第6話
肌を撫でる冷たい風に、ラトナは目を瞑ったまま身震いした。つい、体にかけられた毛布を、もやのかかった頭まで引っ張る。
(もうふ?)
ラトナは違和感に気づき、大慌てで起き上がった。
「私は……みぎゃっ!?」
言葉が途切れた。額を二段ベッドの天井に打ち付けてしまったのだ。
「ここは?」
額を両手で抑えながら、首だけを動かした。
薄汚れた壁に錆びた床、ヒビの入った天井、そしてむき出しの配管たち。
「牢屋?」
「失礼だな、おい」
即座に男の声が返ってきた。
ベッドから顔を出してみると、ルインが入口横に立っていた。
水兵が着るような腰丈のコートを羽織り、いつもの略帽を頭に載せている。そんな船乗りの表情は、今までで一番柔らかかった。
「ここはサ・イラ号の船室だ」
「戦闘は? ゴレムは?」
「そこから覚えていないのか」
呆れ顔のルインは略帽を脱ぎ、向かい側のベッドに腰をおろす。ラトナは毛布の端をぎゅっと握った。
「ゴレムは死んだ。アンタが一発で仕留めてくれたおかげでな。んで、ホッとしたアンタはドレスを着たまま、ぶっ倒れた。過労だとさ、無理しやがって」
「そう……でしたか」
「また借りが出来ちまった。ありがとう」
ルインは真剣な面持ちで礼を口にする。意外に思ったラトナはしばしの間、ルインを見つめ返した。
「なんだ?」
怪訝そうな視線に気付いたルインは、不審げに尋ねた。
「てっきり、文句を山ほど浴びせてくるのかと思いました」
「そうかい」
ルインは、ふっと力なく笑う。
「ああ、そうだよ。お宅には言ってやりたい事が山ほどあった。でも今は、疲れて口を動かすのも億劫なの。気絶した誰かさんに礼をしたいだの、見舞いたいだの、わんさか押し掛けてきた船乗り連中の相手をしていたもんでな」
「まあ」
ラトナは口に手をあてる。
「補給場に居たみんながアンタに感謝していたぜ。あのまま放って置いたら、誰かが落とされてたんだからよ。どうした胸を張れ、姫騎士サマ」
「そ、そうですね。そう言われると、なんだか照れて……ああ、そうだわ!」
ラトナは急に毛布を剥いで、衣服をルインに見せた。
身につけていたのは、ゆったりした青い長衣に、裾の広い白ズボンであった。素材から縫い方まで上質で、市中で売られているような服とは段違いだ。そして広い襟には、歯車と蛇の紋章が刺しゅうされている。
「この服は誰が着せたんです?まさか……」
姫騎士は両手で顔半分を覆い、ルインを見つめる。指の隙間から覗き見える頰が、りんごのように赤らんでいた。真意を悟ったルインは、慌てて首と手を振った。
「違う、違う! テメエの裸は断じて見てねぇ。着替えさせたのは、フローリン商会の女達。その服も、あのジジイがくれた。予備の何着かと一緒に」
「あのお爺様が?」
贈り主の名を聞き、ラトナは大いに驚いた。
「どうして。これ……お祖母様の服なのに」
「なんだって?」
今度はルインが驚きの声をあげた。
「これは、お祖母様が外交先で好んで着た平服なんです。でもこれを作っていた仕立て屋さんは随分前に無くなって……どうして、あのお爺さんが?」
姫騎士の言葉にルインは頭をかいた。
「偶然かもよ。在庫に埋もれていたのを適当に引っ張ってきたとか、そんな感じでさ」
するとラトナは神妙な面持ちになった。
「そうなんでしょうか……」
結局答えは出ず、この話題は打ち切られた。
それから、体が動かせるようになったラトナはベッドから離れた。
「腰布まで用意してくれたのね、あのお方」
彼女は藤色の腰布を巻いた後、髪を後ろで団子状にまとめた。
「ところで船は今どこに?」
ふと思い出したように尋ねる。
「北部のシタデル山脈を越えて、川伝いに進んでいる。そう言えば分かるだろう、お姫様。長時間の船旅、お疲れさま」
船乗りは略帽をキザに傾けてみせた。
「もうそんな所まで来たのね」
そう言うと、目を輝かせたラトナは船室を飛び出した。船窓に写る荒々しい山肌は、生まれた頃からよく見てきた、シタデル山脈のもの。
「帰ってきたんだわ、私!」心を踊らせた姫騎士は、わき目も振らず操舵室に飛び込む。
「おはよう。体の調子はどう、お姫さん?」
操船中のザナが、前を向いたまま尋ねてきた。
「お、おかげ様で元気になりました!」
「そりゃあ良かった。それならアニキも早く戻ってきてくれねえかな。じき着陸なのに」
舵を握る小さな手に力が入っている。まだ操船の経験が浅いのだと、冷静になったラトナは理解した。
「なかなか良い乗り心地ですよ、水夫さん」
ラトナは手を後ろに組み、微笑む。
「それ皮肉?」
「いいえ。褒めているんです。だってここまで、ずっと安心して眠れたんですから」
返ってきた答えにザナは目を瞬いた。
少年は何か言おうと口を開いては閉じを繰り返して、結局何も言わず、また操船に集中しだした。
まもなくすると、ルインも操舵室に入って来た。
「ザナ。今日はてめえが着陸させろ。練習にはもってこいの天候だ」
船長はザナの側に立つなり言い出した。
