第30話
「違う!」
夕焼け空に、花哩の怒号が響いた。
「いい? より疾く飛ぶためには体勢が重要なのよ。もっとこう、頭を下げて……」
「こうか?」
「だから違う! なんで逆立ちしてんのよ! 馬鹿にしてんのっ!?」
「いや、頭を下げろと言われたから……」
放課後から一時間が経過した頃。翔子は花哩に特訓という名の扱きを受けていた。
花哩の教育は苛烈極まり、周囲の通行人が距離を置くほどだ。
「は、花哩さん、そろそろ夕食の時間が……」
「……花哩。お腹すいた」
見学しているラーラと綾女も、流石に花哩を止めたがっている様子だった。
しかし花哩は彼女たちの声に聞く耳を持たない。
「あんたねぇ、そんな調子じゃEMITSに殺されるわよ!」
「そんなこと言われてもな……」
「いいから、もう一度、最初からやる!」
有無を言わせぬ花哩の言葉に、翔子は渋々従った。
遊覧飛行の時よりも頭を下げて直進する。
すると飛翔の速度が普段よりも上昇した。
成功した、と翔子は思った。これが花哩の求めていた結果なのだろう。
だが達成感はない。
翔子はこの飛び方に、あまり魅力を感じなかった。
「やればできるじゃない! なら次は――」
「花哩、この辺にしてくれ」
嬉々として次の訓練を考える花哩に、翔子は言う。
「言った筈だ。俺は別に特務自衛隊を目指しているわけじゃない。こんな、EMITSとの戦いを想定した飛び方を覚えたところで、役には立たない」
翔子の言葉に、花哩は真摯な表情を浮かべて言った。
「ねえ、翔子。お願い……聞いて。あんたの才能は本物なの。それを腐らせる真似は絶対にしちゃいけない」
花哩は、真っ直ぐ翔子を見据えて言う。
「私はただ、あんたの才能を有効に――」
その一言が翔子の脳を揺さぶった。
陸上部の推薦で高校を入学した当初、何度も聞いた言葉だ。『翔子、お前才能あるんだからエースやれよ』と監督に告げられた、あの時の光景を鮮明に思い出す。
部員は皆、自分に尊敬の眼差しを注いでいた。
だが同時に強い重圧も与えていた。
あの
――反吐が出る。
自分はただ、自由に生きたいだけなのに。
今まで堰き止めていた感情が――口元まで迫り上がった。
「ない」
「え?」
「才能なんかない」
翔子は花哩の前から離れた。
飛翔外套を翻し、ここではないどこかへと飛び立つ。
「な、なによあいつーーーっ!」
背後から花哩の叫び声が聞こえたが、翔子は意図的に無視をした。
◆
一人で空を飛んで、翔子は確信する。
やはり自分は何も気にせずに、ただの飛んでいるだけの状態が好きなのだ。
景色を眺め、風に包まれる。
それで十分だ。
『いいんですか、ご主人様?』
依々那が言った。
「いいだろ。別に俺は、この空で誰かと戦っているわけでもあるまいし」
『そういうことではなく、人付き合いの面で心配しているんですよ。今回に限っては花哩様にも非はありますが、ご主人様もまた、他者との交流に排他的過ぎます。お互いもう少し、歩み寄ってはどうですか?』
「知らん。面倒だ」
翔子の言葉に、依々那は溜息を吐いた。
(……足手纏いになりたいわけじゃあ、ないんだけどな)
しかし、流石にやり過ぎではないかと思う。
周りと比較しても、今の自分は明らかに訓練のしすぎだ。花哩と達揮だけは自分以上に努力しているような気もするが、彼らの志しは特別だろう。二人を基準にしてはいけない。
自分は明らかに平均以上の訓練を強いられている。その理由が、実力不足であるならまだ納得はできるが……ここ最近はそうではなく「才能が勿体ないから」と言われることが多い。
頭を悩ませていると、視界の片隅に紫色の外套を纏った少女が映った。
「……綾女か」
綾女が音もなく翔子の傍まで飛んで来た。
「説教か? 悪いが謝る気は――」
「必要ない。遅かれ早かれ、翔子と花哩は衝突すると思ってた」
普段通りの無表情で淡々と告げる綾女に、翔子は眉を潜める。
「翔子…花哩のこと、どう思う?」
単刀直入な物言いだ。
しかし駆け引きを面倒に感じる翔子にとっては、その方好ましい。
「目標に対してストイックだな。ただ、少し……」
「視野が狭い?」
綾女の言葉に、翔子は頷いた。
「翔子も理解していると思うけれど、花哩は目標に向かって我武者羅に突き進むタイプ。でもそれは真っ直ぐというより愚直に近い。このままいけば、いつか必ず危険な目に遭う」
「……危険な目?」
「端的に言えば無茶をする可能性が高い。妙な事件に巻き込まれるかもしれない」
成る程、と翔子は納得した。
確かに花哩の持つ気丈な性格は、無鉄砲さと表裏一体のように思える。班長としては頼もしいが、一方で不安になるのも分からなくはない。
「翔子をこの班に迎え入れたのは、花哩を止められる人間だと思ったから」
その一言に、翔子は首を傾げた。
「どういうことだ? 俺は、余り物から選ばれたんじゃなかったのか?」
「あの金轟が推薦した人なんだから、名前くらい調べるに決まってる。……花哩とラーラは知らなかったみたいだけど」
それは、つまり……綾女は花哩たちに隠し事をしていたということだ。
何故なら綾女は初めて四人で顔を合わせた際、翔子が金轟に推薦されたことを聞いて花哩たちと一緒に驚いていた。
あの態度は嘘だったらしい。
何故、そんな嘘をついた?
