第16話

 昼休みを挟んだ後。

 綾女とラーラが演習場の入り口で待っていると、翔子と花哩がやって来た。


「……翔子、お疲れ」


「ええと、その、大丈夫ですか?」


 二人に声を掛けられた翔子は、儚い笑みを浮かべる。


「俺は今、浮遊島に来たことを早々に後悔している」


「後悔してんのはこっちよ」


 翔子の隣で、花哩が不満気に声を発した。


「ああもう……なんでこんな奴を班に入れちゃったのかしら。こいつ、結局あれから全然成長しなかったのよ! 一番近い的ですら、命中率二割以下って……あんなもん目を瞑って撃っても当たるわよ! ……ったく、なんで金轟もこんな奴を推薦したのかしら」


 花哩は頭をかきむしりながら言う。


「まあ要するに、特訓は全て無駄だったということだ」


「威張んな」


 花哩が怒気を孕んだ声で言う。


「……あんたねぇ。今、自分が周りから何て言われてるのか自覚あんの?」


「知らん。何て言われてるんだ?」


 そんな翔子の反応に、花哩は溜息混じりに答えた。


「偽物よ。……今年は、金轟と銀閃が推薦した二人の天才がやって来るって、前々から噂だったからね。でも蓋を開けたら、片方は本物で、片方は偽物だった。……皆、なんであんたが金轟に推薦されたのか疑問に思ってるわ」


 それは無理もない。何故なら翔子自身も疑問に思っている。


「全員集合しているな?」


 その時、亮が生徒たちの前に現われる。


「それじゃあ今から飛翔技術の授業を始める。転入組にとっては、多分お待ちかねの、空を飛ぶための授業だ」


 亮の発言に、転入組は「その通り」と言わんばかりに賑やかになった。

 この時ばかりは、翔子も周囲の熱に馴染む。


(――来た)


 待ちに待った――空を飛ぶ時間だ。


「私たちに進学組にとっては、久々の授業ね」


「ん。……でも、高等部からは本格的になる」


 天防学院の実技系授業の一つである飛翔技術は、初等部の頃からカリキュラムに含まれている。だが初等部、中等部の間は、より安全に飛翔するための技術をひたすら学ぶだけだ。


 しかし高等部の――それも自衛科にもなれば、飛翔技術という授業は大きく変わる。


 そもそもITEMとは元来、EMITSを殲滅するために開発された代物だ。SIとは言えITEMの一種である飛翔外套も、当然その本懐に沿って作られている。


 高等部自衛科の生徒たちに求められるのは、安全に飛翔する能力ではない。

 より疾く。より鋭く。護るための、そして戦うための飛翔である。


「おーし、お前ら。班ごとに整列しろ。今から飛翔外套を配る。飛翔外套が配られた生徒はすぐに着用して調子を確かめてくれ」


 列に並んだ生徒たちが、前から順番に外套を配られる。


「や、やっと返ってきましたね」


「……これがないと、不便」


 ラーラと綾女が配られた外套を受け取ってほっとする。

 翔子は早速、飛翔外套を広げた。濃い灰色のそれは、フードのないロングコートの形をしており、前はボタンと腰辺りに付けられたベルトで締めるようになっている。


 袖に手を通し外套を着用する。前面と背面では長さが異なり、前面は足の付根、背面は膝裏まで伸びていた。その背面も尻辺りから下に向かって切れ目が入っており、走り回っても動きに支障を来さない造りになっている。生地は薄いが防寒性は十分あるらしい。


「襟を指で弾いてみなさい」


 隣で同じく飛翔外套を纏った花哩が、翔子に言う。

 翔子は言われた通り、ピンと立った襟を、親指で弾いて揺らした。


「おぉ」


 空間投影ディスプレイが、目の前に表示される。

 万能端末に似ているが、こちらは端末画面というよりも、視界そのものがディスプレイと化している。風向、風力の他に、天候や気温、現在の高度などの情報が視界の端に記されていた。

 その時――。


『どーん!!』


「――っ」


 視界が弾けるような、激しいエフェクト。同時に甲高く、どこか腹の立つ声がした。

 ギリギリで声を出さずに済んだ翔子は、見開いた目でソレを見る。


『びっくりしました? びっくりしましたかっ、ご主人様!? お久しぶりです! あなたの依々那で御座います! その死んだ魚のような目、ご主人様も相変わらずのようですね!』


