第10話
一行は生存者を探しながら、街の中心部を目指することに決めた。しかし辺りを見回し、試しに呼びかけてみても返事はない。
そればかりか、生者の気配すら感じられず、辺りはむせる程の煙の臭いと死臭で溢れ返っていた。
「……おかしい」
不意にヘッツァーが口走った。
「あまりにも静かすぎます。それに、ここまで死臭が漂っているのに、なぜ死体が無いのです?」
「そういえば……」
ラトナは困惑する目で通りを見渡した。
道中で見かけた死体は、馬車の焼死体ぐらいだ。船から大型魔導獣の死体は見かけたが、あれだけで街全体を覆うほどの臭いを発する筈がない。
「この街、おかしい」
グリレが訥々と言葉を紡ぎ始める。
「何も無さすぎる。なのに死の臭い、流れてくる。臭いのもと、辿れない」
「死体が消えた?」
「誰かが片付けたのかね。こっちとしては見なくて良いモノが減って有難いんだけどさ」
軽口を叩くマルダーに、残り三人の冷たい視線が刺さる。
「何だい、いつもは無視する癖に。とにかくだよ。怪しい気配がある以上、これ以上の捜索は危ないんじゃないかな。船に退いて……」
魔女の言葉が途切れた。ラトナが彼女を抱いて跳んだのだ。同時に、他の二人も上を見ながら方々へ散っていた。
次の瞬間、彼のいた場所に巨大な肉塊が降ってきた。びしゃりという耳障りな水音を響かせ、無数の細かい肉片が、腐りかけの血と共に四散する。
「獣か!」
ヘッツァーはそう叫ぶと、ふた振りの山刀を引き抜いた。他の面々も武器を手にして、身構える。
「叔父貴。コイツ……死んでる」
グリレがそっと言う。彼も地面に伏せて、布を巻いた散弾銃を肉塊に向けていた。
また辺りがしん、と静まり返る。リガーリェの一行は、降ってきた肉塊へ視線を注いだ。
「何の肉でしょうか?」
ヘッツァーが訝る。肉塊は元の形が分からぬほど、激しく傷んでいた。
「調べてみる。援護を」
マスクを着けたマルダーが、姿勢を低くして肉塊に近づく。彼女は肉塊を調べて回り、やがてラトナ達に報告した。
「皮がほとんど剥がれちゃいるが、鱗で分かった。ダソクだよ、コレは」
ダソク。大蛇の如き太く長い胴体に、不釣り合いな鳥足を生やした魔導獣。元は食用の家畜だったというが、その面影は無く、今では人を襲う凶悪な有害生物と化していた。
そんなダソクが、一目では分からぬほどの肉塊となって転がっている。
よほどただならぬ事態が起きているのだと、一行はより緊張を強めた。
「肉が新鮮だったら、持って帰りたかったね。ダソクの肉はスープにして食うと美味いんだよね」
マルダーは口の端を吊り上げて言う。
「そういえば、そろそろお昼ご飯の時間ですよ、皆さん」
体を起こしながら、ラトナも能天気に言う。
「ヒメ、感覚、俺たちと違う。変なの」
あきれ返るグリレだったが、すぐに張り詰めた表情に変わる。
「みん……な!」
他の面々も彼同様に異変を感じ取り、ダソクの死骸から離れて廃屋へと逃れる。
やがて死骸の周りの土がボコボコと音を立てて気泡を発して、液体のように沈み始めた。そして土の中から、メノウ色の丸い甲虫達が現れた。彼らは顔の横についた鎌状の脚で、ダソクの死骸を掴み、地中に引きずり始めた。
「おっと、陸タガメだ。生き物でも死体でも、何でも食べちまう悪食さね」
マルダーは廃屋に隠れた仲間たちへ言う。
「合点がいった。どうして死体が見つからないのか。陸タガメ共がみんな土の中に引っ張って、食っちまったのさ。『墓要らず』の呼び名は伊達じゃないね」
ゴクリ。誰かが唾を飲む。
「ラトナ。これ以上の長居は無用だよ。陸タガメは腹が減ったら、自分より大きな生き物にだって噛み付きに行く。生存者探しは諦める他ないね」
「そう……ですね。無理はできませんね。マルダーの言う通り、ここは退却を……」
ラトナは決断の最中に気付いた。グリレが口をパクパクさせて、天井を見上げている事に。
残りの三人も揃って天井を見上げた。
天井に空いた穴の先、ギラリと光る二つの複眼が、一行を見下ろしていた。
陸タガメ。
ラトナ達は思わず絶叫してしまう。そんな中、天井の陸タガメは一番小柄なヘッツァーに狙いをつけて、降ってきた。
「南無さ……」
どしん。
陸タガメはヘッツァーに覆い被さるように着地。間髪入れずに鎌脚で下敷きにしたヘッツァーを……
「喝ッ!」
……拘束する前に二本の山刀で貫かれた。
ヘッツァーは山刀で貫いた陸タガメを頭上まで持ち上げ、左右に切り開いた。
「破ァ!」
両断された硬い胴体は、赤いの血を吹きながら、ゴロリと床に落ちた。
「ヘッツァー!?」
と、ラトナが悲鳴混じりの声で呼ぶ。
「ご案じ召されるな!」
ヘッツァーは即答する。真っ赤な返り血に染まった傷面が凶悪な笑みで歪み、双眸も爛々と輝いていた。
「ちょいと。外がヤバいよ」と、マルダー。
通りには、一連の騒ぎを聞きつけた無数の陸タガメ達が地上に現れて、廃屋を包囲し初めていた。
「ご案じ召されるな皆の衆。姫、ここは某が活路を開き申す! ついて来て下され!」