「翔子は、花哩とは真逆のタイプ。成果よりも楽しむことを優先する人種。……だから、猪突猛進な花哩のストッパーになると考えた」
「……だから、俺を班に入れたのか」
「そう。でも、それだけじゃない」
綾女は続けて言う。
「
その言葉に、翔子は目を見開いた。
「……俺、そこまでは言ってないよな? どうやって知ったんだ?」
「貴方は他人だけでなく、自分にも無頓着。……美空翔子は有名人。名前で検索したら、貴方に関する記事がいくらでも出てきた。……一部では、執念のないランナーだとか、責任を放棄した元エースだとか、色々書かれてたけど、私としてはその方が好ましい。この件を知って、貴方は花哩のストッパーになると確信した」
懐かしい呼び名だ、と。翔子は相槌を打った。
「言いふらす気はないから、安心して欲しい」
「……別に隠しているわけじゃないし、好きにしていいぞ」
「分かった」
綾女が頷く。
「ついでに言うと、初めて会った時の反応で翔子は絶食系男子だと分かったから、ラーラの男性恐怖症の治療にも丁度いいと判断した。……予想通り、ラーラはあまり貴方のことを怖がっていない。ちょっと変なプレイもついてきたけど、そこは許容する。ラーラの性癖が歪まない程度に、一緒に遊んでやって欲しい」
「いや、あのプレイは俺としても不本意なんだが……」
初めて会った時というと、翔子が綾女と花哩の着替えを見てしまった時のことだ。綾女は着替えを見られながらも冷静にこちらの様子を分析していたらしい。
「綾女は、メンバーのことをよく考えているな」
「私はラーラのように優しくないし、花哩のように人を引っ張る力もない。だから、こういうことでしか貢献できない。いわゆる縁の下の力持ち」
その言葉に嘘はないのだろう。
綾女はきっと本気で花哩やラーラのことを思っている。
「……浮遊島は、皆が思っているよりずっと危険な場所」
綾女が小さな声で呟いた。
綾女は天防学院の理事長の娘だ。それ故に、浮遊島での様々な情報に精通しているのかもしれない。
「だから、私は……少しでも長く、ここでの平穏を維持したい」
綾女は、訥々と告げた。
表情の変わらない綾女だが、今の言葉は絶対に本音だと翔子は思った。
綾女も戦っているのだ。
打算的な態度にも見て取れるが……その心掛けには敬意を持てる。
「……要するに、俺は今まで通りにしていればいいんだな」
「ん。翔子はやる気がないだけで責任感はあるから、私たちの足手纏いにはならないと確信している。だから普段はその調子で……いざという時には、一緒に花哩を止めて欲しい」
「分かった。皆の友情を壊さないよう、善処する」
そう言うと、綾女は僅かに表情を綻ばせた。
「できれば、私は翔子とも友情を育みたい」
「ほんとかよ」
「打算があったのは否定しない。でも今は単純に、翔子とも仲良くなりたい」
そう言って綾女は翔子に近づいた。
まるで衛星のように、綾女は翔子の周りをゆっくり回る。
「翔子の傍は居心地がいい。……何も訊かれないし、何も怪しまれない。だから、気を遣う必要もない」
「……よく分からん」
「翔子は、空に浮かぶ雲みたいな感じ。ふわふわしている」
翔子はもう一度「よく分からん」と呟いた。
その時、翔子の万能端末がメールの受信を通知する。
送信者は……花哩だ。
『ちょっと話したいことがあるんだけど』
簡潔なそのメッセージを見て、翔子は微かに気を引き締めた。
「……早速、頑張ってみるか」
人間関係は、あまり得意ではない。
だが、逃げるばかりでは解決しない問題も、あるのかもしれない。
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