第46話 桔梗8

 次は公爵夫人と称される吸血鬼のところへ向かった。忠告通り、三月うさぎを最後に訪れるためだ。


 公爵夫人の拠点は高級住宅街にある邸宅だった。

 敷地は優に二メートル以上の高さがある塀に囲まれていて、中は一切見えない。ようやく見つけた呼び鈴を押して待っていると、なんとお手伝いさんがやってきた。


「お待ちしておりました。ご案内いたします」とだけ言われ、特に何も聞かれないまま案内される。


 インターホンでは、公安部の者だと話しただけだったのに、私がなんの目的で訪れたかわかったのだろうか。

 いや、お待ちしておりました、と言うのだから、きっと私が来ると事前に連絡を受けたのだ。


 私にとっては助かることだけれど、思った以上に、吸血鬼同士の距離は近いのかもしれない。


 薄闇の中、遠くにお城といっても差し支えない規模の屋敷が見えた。

 この屋敷の持ち主についても、図書館で調べてある。


 屋敷へと向かうのかと思ったが、途中で道をそれた。

 ガーデンライトで控えめに照らされた小道を進み、屋敷の裏手へと入った瞬間、急に周囲が明るくなった。


 温室がそこにはあった。


 三角形の白い枠が組み合わさってドームを形成している。それぞれにガラスが嵌められていた。そこから背の高い木々や植物が見えた。ライトを使って昼間のように明るくしてある。


 巨大な屋敷と比べるとこじんまりとしているが、それでも個人宅の庭にあるような大きさではない。


 お手伝いさんは温室の扉を開けて私を待っている。私が中に入ると扉を閉めた。

 ここから先は私一人だ。

 携帯電話を確認する。

 電波は届いている。

 きっと何かがあって大声で叫んでも、とうてい外までは聞こえないだろう。

 咄嗟に電話できるように準備をしてポケットに戻した。


 一本道の通路を進んでいくと、開けた場所に出た。


 中央には真っ白なテーブルと二脚の椅子。

 その一つに女性が座っていた。


 真っ白なドレスを着ている。それが一番初めに目をひいた。

 白い肌に金色の髪。顔立ちは日本人に見えるけれど、繊細で整った顔立ちなので違和感はない。


 女性は私に気づくと、読んでいた本を閉じて立ち上がり、一度小さく体をかがめて上品に挨拶した。

 私もその場で頭を下げる。


「いらっしゃい。あなたのお名前は?」

「桔梗と申します」


 私は女性の前に立つと名刺を渡した。


「あら、お花の名前でらっしゃるのね。たしか前にいらっしゃったかたも、お花の名前だったわ」


 アザミさんだろうか、それとも他の誰かだろうか。

 尋ねようとしたけれど、女性はそのことについてそれほど気にしている様子ではなかったので聞かないことにした。 


「わたくしは貴婦人と呼ばれているわ。あなたがたからは公爵夫人という名前をつけて頂いているわね」

「はい」

「でも、みんなずるいわ。眠りネズミだったり、いかれ帽子屋だったり、わたくしも楽しい名前が良かった」


 貴婦人は一瞬怒ったような顔をしてから、悪戯っぽく笑った。


「もうどなたかにお会いになって?」

「はい。伯爵に」


 この場合、眠りネズミは会ったとは言えないだろう。


「そう。ふふふ、伯爵とはお話はできたかしら」

「いえ、残念ながら。お名刺だけお渡しして帰りました」

「ごめんなさいね。ああやってお過ごしになるのが気に入ってしまったみたいなの」


 そこで後ろからかたかたと音が聞こえた。


 振り返ると、さっき別れたお手伝いさんがカートを押してやってくる。


「お飲み物の準備ができました」


 カートには紅茶やコーヒー、そして焼き菓子が置いてあった。


「何をお飲みになります?」

「すみません、私は……」


 こういうときの飲食は断らないといけないのだ。


「大丈夫よ。そうね、わたくしもいただきます。香りだけでも楽しみましょう?」


 貴婦人のその言葉で、お手伝いさんはコーヒーを二つ用意して、テーブルに焼き菓子とともに置いた。


 貴婦人はカップを持つと唇に寄せる。けれど口はつけていないから、本当に香りをかいでいるだけなのだろう。


 私も真似をしてみた。

 とても良い香りだった。

 特別コーヒーにこだわりはなく、家ではインスタントを飲んでいる。だからあまり香りを気にしたことが、今までなかった。

 近いうちに喫茶店でコーヒーを飲もうと決める。

 焼き菓子も美味しそうだ。

 せっかくもてなしてもらっているのに、いただけないのは残念だ。



 テーブルの上には、さっきまで貴婦人が読んでいた本もあった。

 紺色の表紙で、金色の文字でタイトルらしきものが刺繍されている。


「本がお好きなんですか?」


 そこから話が広げられる自信はなかったが、目に入ったので聞いてみる。


「そうなの」


 華奢な指で優しく本の表紙を撫でる。


「そうだ。あなた、小説は書かれるかしら?」


 そう言って、うっとりとした目でこちらを見た。

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