第9話
翌日。
桟橋に横付けされたサ・イラ号では、出航の準備が進められていた。
「いやあー。今朝の炊き粥も美味かったよなあ、アニキ」
ザナはロープの結び目を作りながら、船長のルインに話しかけた。
「リガーリェの飯にハズレ無し。死んだ父ちゃんが言ってたけど、マジでその通りだ。ここにいる間に、ブクブク太っちまうかも……アニキ?」
怪訝に思った少年は、血色の良い日焼け顔をルインに向けた。
ルインは舵にもたれかかり、苦しそうに呻いていた。顔面蒼白の上に頰がこけて目も虚ろ。
二日酔いである。
「……まじで糞ヘヴィ……」
「情けねぇ顔しちゃって。あっちを見ろ」
そう言うと、少年は桟橋の方向を顎でしゃくった。
ラトナとマルダー。乗船する二人の客は、和やかに談笑しながら、荷物をまとめていた。
ラトナはクワドリガの長衣の上に、愛用のポンチョを被っており、軍服では得られない凛々しさをまとっていた。もう一人、マルダーはゆったりした黒い道服を白い腰布で結んでいる。アレが魔女の普段着であるそうだ。
それはともかく……。
「あの二人、アニキより飲んでたのに。ケロリとしてら」
「ヘヴィだぜ」
ルインは呻くように言った。
「ケルクの街なんて何年も行ってないわね」
ラトナは顔を上げて言う。
「懐かしいわ。初めてのドレスを仕立てるために何日か滞在したわね。あの頃はお祖母様も一緒にきてくれて、本当に楽しかった」
「あそこは昔のまま変わりゃしない。腕の良い職人やら、元気な坑夫達で大にぎわいさね」
徐にマルダーは作業の手を止めた。家臣団の男たちが、わらわらとやって来たのだ。
「なんだい、みんな付いて行こうってのかい。やめとけ。ボロ船が飛ぶ前に沈む」
「ボロ船って言うな……うえっ……」
怒りと不調がないまぜになった声が、船から飛んできた。
「そんなんで飛ばせるのかい、船乗りさん。酔いが感染ったら、アンタのせいだぜ!」
マルダーが腰に手をあてて冗談を返すと、家臣団からどっと笑い声があがった。
「魔女殿。付いて行くのは
傷顔のヘッツァーが口を開く。彼だけ笑っておらず、生真面目な表情でいた。そんな彼の隣に控える蓬髪の青年が、ラトナ達にペコリと頭を下げた。
「あら、グリレ。若の遠征について行ったんじゃなかったのかい?」
マルダーは意外そうな顔をグリレに向けた。
「ドレス壊れた。先、帰ってきた。残念」
グリレは俯きながら訥々と話す。乱れた前髪が高い鼻先まで垂れており、表情を窺い知ることはできない。
「ま、人手はあるに越したことはないか。二人とも、よろしく頼むよ」
「頼りにしていますね」
魔女に続いて姫騎士も、にこやかに二人を歓迎した。
……
ケルクは北部有数の工業都市として、古くから賑わいをみせていた。
この街の地下には、大戦争以前の都市が埋もれており、住人達は地面を掘ってクズ鉄などの材料を回収、ものづくりに励んでいる。
そのような活気に溢れた街を目指すサ・イラ号。現在はなだらかな山間部の上空を、ゆっくり飛んでいる。上空の雲は多いものの、風は穏やかで船の調子も良い。
唯一、舵を握る船乗りだけが二日酔いの絶不調であった。
「情けねえでやんの」
見張り台の伝声管から、小馬鹿にする言葉が送られてきた。
「うるせえ、ザナ」
ルインは不機嫌に言い返す。
「あまり虐めてはダメですよ、ザナさん」
と、ラトナが横から身を乗り出して、伝声管に話しかける。
「後でお薬を渡しますね。お祖母様直伝の気付け薬。効果は折り紙つきですから」
「変なもの入っちゃいねえよな」
船乗りは落ちくぼんだ目でラトナを見る。
「とんでもない。郷で採れた薬草に山椒を少々、それにヴィーカを大匙一杯」
「なんで気付け薬に酒が入る!?」
「ヴィーカは万能なんです。風邪を引いたとき、暖をとりたいとき、元気になりたい時。色んな場面で役に立ちます!」
「飲兵衛のへ理屈だ、そいつは」
「とんでもない。お祖母様から受け継いだ、立派な生活の知恵です!」
力説するラトナ。反論する気力もない船乗りは、白目を剥いて顔をそらした。
