第7話

「おし、全員ちゃんといるな?」


 その時、教室の扉から一人の男が入ってきた。

 太く逞しい声と共に姿を現した男は、大きな身体を揺らしながら教卓の前で立ち止まる。短く刈り揃えた黒髪に、筋骨隆々なその体躯。教室をザッと見渡すその瞳はあまりに鋭く、生徒たちはみな萎縮した。


「このクラスの担任の、飯塚いいづかりょうだ。よろしく」


 ニカッと笑ってみせるが、怖い。とは言え親しみをもって接してくれていることくらいはわかる。生徒たちはまだどこか動揺しつつも、少しずつ柔らかな態度を取り戻していった。


「まずは、そうだな。自己紹介をしてもらおうか」


 そう言って亮は踵を返し、ホワイトボードの下部にあるスイッチを押す。直後、ボードに青白い画面が浮かび上がった。その画面にメタリックカラーのペンを立て、亮は文字を記す。閃光のようなエフェクトが走る度に、クラスメイトは「おぉっ」と騒ぎ立てた。


 こんなもんか、と亮が呟く。

 画面には「名前」「学科」「一言」と記されていた。


「あー……それと、先に言っておこう。このクラスには、期待のルーキーが二人いる」


 二本の指を立てて言う亮に、生徒たちは賑わいを見せる。

 ルーキー、ということは高等部からの転入組だ。亮の言葉を聞いて、翔子は僅かに眉を潜めた。隣を一瞥すれば、達揮が何やら諦念した表情を浮かべている。


「順番にやれ。まずはお前からだ」


 窓際最前列の生徒が指定され、その場で起立する。

 自己紹介は滞りなく進行した。順番が巡り、翔子の隣で達揮が起立する。


「篠塚達揮、自衛科です。特務自衛官を目指しています。よろしくお願いします」


 礼儀正しく締め括る。端正な顔が放つ笑顔は眩しかった。早速、肉食系の女子から標的にされつつあるらしい。教室の端々から黄色い歓声が聞こえてくる。

 だが、黄色い歓声に混じって、息を呑む生徒たちもいた。


「察しの通り。かの有名な、篠塚凛三等空尉……通称、金轟の弟だ」


 亮がそう告げると、男女共に騒々しくなった。


「金轟の弟!?」


「英雄の弟か……」


「確かに似てるかも!」


 黄色い歓声だけでなく野太い声も混じっている。


「ちなみに、アミラ=ド=ビニスティ三等空尉……通称、銀閃の推薦で来ている。こちらも金轟に並ぶ有名人だな」


 おぉぉ、と生徒たちが興奮の声を上げた。


 篠塚凛。

 アミラ=ド=ビニスティ。


 二人は浮遊島が生んだ、英雄と呼ばれる女性だ。それぞれ金轟、銀閃という異名を持ち、日本どころか世界にまで影響力を持つ。


 二人が英雄と呼ばれる由縁は、数年前、ここ浮遊島出雲に訪れた大きな脅威を打ち払ったことだ。彼女たちがいなければ出雲は確実に崩壊していたとすら言われている。以来、二人は浮遊島のみならず、地上のあらゆる人々にとって憧れの的となった。


 亮が言っていた「期待のルーキー」の片割れは、達揮のことで間違いない。ルックスの良さもあってか、生徒たちは大いに盛り上がった。


「と、特務自衛隊を目指す理由はなんですか?」


「それは勿論、姉の影響です」


「適性はどうでしたか?」


「えーっと……甲種、でした」


 生徒たちの質問に達揮が答えると、教室が歓声に包まれた。

 適性甲種――一万人に一人の確率で現れる、最上位の適性だ。この適性があれば、浮遊島にいる限り引く手数多となるだろう。既に栄光が確約されていると言っても過言ではない。