「おいおい。客人がいるんだぜ。もしもの事があったらよぉ……」
「『もしも』なんざとっくに起きた。今更一つ増えたところで変わらんだろう。つべこべ言わねえで、男らしいトコ見せてやれ」
「頑張ってください、水夫さん」
「まったく。後悔するなよ、二人とも」
大人達に煽られたザナは、不機嫌顔を作った。
……やがてサ・イラ号は山脈の麓、緑豊かな峡谷地帯に入った。
地上では険しい崖の隙間を縫って流れる川水が白く光り、穏やかな風に乗った野鳥の群れがサ・イラ号の足元を通過していく。
そんな眼下の光景をぼんやり見ていたルインは、ずっと心の底に埋もれていた「何か」が揺れ動いたような錯覚を覚えた。
(ガラにもない事を)
不釣り合いな感情を振り払い、双眼鏡を目にあてた。
「……面舵十度。見えるか、ザナ。バカでかい鉄の壁が」
彼の言うとおり、峡谷の中に赤黒い鉄塊が、まるで壁のようにそびえ立っていた。
「なんだよ、あれ?」
驚いたザナはやっとラトナに顔をむけた。
「あれは『ラーテの壁』です。侵略者の行く手を阻む、鋼鉄の城壁」
ラトナが説明している間に船は壁のすぐ目の前に到達。鉄塊の細部がより見えるようになると、ルイン達は言葉を失った。
戦車だ。有象無象、あらゆる形をした戦車の残骸がうず高く積まれて、峡谷を塞ぐ壁となっているのだ。
「なるほど。どうしてリガーリェが『戦車の谷』なんて呼ばれているのか、コイツを見てよおく分かった」
ルインは略帽を脱いで感嘆の声をあげた。
「その言葉は壁を越えるまで取っておいた方が良いですよ」
ラトナはそう言うと壁の下を指差した。サ・イラ号の接近にあわせて、分厚い扉が開いたのだ。
「アレを潜るの?」
ザナの顔がみるみる内に蒼白になっていく。
「潜るの。大丈夫だ、扉はこの船よりもデカい。まずは速度、次に侵入角度、それから高度の順で調整かけろ。いいか、一気に下げず、じっくりとやるんだ」
ルインの細かい指示のもと、ザナは船を扉へと近づける。
ルインの言葉通り、扉は元魚雷艇の小ぶりな船体を優に超える大きさであった。
一連の調整を終えたサ・イラ号は、ユラユラ揺れつつ、ゆっくり入口中央を進んだ。
そして船尾が扉を潜り抜けると、ザナは一際大きなため息をついた。
「よくやった」
ルインはぶっきらぼうに、ザナの頭をわしゃわしゃ撫でた。
「よおし、あとはこのまま船着場に……」
言葉が途切れた。狼の目は船の側面、谷の斜面に釘付けとなった。
ラーテの壁のように、戦車の残骸が、あちこちに積み上げられていたのだ。その殆どが名もなき植物達に覆われて、自然に飲み込まれようとしている。
「たしかに、さっきの言葉はここで言うべきだったかもな」
ルインは灰色髪をかきあげた。
「なんだよ、この戦車の数。いや、よく見ると戦車だけじゃねえ。船もあるし、見たことない乗り物まで混じっていやがる」
「郷に住む我々も詳しくは分かりません。言い伝えだと、かつてこの地には魔導ゴレムの無人工場があったとか。ゴレム達は、各地から拾ってきた戦車の残骸を、この谷に集めたそうです」
ラトナは積み上げられた車両の山を、物憂げに見つめた。
魔導ゴレムを半永久的に生み出す工場は、文明の衰退した現在も、古の魔術と科学の融合により稼働を続けている。
その一つが、このリガーリェの地にあった。ラトナの先祖はそう語っているのだ。
「こいつらは兵器の材料ってか? んで、肝心の工場はどうなった?」
「分かりません。郷のどこにも、工場の形跡が無いんです。もしかしたら、地下深くに埋まっているのかも」
「ぞっとしねぇな」
ルインは浮かない顔を作り、ラトナも同意するように小さく頷く。
「こっちは二人以上にぞっとしてるケド?」
と、ザナが口を挟んできた。
峡谷を抜けると、ようやくリガーリェの郷が見えてきた。
白い三角州に沿って畑が広がり、その周りに家や風車小屋などの建物が並んでいる。郊外の丘には砦のように堅牢な建物が置かれ、複数の煙突から煙がのぼっていた。
そして石壁で区切られた道路では、馬車や徒歩で行き交う住人達の姿が見られた。中には上空のサ・イラ号に手を振る者もいた。
サ・イラ号はラトナの指示のもと、郷の中心部を飛び越えて、北端の船着場に降りた。
船のソリが地に着くまでの間、ザナが顔を青くしたまま口を止めなかったのは、もはや言うまでもない。
……さて、船着場はのどかな空気の流れる郷には不釣り合いなほど、整備が行き届いていた。
鉄骨を張り巡らした足場に、巻上げ機をはじめとする各種作業機械、果ては堅牢な物見台まで置かれていた。
「たまげた。ただの田舎じゃあねぇな」
「その調子で、どんどん驚いてください」
ラトナはいたずらっ子のような笑みを作る。続けて彼女は、サ・イラ号の二人に一礼してみせた。
「リガーリェにようこそ。国守の娘として、お二人を歓迎しますわ」
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