 先日、翔子の手によって生み出されたアバター、依々那の姿がそこにはあった。


『実は、飛翔外套には自動で万能端末と同期するシステムが備わっておりまして。同期すればこうしてサポートシステムである私も、飛翔外套のスクリーンに現われることができるのです! どうですか、驚きましたか? さぞや嬉しいとお見受け致します!』


「殺すぞ」


『またまたご冗談を。照れなくてもいいんですよぉ、ご主人様ぁ?』


「殺すぞ糞電子」


『……あの、ご主人様? 本気で怒ってません?』


 普段通りの無気力な瞳。しかし声色が明らかに冷えきっている。依々那は冗談抜きで主が怒っていることを悟り、借りてきた猫のように大人しくなった。


「ちょ、ちょっと翔子。あんた、いきなりどうしたの?」


 反省した依々那が、独り手に視界の片隅に移動する。その隣で花哩が、怪訝な顔をして翔子に訊いた。見れば、他の古倉班の皆も同じような表情で翔子に視線を注いでいる。


「ああ、悪い。ちょっとアバターが」


「アバターって、サポートシステムの? あぁ、そっか。あんた転入組だものね」


「花哩たちは使ってないのか?」


「中等部に入る頃には、必要なくなったから。消したわ」


「そうか。……後で消す方法教えてくれ」


 その翔子の発言に、依々那は視界の端にて、青褪めた顔でガタガタと震え出した。


「にしてもあんた、殺すって……」


「俺のアバター、たまに本気で鬱陶しい時があるから。普段も口煩いし」


「……花哩みたいな?」


「ああ、そうそう。そんな感じ」


「殺すわよ」


 綾女のたとえに、翔子が頷き、花哩は切れた。

 物騒になっていく古倉班の会話に、周囲の生徒が然りげ無く遠ざかる。


「そ、それよりも、色分けをしませんか?」


 ラーラが焦った様子で言った。


「色分け?」


「飛翔外套は自由に色を変えることができるんです。チーム分けとかにもよく使われていて……わ、私たちもした方が、見分けがつきやすいと思います」


 配られた当初は灰色だったが、周りを見渡せば、赤や緑など、生徒たちが飛翔外套を好みの色に変えていた。寧ろ、灰色をそのまま利用している者の方が少ない。


「ちなみに私は赤だから、他の色にして頂戴」


「……私は紫」


「わ、私は黄色です!」


 綾女、花哩、ラーラも、各々が決めていた色に変更する。

 深紫の外套を纏った綾女は、更に魔女らしい風貌となった。花哩には女将軍のような格好良さが、ラーラには向日葵のような可愛らしさがそれぞれ顕れる。


「……で、あんたは?」


「このままで。被らなければ何でもいいんだろ?」


 見た目に無頓着な翔子の反応に、花哩は溜息を零した。


「初期カラーなんてつまらないでしょ。というわけで……はい、これ。外套の色をランダムで決めるアプリだから、それ使って選んでちょうだい」


 ピコン、と翔子の画面にアイコンが現れる。花哩がアプリを送信したようだ。

 面倒に感じつつもアプリを起動すると、翔子の外套の色が目まぐるしく変化した。〇.一秒ごとに色が不規則に切り替えられる。


「……ランダムって、ルーレットかよ」


「ぶふっ! め、目がチカチカする! 何それ……に、虹色……っ!」


「お前これがしたかっただけだろ」


 確かに外套の色がコロコロ変わっていくのは珍妙な姿ではあるが……吹き出す花哩を睨みながら翔子はルーレットを止める。

 結果、翔子の外套は翡翠色となった。


「へぇ、結構いいじゃない。なんていうか、風って感じね」


「……目立つな」


「そのくらいでいいのよ。あんた初心者なんだから、人目についた方がいいわ」


 一応心配してくれているのか、花哩は真面目な顔で言った。


「んじゃ、飛翔外套について、軽く説明するぞ」


 生徒の全員が飛翔外套を纏ったことで、教師である亮が口を開く。


「飛翔外套は起動すると、周囲に薄いエーテル粒子の膜を形成する。この膜が推進力にもなるし、いざと言う時に身体を守ってくれる緩衝材にもなるわけだ。基本的にこの膜の密度や流れを操作することで飛翔することが可能だが、どうやって飛ぶかは人によって微妙に異なる。翼の要領で背中から飛ぶ奴もいれば、逆立ちになって頭から飛んだ馬鹿もいる。ちなみにソイツは吐いたから真似すんな。……転入組はまず、全身で飛ぶ練習をしろ。身体全体が同時に浮くイメージだ。体勢を維持しながら、ゆっくりと浮いていけ」


