要するに私の婚約者だった人は、……だったのですよ。

江戸川ばた散歩

前編

「リメイン、君と結婚はできない。婚約破棄したい」


 婚約者のアイザックはとある日、私を呼び出してそう言った。


「何故ですの? 家同士の決めた相手ですが、上手くやってきたではありませんか」


 そう、私達は婚約者としては上手くやってきた。

 私も彼も貴族、しかも伯爵家や侯爵家といった高位の貴族の家の人間。

 すなわち、自身の感情ではなく、家同士の利益をまず考えなくてはならない立場なのだ。

 私の家、ハイランド伯爵家は彼のシーライド侯爵家と、それまで今一つぎくしゃくした関係だった。

 だが周囲の国々との間が不穏になってきたということで、近しい場所の領地を持つ我々は手を組むことが必要とされてきた。

 何せ国境が近い領地なのだ。

 それぞれ持つ軍勢を共に使うことがこの国のためになるのではないか。

 だからもうこの婚約は、隣国に内乱が起こりだした十数年前から決まっていた。

 お互いに生まれてすぐだ。

 私達はちゃんとそれを意識し、学び、そしてできるだけ上手くやってきたではないか。

 なのに今更、彼は何を言っているのだ。


「君に対してだけ、どうしてもその気になれないんだ……」


 え、と私は耳を疑った。

 確かに今のところ私達には性的な触れ合いは無い。

 だけどそれは結婚してみなくては判らないではないか。

 だが一応彼にも発言する権利はある。


「私が醜いからですか? 皆の様な容姿ではないからですか? それとも」


 そう、確かに私は姉や妹の様に容姿が優れている訳ではない。

 彼女達は遙か遠く、宮廷に近い貴族の元に嫁に出し、王家との仲を上手くやっていくために力を尽くしてもらっている。

 私は領地に残された。

 それは私の能力が、外交より領地経営に向いているときっちり把握しているからだ。

 我が家は三姉妹しかいなかった。

 必然的に、婿を取ることとなる。

 家の跡取りは私なのだ。

 だから再び彼に、答えをうながした。


「判らない。容姿じゃない」

「では何故」

「結婚して跡取りを儲けるのが貴族の役目。無論他の手立てもあるが、それでも俺は自分の血を引いた子が欲しい。では君は愛人を認めてくれるか?」

「……確かに嫌ですね。どうしようもないですわね」


 判っているのかこの男は。

 そもそもうちへ婿に来ようとするのに、愛人を認めるかなど。欲しいのは私の血を引いた子であり、貴方の血である必要は無いというのに。

 私はしゃんと姿勢を正してこう言った。


「ようございます。お父様にそう告げて参ります。今までありがとうございました。ごきげんよう」

「……本当に済まない。君にいい縁談が来たら、僕は祝福するよ、絶対」


 彼はそう言って私に背を向けた。



 私は帰ってすぐにお父様に告げた。


「アイザックがそんなことを言ったのだと?!」

「ええ。ですからお父様、申し訳ございませんが、急ぎでもう一つの近隣領に連絡を願えませんでしょうか」

「うむ。この国難の時に、何を言っているんだあの男は」


 そう言ってお父様は地図を広げ、同じ様に国境に面する幾つかの領地を見せた。


「しかしまあ、馬鹿なことをする」

「全くですわ」


 国境のうち、アイザックのシーライド侯爵家の領地は、決して広くは無いが、気候が良く収穫高も優秀な場所だ。

 ただこの場所は、国境線が三つほど重なっている。

 シーライド領は、東にオスライド、東南にエセティア、南にメンデルと三つの国に面しているのだ。

 それ故ねシーライド領では、言葉すら、四つの国の訛りが存在するくらいだ。

 なおかつ代々のシーライド侯爵は、自領において、文化の何とやらで旅芸人の出入りに関して実に緩い。

 結果として、文化と情報の入り乱れる場所となっている。

 そんなところで何かが起こったらどうするのだ。

 このシーライド領は、一触即発、何が起こってもおかしくない危険箇所なのだ。

 だからこそ、わがハイランド伯爵家の広い領地、資源を背景に持つ軍事力が必要であったのに。


「貴族の役目をその程度にしか考えていないとなると、国境線も果たしてどうなることか」

「そうですわねお父様。お姉様達にもすぐに連絡して、王家の出方を見ることも必要でしょう」

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