「……お宅といると、調子が狂っちまう。だいたいなあ……」
「船長さん!」
不意にラトナが声をあげて話を遮った。彼女は蒼白な顔で前方を指差していた。
黒煙だ。山向こうから、いくつもの黒煙が立ち上っている。
「アニキ。煙は街から上がってる。方角も距離もピッタリだ!」
と、ザナが報告する。その間にラトナは操舵室を飛び出して、甲板に移っていた。
そして、風に乗って運ばれてくる、炎の匂いを嗅ぎとった。
嫌というほど身に染み込んだ戦火の匂い。
「ラトナ!」
船室からリガーリェの三人組も出てきた。
「ケルクの街が大変みたいなんです」
「そうらしいね、アレを見たら予想はつく」
マルダーは道服の内から、細い単眼鏡を取り出して覗く。
「……ダメだね、煙が酷い。どっちにしろ、山を越えなきゃ街の様子は分からんわな」
「ご一行さんたち。中に入ってくれ」
ルインの指示に従い、ラトナ達は操舵室に入った。
「高度を上げて、ギリギリまで近く」
サ・イラ号は上昇を開始。厚い雲に船体が隠れるかどうかの位置を取って、山を越えた。
そして……。
「どうなっていやがる!?」
操舵室のルインは露わになった光景に愕然とした。彼の目に飛び込んできたのは、二日酔いすら吹き飛ばす、まさに地獄であった。
街道に連なる工房、採掘現場と思しき施設、そして小さな民家までもが焼かれ、破壊されていた。
「戦争でもやっているのか?」
ルインはリガーリェの民達に顔を向ける。
「まさか。この街に手を出すのはタブーなんだ。みんな、ここで作られた商品が欲しいから、決まりは絶対に守ってきた。ドゥクスはおろか、礼儀知らずの野盗だって、その辺は弁えていたってのに」
などと答えるマルダー。口調は冷静だが、片目には動揺の色が浮かんでいた。
「まさかゴレム?」
声をあげたのはラトナだ。
「可能性はあります。如何しますか、姫?」
ヘッツァーが尋ねる。
姫騎士は表情を引き締めて即答した。
「着陸します。生存者を助けましょう」
「畜生。そう言うと思った」
ルインは毒づいたものの、仕事を全うするために着陸地点に舵を切った。
「アニキ、大変だ!窓の外!」
不意に見張り台の伝声管から、悲鳴混じりの声が落ちてきた。
「獣。三時の方角……地上に獣」
ザナの報告を聞いて、真っ先に船窓に張り付いたのはグリレだ。
「いた……魔導獣。大きいのが一匹。死んでいるみたいだけどね」
続けて言葉を発したのは、単眼鏡を覗くマルダー。彼女の目に飛び込んだのは、背中に硬い甲羅を背負った、水牛のような顔を生物だった。
魔導獣。ゴレム同様、大戦争以前の技術で生み出された、合成生物の総称だ。家畜、愛玩用などの目的で作られた彼らは、文明衰退の混乱で野生化し、今なお数を増やしていた。
「船着場もだいぶマズいようだぜ」
ルインは苦い顔で言う。
着陸予定の船着場も荒れに荒れていた。砲撃を受けて喪失した建物、燃える橋、そして逃げ遅れて破壊された船。
「街に降りたいんなら、てめえらだけで行ってくれ。俺とザナは船を見張る」
「尻尾巻いて逃げても良いんだよ」
と、マルダーが冷やかし混じりに言う。
「客を捨てるほど落ちぶれちゃいねえ」
そう言うと、ルインは無事だった桟橋に船を着けた。
………
下船したリガーリェの一行は桟橋を渡り、船着場の外に出た。
軒を連ねていた家々は、見るも無残な姿と化し、平坦に慣らしていた道路は抉られてしまっている。そして横転した馬車の窓からは、黒く焼け焦げた手が空に向かって伸びていた。
「なんてこと」
ラトナは顔をしかめて辺りを見回した。
「姫、どうか我らの後ろに」
ヘッツァーに促されるまま、ラトナは暗い面持ちで部下たちの背後に回った。ドレスを着ていない姫騎士は仲間の盾にはなれない。
(せめて、お荷物にならないようにしないと)
ラトナは気持ちを切り替えて、肩の長銃を提げ直した。
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