 亮の指示に、生徒たちが次々とその場で浮遊した。


「飛翔外套の操作は、イメージでできるんだよな?」


「そう。正確には思念入力ね」


 翔子の問いに、花哩は頷いて答える。

 エーテル粒子の操作は思念と刻印ルーン、二つの方法で行うことができる。


 前者は思い通りに操作できる反面、雑念による誤作動や力加減に注意しなくてはならない。後者の刻印はエーテル粒子を用いた特殊な紋様で操作することであり、使用者は何も考えなくても粒子の力を活用できるが、代わりに思い通りには動かせない。それぞれ定められた機能を実現できるだけだ。


 飛翔外套のように、使用者の運動そのものに大きな影響を及ぼすITEMは、思念入力が採用されることが多い。一方、天銃のように定まった機能のみを追求する武器には刻印入力が採用される。浮遊島の下層には、島を浮かせるための刻印がびっしりと刻まれていた。


「……少なくとも浮くだけなら、簡単なイメージだけで済む」


 綾女がアドバイスを送る。


「……周囲にエーテル粒子を集める。風に包まれているイメージ」


 風に包まれるイメージ。――丁度、二ヶ月ほど前。あの廃ビルから落ちた時、翔子はその状態だった。あの時の自分をイメージする。


 下手な固定概念は捨てる。飛翔外套による飛翔は流体力学に当て嵌まらない。必要なのは純粋な感覚だけである。


「おっ? お、おおっ……!!」


 唐突に訪れる無重力感。同時に――浮いた。足が地面から離れている。

 たった十センチの浮遊にも拘わらず、大きな感動があった。自分を支えてきた大切な何かが欠損したかのような不安定さ。しかしその不安定さに、かつてない「自由」を感じる。


 直後、一陣の風が吹いて、身体が揺れた。


「っと……バランスを取るのが難しいな」


「最初は誰だってそんなもんよ」


 実際、翔子よりも遥かに年下の子供が、この島では自由自在に空を飛んでいる。

 運動能力は足りている筈なのだ。後はその扱いに慣れるための時間が必要となる。


「……まぁ、問題はここから」


「そうね」


 綾女の呟きに、花哩は怪しげな笑みを浮かべながら同意を示した。


「ここは地面があるから、誰でも簡単に浮くことができるわ。でも、一歩外に出れば……」


「……泣く。絶対、泣く」


「いや、まぁ確かにあんたは泣いたけど」


 どこか楽しそうな様子の綾女に、花哩は呆れた視線を注いだ。

 ここで浮くなら落ちても問題ない。だが外――浮遊島の縁を超えた先には地面がない。


 島の外に出れば、眼下に広がるのは穏やかな海だけだ。

 安心が消え、恐怖が訪れる。決して落ちてはならないと強い観念が働く。

 落ちたら死ぬ。その単純な理屈が身体を蝕む筈だが――――。


「外、出てもいいか?」


 翔子は真っ直ぐ、島の外に視線を向けながら言った。

 その瞳は、まるで新しい玩具を見つけた子供のように純粋で、楽しそうだった。


「え、ええ……」


 微塵も恐れていない翔子に、花哩は鼻白みながら許可する。

 次の瞬間、翔子は前傾姿勢となり――真っ直ぐ島の外へと向かった。


「んなっ!?」


 一切の躊躇なく外へ飛び出した翔子に、花哩は驚愕した。

 どんどん速度を上げる。風を切り、遮るものが何もない空へと飛び立つ。

 地面が消えると同時に――勢い良く空へと舞い上がった。


「はは……っ!」


 見渡す限りの広大な海原。

 果てのない青の天蓋。


 爽やかな風に全身を包まれながら、どうしようもない居心地の良さを感じる。身体中の細胞が歓喜していた。


 何故かは分からないが――故郷に帰ってきたかのような安堵すら覚える。

 身体の奥底から感情が止めどなく溢れ出し、無意識に口角を吊り上げた。


(なんだ、これ……っ!!)


 笑みが抑えられない。

 頭は冴え渡り、身体中の血は熱く迸る。


(最高に――気持ちいいッ!!)


 太陽を背に、翔子は全身で自由を感じた。




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