第4話

 推薦状。

 この者を、てんぼう学院高等部、自衛科に推薦する。

 特務自衛隊の少女から受け取った封筒の中身を読んで、翔子は吐息を零した。


「……参ったな」


 秘密基地でEMITSに襲われてから、数時間が経過した。

 翔子たち三人は、あのような廃墟に足を運んだことを、EMITSの討伐に来た特務自衛官にこっ酷く叱られた。だが今回のケースは、警報が鳴ってから避難するまでの時間があまりに短すぎるのではないかという指摘もあり、責任は有耶無耶になっている。


 いずれにせよ、あの廃ビルの半壊については、この街のちょっとしたニュースになりそうな気配だ。もしかすると近々、地元の報道局が取材に来るかもしれない。


 しかし翔子は今、それ以上に重大な案件を抱えていた。

 明社、沙織と別れ、一人帰路に着いた翔子は、ゆっくりとした足取りで歩きながら、抱えている案件について頭を悩ませる。


「……浮遊島か」


 浮遊島と呼ばれる場所がある。

 それは文字通り、宙に浮く島だ。日本は二つの浮遊島を所有しており、日本海上空にある浮遊島は出雲、西太平洋上空にある浮遊島は常盤と呼ばれている。


 浮遊島は日本で唯一、エーテル粒子の利用を許可された先進技術実用特区だ。

 浮遊島を浮かせているのも、このエーテル粒子を用いた技術である。そして、島を浮かすことができるというのだから、当然、人を浮かせることもできる。

 浮遊島で暮らす人々は、自由に空を飛行しているらしい。


(これだけなら、誰でも浮遊島に行きたがるんだろうけど……)


 現在。この世界の空には、エーテル粒子だけでなくEMITSも存在する。

 そもそも浮遊島は、エーテル粒子の実用特区であると同時に、EMITSを対策するために設計された空中要塞という側面もある。翔子たちを助けた特務自衛隊も、この浮遊島に基地を置いており、彼らはこの島から世界各地へEMITSを討伐しに行くのだ。


 彼らはよく奮闘してくれているし、地上の新聞にも時折、その勇猛果敢な戦いっぷりが大きく取り上げられている。しかし、浮遊島が危険であることに変わりはない。

 浮遊島は、特務自衛隊とEMITSの戦場なのだ。


(この人は、一体何を考えて、俺を推薦したんだろうか……)


 推薦状に刻まれた、推薦者の所属と名を読む。

 特務自衛隊航空総隊出雲航空団第一討伐隊所属、篠塚凛しのつかりん。……どこかで聞いたことがあるような名前だが、あまり覚えていない。


 不安はあるが、それでもこの推薦状は魅力的だ。

 特務自衛隊は万年人手不足なため、国がある施策を講じている。

 浮遊島に移住を決定した者は、様々な好待遇を受けることができるのだ。政府は浮遊島への移住者に対して、税金緩和の他、あらゆる経済的優遇を保証している。


 要は少しでも浮遊島の味方についてくれる者が欲しいのだ。人が集まれば浮遊島の価値は増大する。そうなれば、EMITSとの戦いに協力してくれる者も増えるかもしれない。


 推薦状に記されていた天防学院も、その国策に含まれている。天防学院の校舎は有名私学顔負けの環境であると評判だ。しかも学費は無償である。教程にもエーテル粒子を用いた、新鮮味のあるカリキュラムが組まれているらしい。


 天防学院は学費無償。

 働くしかないと思っていた未来に、新しい希望が芽生える。


 だが、そんなことよりも、やはり――空を飛びたい。

 この気持ちだけは、抑えられそうになかった。


「翔子!」


 家の玄関を開けると、居間の方から母が出てきた。

 母は翔子が五体満足でその場にいると確認してから、安堵の息を漏らす。


「聞いたわよ。EMITSに襲われたんでしょ」


「……まあ」


「ほんとに、あんたは昔から、私を心配させて……」


 母に軽く抱き締められる。翔子は無言で、母が安心するまで待つことにした。

 母が離れてから靴を脱ぎ、居間に入る。キッチンには調理中の鍋が置かれていた。


「母さん。話があるんだけど……」


「浮遊島に行きたいんでしょ?」


 そう告げる母に、翔子は目を丸くした。


「……なんで分かった」


「見れば分かる。……いえ、見なくても分かる。あんたが特務自衛隊に助けられて、空を飛んだって聞いた瞬間から、こうなることを予想してた」


 コンロの火を止めながら、母は話す。


「こうならないように……お父さんは、色々と頑張っていたんだけどね」


 言葉の意味が分からず首を傾げる翔子に、母は続けた。


「翔子も知ってるでしょ? お爺ちゃんの話」


 そう言いながら、母は居間にある仏壇に視線を向ける。

 仏壇には、父と一緒に祖父の位牌も置いてあった。


「お爺ちゃん、軍に所属していたでしょう。それも、空の」


 翔子は頷く。厳密には空ではない。当時、日本は空軍を持っていなかった。

 祖父は陸軍の戦闘機パイロットだった。そして……空の上で儚く命を散らした。


「昔のこと、覚えてる? あんた、山の上とか、観覧車の一番上とか、そういう空に近い場所が大好きだったのよ。それで……お父さんは怖くなっちゃったの。翔子も、お爺ちゃんみたいになるんじゃないかって」


 その気持ちはよく分かると言わんばかりに、母は視線を下げて語った。


「お父さんは翔子に、空以外のことに関心を向けて欲しくて、色々と考えていたのよ。そしたら偶然、翔子が他の子と比べて足が早いことがわかってね。それでお父さんは翔子に、空を見る代わりに走ることを好きになってもらおうとして……結果、成功した」


 翔子に走るという趣味を与えたのは父だ。

 子供の頃、父は事あるごとに翔子をランニングに誘った。最初は嫌だったが、偶に誘いに乗れば、父はいつも「翔子には走る才能がある」と褒めてくれる。それが嬉しくて、次第に誘いを断らなくなった。そうして何度も何度も一緒に走っている内に、本当に走ることが好きになっていた。


「でも……もう、駄目みたいね」


 母の呟きに、翔子は複雑な顔をした。

 父に恨みはない。なにせあの頃は本当に走ることが好きだった。それが本来の感情を上書きするための、後付けであると言われたところで実感はない。


「お父さんもね。この先、もし翔子が浮遊島に行きたいと考えるようになったら、その時は止めずに応援しようって決めていたの。……だから、好きにやりなさい。どうせ私が何を言っても、あんたは止まらないでしょう? そういう頑固ところ、お父さんにそっくりよ」


 母が優しい瞳を向けてくる。


「……偶には帰ってくると思う」


「期待しないで待ってるわ。せめてメールか手紙は寄越しなさい」


 礼を言う翔子に、母はひらひらと手を振る。


「あー……お父さんの遺言。やっと、吐き出せたわぁ」


 重荷を下ろして、身軽になった母の呟きは、少しだけ寂しそうだった。


「じゃあ母さん。この推薦状に判子が欲しいんだけど……」


「はいはい」


 推薦状を受け取った母が、タンスから判子を取り出す。

 その途中、母は推薦状を見て硬直した。


「……あんた。自分を推薦した人のこと、ちゃんと分かってる?」


「推薦した人? 名前はそこに書いてるし、一応、顔も覚えているけど……」


 返答すると、母は溜息を吐いた。


「この人の名前、調べてみなさい。凄いの出てくると思うから」

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