第2話

「え……退学ですか?」


 夕焼けの光が差し込む生徒指導室にて。

 美空みそら翔子しょうごは、対面に座る男性教師の言葉に思わず訊き返した。


「そう。だって君、陸上部のスポーツ推薦でうちの高校に入学したでしょ。でも足の怪我で退部したから、これ以上は学費免除の対象外になるよ」


 簡潔に退学の理由を伝えられ、翔子は押し黙る。


「学費を払うことができれば、問題ないけれど……」


「……すみません。それは難しいです」


 母子家庭で学費を稼ぐことが難しい。だからこそのスポーツ推薦だった。しかしそれも無効になった今、どうしようもなかった。

 一礼して部屋を出る。


「……はぁ」


 溜息を吐きながら廊下を歩いていると、いきなり目の前に二人の男女が現れた。


「よお、翔子」


「翔子君」


 ツンツンに立った金髪の少年と、短いポニーテールの少女がそれぞれ翔子を呼ぶ。

 二人の顔を見ると、肩の力が抜けた。


「明社に、沙織か」


 拾澤明社とおざわあきとと、薙森沙織なぎもりさおり。この二人は翔子の幼馴染みだった。小学生の頃から、高校一年生である今に至るまで、翔子はこの二人と共に日々を過ごしていた。


「さっき生徒指導室に呼ばれていただろ。何かあったのか?」


「ああ。退学が決定した」


「……マジ?」


 淡々と告げる翔子に、明社は目を丸くした。


「……そっか。まあ、ずっと前から、こうなるかもって話はしていたもんね……」


 沙織は視線を下げて言う。

 こうなることは以前から予想していた。だから二人とも、翔子が生徒指導室に呼ばれたと聞いて嫌な予感がし、こうして出迎えにきてくれたのだろう。


「あーあ、これで翔子の無気力な顔も見納めかー」


「みたいだな」


 死んだ魚のような目で翔子は頷く。

 翔子はこの二人以外からもよく無気力と言われていた。眠そうな瞳に曲がった背筋、髪は整えておらず、覇気を感じない佇まい。感情が読みにくいとも言われることがある。


「まあ、なんとかなるだろ」


「……翔子って、名前のわりに男らしいところがあるよな」


「名前は余計だ」


 翔子と書いてしょうごと読む。

 どうしてこんな名前になったかと言うと、両親が、どこまでも自由に飛んでいけるような子になってほしいという願いを込めたからである。


 できれば意味だけでなく性別も考慮してほしかった。

 おかげで翔子はよく女性だと間違われる。特に書類などで名前だけ先に伝え、その後で直接会うようなことがあれば「え!? 男だったの!?」と頻繁に驚かれる。


「沙織。陸上部の方はどうだ?」


 自分が去った後の部活について、少し気になった翔子は沙織に訊いた。


「おかげ様で大混乱。次期エースは誰にするか、皆で毎日検討してる」


「そうか……大変そうだな」


「本当にね。……翔子君がいなくなったせいだけど」


 溜息を吐いた沙織が翔子を睨む。


「でもよ、部活辞めたわりには未練なさそうだよな、翔子?」


「怪我だからな。どうしようもない」


「そんなこと言って……元からあまり、気合入ってなかったじゃん」


「性分だ」


 元々、何か目的があったわけではない。学費免除があるから飛びついただけだ。走ることは得意だし大好きでもあったが、勝ち負けには執着していなかった。

 エースという肩書も、勝手に押し付けられただけのものだ。

 好きだからひたすら走っていて、気がついたら周りが勝手に担いできた。


「あーあ、私も辞めようかなぁ、部活」


「別に沙織が辞める必要はないだろ」


「必要はないけど、理由はあるって言うか……」


 ちらちらと視線を寄越してくる沙織に、翔子は首を傾げた。

 その様子に、明社がニヤリと微笑する。


「あるんだよな、理由。それも立派な。……おい聞けよ翔子、実はな、そもそも沙織が陸上部に入ったのって、単に翔子と一緒にいたいから――」


「わああああああああ!? ななな何言ってるのかなぁあぁあっ!?」


 沙織が慌ただしく明社の口を塞いだ。

 明社はケラケラと笑う。


「翔子は、退学したらやっぱり働くのか?」


「多分そうなる。……面倒臭いが仕方ない」


 時は二月中旬。高校に入学して、漸く一年が経過すると思った矢先のことだった。しかし学校を辞めるには、この年始が丁度いい時期かもしれない。不幸中の幸いだ。


「……よし! 二人とも! 今から秘密基地に行こうぜ!」


 唐突に明社が告げる。


「い、いきなりどうしたの、明社君。秘密基地って……あの、山の上にある廃ビルだよね?」


「おう。俺たち三人がこうやって集まれるのも、難しくなるかもしれねぇだろ? 翔子が退学する前に、思い出作りしておこうぜ!」


「思い出作りをするのはいいけど……私たち、もう高校生だよ? なのにあんな物騒な場所に行くなんて……」


「でもあそこなら、少なくとも翔子は元気になるだろ」


 明社の言葉に、沙織が口を噤む。

 かつて三人で、よく通っていた秘密基地がある。その秘密基地を誰よりも気に入っていたのは翔子だった。


「……行くか」


 翔子の返答に、明社は満面の笑みを浮かべ、歩幅を大きくした。

 しかしその途中、何かに気づいた様子で振り返る。


「今日は警報、鳴ってねぇよな?」


「うん。まだ一度も聞いてないよ」


 今日一日のことを思い出しながら沙織は答えた。

 靴を履き替えた翔子は外に出て、夕焼けに染まった空を仰ぎ見る。


「……昔の飛行機は、もっと高く飛んでいたらしいな」


 広々とした空を眺めながら呟く翔子に、沙織と明社も反応する。


「五千メートルくらいかな?」


「んなアホな。高すぎだろ」


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