第97話【ノーズの温泉とマリアーナ】

「すみませんが201号室へ紅茶をふたつほど持ってきてもらえませんか?」


 受付カウンターにいる女性にそう伝えてから僕は2階の部屋に戻るために階段を登っていると前からダランたちが2階から降りてきた。


「お、あんたもこれから入りにいくのか?

 せっかくノーズに来たからにはこれに入らないと意味がないよな」


(入るって……何に入るのだろうか?)


 ダランの言っている意味が分からずに素直に聞く僕にダランは笑いながら教えてくれた。


「このノーズでは食べ物はノーズベリーが特産になるけれどもうひとつ他の町にはない特徴があるんだよ。

 そいつは【温泉】なんだ。

 王都や比較的大きな町の宿には【風呂】はあるが【温泉】があるのはノーズだけでな。

 俺もノーズに来たのは初めてだから実は楽しみにしてたんだ」


 ダランはそう言って受付の女性に利用料金をはらうとカウンターの横のドアから奥へ入っていった。


(温泉かぁ……。

 前世ではスーパー銭湯くらいしか行ったこと無かったけどやっぱり良いものだな。

 これは絶対に入りに行かなくてはいけないな)


 僕はすぐにでも温泉に行きたかったがマリアーナの仕事も気になりしぶしぶながら後回しにして部屋へと戻った。


「紅茶の手配はしておきましたよ。

 おそらくすぐに持ってきてくれると思います」


「ありがとうございます。

 私も書類の山を見ていると頭痛がしてくるので一休みをしたいと思ってました」


 マリアーナはそう言うと書類の積んであるテーブルから離れて部屋に備え付けのソファへ腰をおろした。


「そう言えばダランさんたちは温泉に行くと言ってましたよ。

 サーラさんたちとは会わなかったですけどこちらも行かれたんじゃないですかね?」


「ああ、温泉はいいですね。

 ノーズの温泉宿は結構有名ですから訪れたら温泉入らない訳にはいかないですものね。

 当然この宿にもありますからゆっくりと入られても良いですよ」


 ソファに腰をおろしたマリアーナは微笑みながら僕にそう語る。


「ちょっと興味がでてきましたので僕も入ってみたいと思います。

 マリアーナさんはどうされるんですか?」


「私は皆さんと入るにはいろいろと問題があるので別にしようかと思っています。

 この宿には共同の大浴場の他に小浴場があってこちらは予約で借りることができるのです」


「へぇ、そんな画期的な方法があるんですね。

 僕もそれにしてみようかな、初めてのことだし他のひとに迷惑をかけなくて済むのは気が楽ですからね」


 何が『いろいろと問題ある』のかを聞くのが怖かった僕は話を逸らすためにそう言うとマリアーナは怪しく微笑んで「ならばご一緒にどうですか?」ととんでもない提案をしてきた。


「な、なにを言ってるんですか?

 そんな事できるわけないですよ」


 そう言って慌てる僕に「あら、残念。ふられてしまいましたね」と大げさな素振りでため息をついた。


 ――コンコン。


「失礼します。

 お飲み物をもってきました」


 そのときドアをノックする音が聞こえて店員が紅茶のはいったカップを持ってきてくれた。


「ありがとうございます」


 僕がお礼を言うと「どういたしまして」と軽くお辞儀をしてからその女性は部屋から出て行こうとしたがそれを僕は呼び止めた。


「すみません。

 小浴場の予約ってあいてますか?」


「あ、はい。

 今はどなたも使われていないはずですので大丈夫だと思います」


「ならば、今から僕が予約しても良いですか?」


「はい。では一度受付カウンターまできて頂いて予約の確定と前払い金をお支払い頂いた後に鍵をお渡しします。

 あ、紅茶を飲まれてからでも大丈夫ですので後で受付までお願いしますね」


 女性はそう説明してから再度軽くお辞儀をして部屋から出て行った。


「――と言うことで僕が先に小浴場の温泉に入ってきますのでマリアーナさんはその後で予約してくださいね」


 先を譲っても良かったのだがマリアーナはまだ仕事が終わってない状態だったので僕が先に予約をとることにして持ってきてもらった紅茶を飲みおえた僕は温泉を楽しみにいそいそと宿の受付へと急いだ。


   *   *   *


「くぅっっっ!」


 少しばかり熱めの温度にうなり声を発しながら僕は温泉を堪能する。


「これは……最高だな」


 こちらの世界に転生してからも風呂なんてものは毎日入るほどのものではなく、日頃はしぼったタオルで身体を拭く程度が常識の世の中でこうして温泉に入れるのはやはり『最高』としか表現できなかった。


「しかし、マリアーナさんには驚いたな。

 とてもではないがあんな冗談を言う人だとは思わなかったんだけど……惜しいことをしたかな」


 僕が温泉に肩まで浸かりながらそうひとりごとを言ったかと思うと突然後ろから声が聞こえた。


「――あら、そうだったのてすか?

 ならばそう言ってくだされば良かったのに」


「なっ!?」


 その聞き覚えのある声に思わず反射的にふり向いた僕の目に写ったものは身体にバスタオルを巻きつけたマリアーナだった。


「マ、マリアーナさん!?

 どうしてここに!?」


 あまりに突然のことで何がおきているのかわからず軽いパニックをおこしていた僕は慌てて反対を向いて首まで温泉に沈み込んだ。


「少しばかりあなたにお話があるのですが部屋よりもここの方が話しやすいかと思いご一緒させてもらいましたが何か問題でもありましたか?」


 後ろを向いたのでマリアーナの表情は見えないが声だけを聞くととても不思議そうな感じだった。


「いや、問題だらけだと思うんですが……。

 とにかく僕は後ろを向いてますから話があればそのままどうぞ」


 このさい目もつむろうかとも思ったが暗闇でいると余計な映像が蘇りそうだったのでやめて目の前にある温泉の注ぎ口をじっとみつめていた。


「このままだと少しばかり寒いので後ろを失礼して私も入らせてもらいますね」


 ――ちゃぽん


 目に見えないぶん聞こえる音に敏感となっていた僕に彼女が温泉に入る音が聞こえ、背中に人の気配がはっきりと伝わってきた。


「ふう――。

 あいかわらずいい温泉ですね」


 背中からマリアーナの声が聞こえてくると僕は緊張からか少しうわずった声で質問をした。


 

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