第3話



「初めて見たよ、姫騎士」

 舷側に腰掛けていたザナは、呟くように言った。

 姫騎士がヘビードレスを脱いでいる間、男たちは甲板で手持ち無沙汰になっていた。


「ヘビードレスなら、古いスクラップを死んだ爺さんが持ってたけどさ。でも信じられなかった。あんなの着て戦う女の人がいるなんてよ」

「良かったな。また一つ世界を知ることができて」

 傍のルインは皮肉混じりに返した。

「どこの辺境諸国も、ああいうヘビードレスや姫騎士様を一つ二つ、必ず持っているんだ。人間一人で戦車一台分の火力を持つ、とんでもねえ魔導兵器」

「でもどうしてそんな大事な兵器を、わざわざ大事なお姫様に着せるのさ?」

 ザナの素朴な質問に、ルインは困り顔で頭を掻いた。

「ええとだな、自分とこの娘を大国へ人質に出すついでに、ドレスっていう戦力も貸し渡して自治を保証してもらうとか何とか……」

「なんだよそれ?」

 ザナは眉をひそめた。


「とにかく、ヘビードレスと姫騎士様は、お偉いさんの外交手段にも使われるって話し。だから軍隊はおいそれと他国のお姫様を戦場に置いてけぼりに出来ないし、どこの馬の骨とも知れんオンボロ民間船を徴用してでも回収せにゃならん。それ位大事な荷物なの」

 そこまで言うと、ルインは曇り空を仰ぎ見た。

「そして、そんな仕事を振ってきた軍隊とはしばらく距離を置く。あいつらの依頼を受けると、ロクな目に遭わねえ」


「距離を置くのは賛成だけどさ、アニキ。それじゃあオレ達はいったい、誰に金を請求すりゃあ良い?」

 ザナが不安げに尋ねる。ルインは疲労たっぷりの顔を手で覆い、低く唸った。


 ルイン達の仕事は、依頼主である救出部隊を目的地まで運び、取り残されたラトナを回収する事だった。

 しかし肝心の救出部隊は、ルインの制止も聞かずに森へ入り、全滅してしまった。

 依頼主死亡で仕事は中断、報酬は得られない。だが救出対象者は手元にいる。


「……ダメ元で姫さまの原隊にせびる。軍は金が無いから渋るだろうが、俺たちはテメエの部下の代わりに、姫様を助けてやった。代価を受け取る権利はあるだろうさ」

「助けられたのはオレ達だけど?」

「うるせえ」


 二人が話していると、ラトナが下の船室から、甲板に昇ってきた。

 振り返ったルイン達は、彼女の姿に、たちまち呆けてしまった。

「シャワーをありがとうございます。久々の熱いお湯は格別ですね」

 礼を述べたラトナは、袖のない薄手のシャツとズボンという出で立ちだった。


 重装備を扱うだけあって肩幅は広く、腰回りや脚にはしっかり肉が付き、安定感があった。健康的な美しさ、男を悩ます恵体。


「……なにか?」

 ラトナは怪訝に尋ねてきた。

「いいや」

「なんでも」

 我に返った男二人は揃って視線を泳がせた。

「そうですか。おかしな方々ですね」

 ラトナはそう言うと、乾いた栗色髪を、頭の後ろで団子状に結わえた。


「私の準備は整いました。それでは原隊まで私を運んで下さいな」

「……やっぱり連れて行かなきゃダメ?」

 と、ルインが言う。

「何か問題でも?」

 ラトナは小首を傾げる。不思議そうに目を丸める辺りがいちいち小憎い。ルインは略帽を脱ぎ、手の中でくしゃくしゃに丸めた。


「依頼主が死んだ。つまり支払う相手が居ないんだ。それなのに、仕事は最後まで遂行しろって?」

「あら。逐一お金を渡さなければ、あなたは動いてくれないのですか」

 ラトナはそう言いながら男たちに近づく。

「あー。誤解しないでもらいたいがね、お姫様。別に仕事したくないから、アンタをここに置いて行こうってんじゃあ無いんだ。タダ働きになる可能性が高くなったんで、つい不満をぶちまけたい気分になってるだけ」

