第60話 桔梗20

「桔梗くん」


 エレベーターがくるのを待っているとアザミさんに声をかけられた。

 アザミさんが廊下の向こうから歩いてくる。

 エレベーターが到着する。一緒に乗って下に降りるわけではないか。


 アザミさんのほうへ歩き出す背後で扉が閉まる。


「公爵夫人といかれ帽子屋のところに行く必要がでてきてね。緊急なんだ。私がこれから行くことを二人に知らせておいてくれないか?」

「アザミさんがですね。あ、はい。連絡しておきます。いきなり訪問して、いなかったことはないので大丈夫かとは思いますが」

「うん。必ずいてもらわないと困るから」

「はあ」

「きみは、保護された子から、出来るだけ情報を引き出してくれ」


 緊急とは何か、どうして訪問するのか、といったことは教えてもらえないらしい。ただ、こうやって私を通してくれるというのは驚きだ。だいぶ尊重されている。私を無視して、勝手に連絡し勝手に会いに行けるはずなのだから。


「特に、誰に吸血鬼化させられたのかは、知りたいところだね」


 伊織くん曰く、本人は覚えていないとのことだったが、それで済む話では確かにない。


「冴島理玖も森咲トオルもいますし。九州でのことも聞いて参ります」

「お願いするよ」


 歩きながら話していたので、エレベーターの前に戻ってきていた。いつの間にかボタンが押されている。

 アザミさんは片手をあげると、廊下を戻っていった。タイミング良くエレベーターが到着する。


 乗り込む前に一度振り返った。

 アザミさんはすでにいなくなっていた。上司は忍者かもしれない。


 エレベーターの中でまず貴婦人のところに電話をする。パラニューク的な小説を書くあのお手伝いさんが出たので伝言を頼む。


 次に伯爵にかけた。伯爵に電話するのは初めてだ。

 貴婦人の場合、電話をすると半々の割合で本人かお手伝いさんが出る。


 伯爵の場合は、きっと本人が出るはずだ。いや、出ないかも知れない。連絡したいときは、たいてい伊織くんにしていたからわからない。

 伊織くんは今、保護した子と一緒に病院へ移動しているだろうから遠慮したのだ。


 コールの後、出た。誰かが。


「公安部の桔梗です。あの、伯爵でらっしゃいますか?」


 無言。

 電話口に誰かがいる気配だけがうっすらした。

 とりあえずアザミさんが伺う旨を伝えて、丁寧に電話を切った。


 そして一応、伊織くんにもメールする。

 すぐには読まれないかと思ったが、すぐに了解と返ってきた。


 病院に着くと受付に声をかける。

 しばらく待っていると白衣の男性がやってきた。


 本当に臨床医なのかと疑うような雰囲気だった。そう思わせているのはどこなのか、具体的には言えないのだが。


 どこだろう。やけにメガネがお洒落なところだろうか。違うな。

 診察室に入ってこの男性が待っていたら、少し慄くかもしれない。風貌が怖いわけでは決してない。

 医者というよりは、どちらかと言うと研究者のように見える。マッド気味なほうの。


「やあやあ、こんにちは、公安部の人なんだって? 今日日、公安なんて漫画でしか見たことなかったから、ちょっとテンションが上がっちゃったよ。さあ、こちらへ。こういう仕事をしているわりには、会わないんだよねぇ七課。そういえばさ、前から疑問だったんだけど、なんで公安部なんだろう。ドラマでも小説でも、ちょっと特殊な部署って公安部に置かれない? やっぱり、秘密主義的なところがあるからかな。秘密といえば、来訪の理由は電話では教えてもらえなかったんだ。きみはなんで来たの?」


 私が名乗る前に歩きだされてしまった。人違いだったらどうするのだろう。しかも、この医師が誰なのかわからない。


 七課を知っているということは、吸血鬼や亜人関係についても知っているということだとは思う。


「あの、ここに吸血鬼になりかかっている人物がいると聞きまして」

「そんなことで来るの? 今までだって何人かいたけど、そのときは来たかなー? 公安。覚えてないな。まあ、放っておいても人間には戻れるし、きみたちが興味があるのは、どちらかというと、吸血鬼になっちゃったほうだもんね。あ、ここだよ……っていないなぁ。待っててって言っておいたんだけど。夕食どきだからかな? 部屋に行ってみましょう」


 入院フロアの談話室にまず通されたのだが、そこは無人だった。そのまま流れるように病室のほうへ移動する。


 相槌すら打つ隙がない。

 ということは、彼にとってはこちら側が聞いているかどうかなんて、さほど気にならないということなのだろうか。それなら楽で良い。


 医者は一番奥の病室の前で立ち止まった。私が追いつく前にノックし、即座に扉を開ける。プレートには患者の名前は書かれていなかった。


「人が来るから談話室で待っててって言ったのになんで病室に戻ってるのさ。ちょっと探しちゃったよ。知らない子までいるし。しかも深刻そうじゃないか。入ったらまずかった?」


 言うだけ言うと自分より先に私を病室へ入れた。


 ちょっと探したなんて嘘だ。まっすぐこの病室に来たじゃないか。


 中には保護された高校生、冴島理玖、森咲トオルがいた。伊織くんはいない。


「警視庁公安部の者です」


 ようやく名乗れた。

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