「あの。もし……」
五体無事のヘッツァーは、主人の静止も待たずに廃屋から飛び出した。
「チイィエェェェェストオォォォォォッ!」
ヘッツァーは奇声じみた掛け声と共に山刀を振り回して、陸タガメをばっさばっさと切り捨て始めた。
「あの戦バカ。勝手にスイッチ入った!?」
マルダーは頭を抱える。
「叔父貴、刀持つとヒト変わる。でも強い。ヒメ。オレ達、叔父貴に付いて行く。絶対、助かる」
グリレがラトナの袖を引っ張る。
「そ、そうね。ヘッツァーに置いてかれない内に行きましょう」
気後れしていたラトナ達も、覚悟を決めて飛び出した。
「キエエェェェッ!」
ヘッツァーは暴風の如き凄まじい斬撃を絶えず繰り出し、腹を空かせて襲いかかる陸タガメを次々となぎ倒す。切り拓いた血路には、おびただしい数の死骸が次々と積み上がった。
その拓かれた道をラトナ達は、わき目も振らずに走り続けた。
「狙って撃つ暇はありません。とにかく走って。でも邪魔をするなら……」
ラトナの行く手を、小ぶりな陸タガメが数匹、壁になって阻む。
「押し通ります!」
姫騎士は長銃を逆さに持ち替えると、下から上に振り上げた。
銃床が陸タガメの塊を打ち据え、四方へ吹き飛ばす。ラトナは追撃せず、また走り出した。
「次から次へと湧いてくる。キリが無いね」
マルダーは息を切らしながら言う。
「足動かす。口使うな。バテる」
と、グリレが横から言う。彼は散弾銃を使い、ラトナに近づこうとする陸タガメを、先んじて撃ち倒していた。
「喋ってないと気が保てないの、マジで!」
「年寄り」
「あんだって!?」
ムキになったマルダーは、ギアをもう一段上げて、速度を上げた……のだが、すぐにペースが落ちていく。
「……やっぱムリ」
次第にマルダーの顔色が悪くなっていく。肉体が音をあげだしたのだ。
「お年寄り。大切にする」
と言うと、グリレは銃をマルダーを小脇に抱えると、彼女の分まで走った。
………
「船着場です。見えてきました、あと一息!」
ラトナは走りながら、励ますように言った。
サ・イラ号の待つ船着場が目前に迫っていた。奥からは断続的に銃声が響いてくる。どうやらルイン達も襲撃を受けているらしい。
そして案の定、船着場の入口はおびただしい数の陸タガメで埋め尽くされていた。通り抜ける隙間さえ見つからない。
「お願い、ヘッツァー」
「承知しました。
ヘッツァーが後続の為に道を作らんと、敵集団に斬り込む。
「チェスト・クルスク!」
チェスト・クルスクとは、リガーリェ戦士に古くから伝わる掛け声で「食い破れ」という意味である!
ヘッツァーは古の掛け声と共に、行く手を塞いでいた陸タガメの群れを、文字通り吹っ飛ばした。
バラバラと地面に落ちてくる陸タガメ達の残骸。その中には、消化途中だった肉片が多数、混ざっていた。
(本当に誰も助からなかったの?)
ラトナは押し寄せる感情の波に、つい心を揺さぶられる。だが足を止めてはならないと、理性が彼女の背中を押した。
(船に戻る。今はそれだけを考えなさい)
唇を噛み締め、ラトナは皆と共にサ・イラ号が泊まる桟橋まで、一息に駆け抜けた。
………
「アニキ。みんなが来た! こっちに向かってくるぞ!」
ザナは桟橋を駆けて来るラトナ達を認めると、操舵室から見張り台に声を掛けた。
返事がない代わりに、ずっと銃声が鳴り響いている。
「聞いているのか、アニキ?」
銃声や陸タガメの悲鳴に負けじと、更に声を張る。
「聞いている。遅えんだよ、アイツら!」
ルインはそう叫ぶと、弾倉交換を終えた機関銃を再び乱射した。
サ・イラ号にも陸タガメの魔の手が迫っていた。彼らはなんの前触れもなく船着場の下から現れ、わらわらとサ・イラ号を目指す。
これに対して、ルインは旧式機関銃を持ち出して、ラトナ達が来るまで船を守っていたのであった。
「やっぱしダメだったか」
と、ルインは不意にボソリとこぼす。
この街の住人は全滅した。魔導獣に食われ、死体は陸タガメの群れに食い尽くされたのだ。一人残らず……。
「いいか、ザナ。姫さん達が飛び込んできたら直ぐに飛び出せ。やいクソ虫ども、テメエらの昼飯にはならねえかんな!」
ルインは吠えながら機関銃を撃ち続けた。
…………
「良かった。二人とも無事よ」
ラトナは仲間の無事に喜びつつ、肉薄してくる陸タガメを、長銃で叩き落としていた。
「姫さん。早いトコ乗っておくれ、このままだとみんな昼飯にされちまう!」
ザナに急かさせたリガーリェの一行は、たどり着いた順からサ・イラ号に飛び乗った。
同時に船が始動。船体に数匹へばり付いたまま、水面から浮き上がる。
「飛ばせ、飛ばせ。もっとだ! エンジンが焼けても構わん!」
「あいよ!」
スロットルを目一杯開けて、急速上昇。最後までへばり付いていた陸タガメを振り落としながら、ぐんぐんと空に上がった。
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