「仕事をしながら不満を? 手と口を一緒に動かしては、余計に疲れますよ?」

 ルインの目と鼻の先で止まり、ラトナは意地悪な微笑みを船乗りに向けた。

「さっきからヤケに挑発してくれるじゃあないの、お姫様」

 ルインはまっすぐラトナを睨み返す。ラトナは相変わらず眉ひとつ動かさず、微笑んだまま。二人はしばし、見合った。


 先に沈黙を破ったのはルインだった。彼は深いため息を吐くと、姫騎士に背を向けた。

「分かったよ、分かった。お宅に文句を言ってもしょうがない。出発する。だが、もし連中が支払いを渋った時は、お宅に請求してやるからな!」

 そう言うと、ルインは略帽を頭に被せた。


 …………


 ……それから六時間後。

 ルインはサ・イラ号の操舵室で項垂れていた。大国ドゥークスの南端にある港町は、間も無く夕暮れ時を迎える。

 軒を連ねる建物が徐々に灯をつけ始め、通りは家路を急ぐ者たちで溢れていた。


「残念だったね、アニキ」

 ザナは頰をひくつかせながら慰める。本心では、兄貴分の落ち込み様が愉快でたまらなかった。

「……英雄様を連れ帰ってきたんだ。相応の報酬を貰う権利はあるだろうに!」

 上げた顔には至る所にアザや傷が出来ている。揉めた際に出来た「名誉の負傷」だ。


 ラトナを野営基地に送り、そのまま司令部へ顔を出したルイン。そんな彼に突き返されたのは「支払い拒否」という回答だった。

 頭に血を上らせたルインが反論するも、士官は契約していないの一点張り。粘土をこね合わせて作ったような顔に表情はなく、発する言葉も常に同じ。

 やがてルインの怒りは、頂点に達した。


「負け犬!」

 ルインは簡易机を蹴飛ばして怒鳴った。士官は例によって眉ひとつ動かさなかったが、周りの衛兵達は総毛立ち、中には腰の拳銃を抜こうとする者まで現れた。

 ルインは感情に身を任せ、更に怒気を爆発させる。

「女一人にケツ守ってもらいながら、尻尾巻いて逃げてきた情けない負け犬どもが。こっちは、てめえらの恩人を助けてやったんだ。少しは敬意払っても良いだろうが!」

 このルインの発言に対する回答は、もちろん衛兵の硬い拳であった。

 こうしてルインは叩き出されるように、野営基地から出てきた……もとい追い出されたのである。


「……こんな事もあるさ。また次、デカいヤマで稼げば良いんだよ」

 流石のザナも、これ以上笑っているのがしのびなくなり、慰めに入る。

「ふん。次がある、か」

 ルインは不満げに操舵室から出た。


 戦場だった荒野から遠く離れた港町。

 世界が荒れ果て、文明が後退しても、人が集まる場所は自ずと活気づく。

 その輝きに憧れて飛び込んだとしても、次の瞬間には外からの脅威に呑まれ、潰えてしまう。

 死は日常の一部となり、いつも近くで息を潜めている。

 平穏と危険は常に隣り合わせ。

 そんな世界で、次の機会を待ち望む余裕など……。


「辞めだ。気が滅入るといつもこうだ」

 ルインは頭を振った。

「ザナ。今日は街で派手に騒ぐぞ。どうせ赤字なら、とことん真っ赤にしてやろう」

 するとザナの顔が、ぱあっと晴れやかになる。

「賛成。それなら、エールハウスで朝まで……」

「ガキに飲ませる酒は無い。テメエはソーダ水で我慢しろ」

「なんだよ、それ。ガキ扱いするな」

「ガキだろうが」

 ザナの頭を鷲掴みにして言った。


………


 下船したルイン達が夕飯の献立について熱く語り合っていると、遠くから「見つけましたー」などと、能天気な声が飛んできた。

 振り向くと、ラトナが大荷物を載せた荷車を一人で曳き、向かって来ているではないか。


「御機嫌よう。探しましたよお」

 ラトナは途中で荷車を置き、パタパタとルインの前に駆け寄ってきた。こなれた軍服の上にポンチョを被った彼女の姿は、お世辞にも「姫騎士」とは呼べないものだった。


「報酬です、報酬!」

 姫騎士は能天気に言う。

「へ?」

 素っ頓狂な声を出すルイン。

「貴方が仰ったんですよ。部隊から報酬が貰えなかったら、私に請求するって。だからはい、これ」

 彼女はポケットから布袋を取り出して、ルインに手渡した。

 ジャラリと重い音が袋から鳴る。


