索画面の上に出てきた「津波警報」。身体に感じる地震がなかったため誤報かとおもったが、テレビにも速報が表示されたためこれが事実だと認識する。


 津波と聞くと思い出すのは東日本大震災。私はまだ小学生だった。授業が終わり帰るだけだったあの日、日常が大きく変わった。

 非常事態だと認識するまで人は少し時間がかかるらしい。はじめは、いつもより大きな地震があったとしか思わなかった。しかし、鳴り止まない防災無線、校庭に避難してからなかなか教室に戻れない状況、先生たちが円になって何かを永遠話し合っている。それらを眺めているうちにこれがいつもと違う現状だと認識した。

 小学生の私にとって東日本大震災とは「テレビ」である。テレビで永遠に流れる津波警報、被害状況、そして原発。どのチャンネルも休みなく情報を流し続ける。ただわたしはそれを眺めた。津波や原発の映像がどれほど恐ろしく、人々を絶望に追いつめたのかそのときは分からない。ただ突然あふれるとめどない情報をただ流し、見続けた。

 テレビのことだけかと思っていた震災が自分に襲ってきたのは数日後である。それは「買い占め」だ。当時は買い占めにより食料やトイレットペーパーなどの日用品が瞬く間にスーパーから消えた。私たち家族も空気に流されるままスーパーへ駆け込んだ。いつもと異なる雰囲気のスーパー。わたしは何かじんわりとした恐怖を感じた。帰りの車、ラジオからは人々を鼓舞するメッセージそして音楽が流れている。それを黙って聞き続けることしかできなかった。


 津波警報や緊急地震速報などは突然いつもは感じることのない恐怖を思い出させる。それは本能的な恐怖。現代の日常では忘れている「生きている」という現実、そして明日が来ることを誰も保証していない現実。それらが目の前に現われる。

 現在の新型コロナウィルスの蔓延。災害と違いじわじわ日常を変えっていった。コロナが終わるなど本当は誰も分からない。終わるとしてもそのとき自分がいるのかも分からない。ただ私たちは何も保証されない未来を信じて、今を生きることしかできない。


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