「あの! どうして金轟の弟なのに、銀閃の推薦で来たんですか?」


 前の方に座っていた生徒が、大きな声で質問する。

 確かにその通りだ。達揮の場合、身内である金轟から推薦状を貰った方が手っ取り早い。


「それは……先に、アミラさんから推薦状を貰ったからとしか、言いようがないかな」


 苦笑して達揮は答える。

 一瞬、達揮が暗い顔をしたような気がした。しかしクラスメイトたちはその様子に気づくことなく騒ぎ始める。


「今、アミラさんって言った!」


「やっぱり銀閃ともプライベートで仲良いのかな?」


「金轟と銀閃のサインって貰えないかなぁ」


 興奮気味な声が、教室中を満たした。


「ま、いくら二人の英雄が認めたって、この学院にいる限りはただの生徒だ。少なくとも俺は他の生徒と同じように扱うから、篠塚も邪な期待はすんなよ?」


「はい。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」


「ははっ、こりゃあ、いらん世話だったな」


 周囲に持て囃されても謙遜の姿勢を保つ達揮に、亮は自分の発言を取り消した。


「……翔子。できれば、あまり気にしないで普通に接してほしい」


 着席した達揮が告げる。篠塚凛は国や世界が認める英雄だ。その弟である達揮は、これからの学生生活に不安を感じているのかもしれない。

 しかし、それを言うなら――自分も同じだった。


「ああ……俺も、そうしてくれると助かる」


「……え?」


 翔子の言葉に、達揮が頭上に疑問符を浮かべる。

 その様子だと――姉からは何も知らされていないのだろう。

 キリキリと胃が痛む中、翔子は自己紹介を始めた。


「美空翔子、自衛科です。あー、そのー……よろしくお願いします」


 覇気のない声で、あっさり済ませる。生徒たちも特に気にしている様子はない。

 だが担任の飯塚亮は、今にも着席しようとする翔子に待ったをかける。


「美空も推薦を受けているな。誰からだ?」


 意味深な亮の一言に、翔子への注目が再び募る。確信犯だ。実に腹立たしい。


「……篠塚凛さんの推薦で来ました」


 達揮のそれとは裏腹に、翔子の自己紹介は、静寂で終えた。

 だが、すぐにポツポツと疑問の声が上がる。


「まぁ、そういうことだ。美空はそこの篠塚達揮の姉、金轟に推薦されている」


 亮の簡潔なコメントと同時に、教室は再び大きな喧騒で満たされた。


「あ、あの! どうして金轟から推薦されたんですか?」


「……それは、俺もよく分かりません」


 寧ろ自分が一番知りたい。


「今までも何か、特殊な訓練をしていたということでしょうか?」


「いや、普通に学生やってました」


 正直に答えると、場が一瞬、静まり返る。

 キラキラと目を輝かせていた生徒たちが「……ん?」と首を傾げるようになった。


「金轟とは知り合いだったんですか?」


「推薦状を貰った時の一回しか、会ってないですね」


「じゃあ適性が高いとか……」


「……下から二番目の、戊です」


 もう耳を塞いでいても、クラスメイトたちの心の声が聞こえてくる。

 こいつ、なんで推薦されたんだ? ――その答えを誰よりも知りたいのは翔子自身だった。


(いじめか?)


 気まずい空気の中、翔子は着席する。

 期待のルーキーとは要するに、翔子と達揮のことだったらしい。しかし二人に対するクラスメイトたちの反応は、はっきりと異なっていた。


 翔子は溜息を吐きながら、自分を推薦した少女のことを思い出す。

 篠塚達揮の姉である、篠塚凛……通称金轟。彼女こそが翔子を推薦した、あの大和撫子だった。隣に座る達揮の顔と、記憶の中にある篠塚凛の顔を比較する。成る程、確かに目鼻立ちが似てなくもない。姉弟揃って美男美女とは恵まれた家系だ。


「……どうして」


 ふと、隣から達揮の呟きが聞こえた。


「姉さんが……君を…………?」


 達揮の瞳に、怒りと混乱が綯い交ぜになったような感情が渦巻いていた。見ればその拳は強く握り締められている。


「うっし。んじゃ、自己紹介はこれで終わりだな。……まぁ皆、色々と気になることはあるだろうが、そういうのは全部放課後にやってくれ」


 亮の一言で騒ぎが収束に近づく。だが達揮だけは未だに翔子を睨んでいた。

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