 ルインは袋を掌の上で弄び、彼女の鳶色の瞳をまっすぐ見た。邪などいっさい無い、純粋な輝きだ。ルインは居たたまれなくなって、つい視線を逸らしてしまう。

「気持ちだけ受け取る」

 ぶっきらぼうに袋を突き返した。


「どうして。貴方は私の為に命を懸けて下さった。御礼を受け取る正当な理由があるんですよ」

 するとラトナは両手で口元を覆い、目を潤ませる。

「まさか足りなかったのでしょうか。嘘……もしかして私の報酬、少なすぎ……?」

「そういうんじゃなくて。いや、あの時はたしかに意地悪な言い方しちまって、その……」

 オロオロする二人を眺めていたザナが、しびれを切らして間に入った。


「アニキはお姫さんに八つ当たりしたのを気にして、ためらってるだけなんだ。アニキったら古い人間よね。こういう時だけ、変に片意地張っちゃってさ。そうだ、もし貰わないんなら、オレが……」

「テメエには一枚もくれてやらねぇ」

 と、ルインはザナを押し退ける。それからまた、ラトナへ真面目な顔を向けた。


「金なら諦めがついた。お宅の好意は嬉しいが、こればかりは筋が違う気がする」

「そうですか」

 ラトナは眉を八の字に曲げて、俯く。

「そうだわ!」

 そしてすぐに、晴れやかな顔を上げた。


(表情がコロコロ変わるな、こいつ)

 などとルインが狼狽えるのをよそに、彼女は口火を切った。

「私が貴方にお仕事を依頼します。それで、この報酬を受け取れば良いのよ。ええ、そうよ。それが良いわ!」

「お、お姫さん?」

 ザナは目を白黒させる。ルインも何か言おうと口を開きかけるが、先にラトナが二言目を発した。

「そうと決まれば善は急げ。お願いします、船乗りさん。私を故郷まで送ってくださいな」


 ………


 ラトナの半ば強引な依頼により、サ・イラ号は翌朝、日の出と共に港を出た。

 この世界では陸を車輌で進むより、障害物のない空を、船で進んだ方が遥かに便利であった。故に船は「無くてはならない」移動手段として重宝されていた。

 そして彼らが目指すのは、ドゥクスの北東に位置する小国『リガーリェ』だ。

 別名、戦車の谷。ラトナの故郷である。


 ラトナは久方ぶりに帰る故郷に胸を躍らせながら、船倉でドレスの整備に励んでいた。

「あらら」

 全身の外装をはずし終えた彼女は、泥まみれの内部に顔をしかめた。

 汚れならまだ目を瞑れる。丁寧に洗えば良いだけだ。問題は損傷の多さである。


 両大腿のギアボックスにはヒビが入り、推進用の噴流ノズルも二個ほど砕けている。着用者を護る内部装甲板は、被弾の衝撃で全身余すところなく歪み、肋骨状のフレームも数本折れて、酸素タンクに突き刺さっていた。

 どれも殿を務めて、最後まで戦い抜いて作った傷の数々である。


 幸いスカートに護られたドレスの心臓「魔導機関」と、燃料を貯める「念石タンク」は無傷だった。時間は掛かるが、国に持ち帰れば、まだ治せる筈だ。少なくとも持主はそう信じている。

「……お家に帰ったら、オーバーホールね」

 ラトナは己のドレスを労わるように優しく撫でた。


 ヘビードレスは重厚な見た目に反して繊細だ。

 硬い装甲、高い火力を誇る一方で、整備にはとてつもない労力を要する。

 稼働率は6割を維持できれば万々歳、行軍中も故障や燃料切れで落伍者が続出。戦闘中、弾雨の中で機能停止に陥る事だってある。加えて搭乗者は小国の姫や重臣の子女。万が一の事を考えると、迂闊に前線へ出すこともできない。


 お荷物、張子の虎、自走式防弾盾。戦車の数合わせ。

 友軍からは白い目で見られ、悪しざまに揶揄される。そして敵からは、除かなければならない障害として、真っ先に狙われる。


 良いことなんて何もない。

 それでも、戦わなければならない。

 ラトナは両拳を握りしめ、深呼吸をする。

 魔導兵器から大切な人たちを守るため。

 大国に生まれ育った大地を奪われないために。


「よし」

 雑念を払った彼女は、いつもの柔らかい微笑みを作り、工具箱へ手を伸ばした。

 それからしばらくの間、彼女は船に揺られながら、整備に励んだ。

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