第141話 涙の理由
俺のちっぽけな反撃は、勇者一行の戦士を、ヴァン・グランディアという男を本気にさせた。
いや、ずっと真剣だったし本気ではあったのだろう。そういう男だ。
それでも心の中では俺を見定める様な、強者としての余裕がどこかにあったのではないかと考える。
つまり、闘気による攻撃は慢心を奪うだけの、敗北の可能性を見る一撃だったという事ではないか。そう考えるだけでもざまぁ見ろと言ってやりたい気分だった。
「辛そうだなおい。たった一振りで終わんじゃねえぞ?」
「うっせえわ。ここからだろ」
「ああ、やっと勝負だぜ」
言い終わるが早いか。遠くまで吹き飛ばしたはずのヴァンは既に目の前に居た。速い。などと感想を抱く間もなく、身体はヴァンを切り伏せるべく動き出していた。
自分でも驚くほどスムーズに行われる縦一閃、風逆巻く程の暴虐な一振り。
さしもに弾くや受け流すといった選択肢は浮かばなかったのだろう。ヴァンをして全力で回避に専念していた。むしろ今のを躱すかと思うのだが、よくできましたをあげる気にはなれない。
「避けてんじゃねえボケが!」
「死ぬだろうがカスが! 悔しかったら当ててみやがれ!」
「よし当てる! 死ねよ! ほら死ねよ!」
「てめえが死ね――!」
一振り事に骨が筋肉が悲鳴を上げた。お前にはまだ早い領域だと痛みが主張をしてくる。
けれど、だからどうしたと黙殺する。やっとだ。恥ずかしながら、闘気で身体能力をブーストして、ようやっとにこの剣士と同等に打ち合えるレベルに達したのだと理解した。
ヴァンもギアは上げている。恐らくは空中を蹴った歩法の応用か、足に風を纏って移動速度を更に高めていた。でも反応出来る。対応出来る。今ならその高速移動に付いていける。
闘気での動きは、予想よりもずっと俺の身体に馴染んだ。てっきり上がりすぎた身体能力に振り回されるかと思ったのだけど、これが存外ハマった。思えば俺の動きは呼吸から筋肉の使い方までジグルベインの模倣なのだ。少しばかり能力が本物に近づいた事で、ようやく真価を発揮し始めたと考えてもいいだろう。
「おい、なに笑ってやがんだよ」
「悪いな、こればっかりは師匠譲りなもんで」
「誰だよ、師匠」
「獣殿」
軽口はそれでおしまいだった。ギリリと歯を食いしばり、今度はこちらから前に出る。
踏み込みは足が千切れるかと思う程の負担があった。それでも期待通りの、いや期待以上の速度を生んで。
超スピードでの接近にはヴァンも棒立ち。繰り出す横薙ぎに剣で反応したのは剣士としての習性か。しかし二刀の刃で受け止めるも衝撃は死なず足を浮かす。蹴られた球の様に飛んでいくヴァン。けれども奴は立つ。そう確信して追撃した。
かくして、奴の足が地面につく前に追いついて。これで終われと剣を振る。
聞こえたのはブン。まさかの空振りの音に耳の錯覚を疑うも、両目では確かにヴァンの動きを捉えていた。
「甘ぇな。俺はあの鬼アルスに死ぬほど虐められたんだ。このくらいでやられるか」
可哀想に。ピンボールにされるの初めてじゃなかったのか。道理で空中で華麗に宙返り決めるわけだよ。同情してやりたいところだが、それは勝負が終わった後での話。今はとりあえずくたばれと、もう一度剣を振りかぶる。
さっきは反応出来なかった速度。しかし今度は剣を合わせ、斬撃の軌道を逸らしてくる。
突然の反応速度の上昇に、何があったのかと疑問に思うが異変は直ぐに訪れた。
「ヴァン、お前……」
目は血走り、両の鼻穴からは血液がダバダバと溢れ出ていたのである。怪我での損傷ではないのだろう。少年は勝負に出る顔をしていたからだ。
「へへ。未完成だけど絶界だ。お前そろそろ限界だろ。強いお前に勝ちたいからよ、俺も少しばかり無茶をする」
確かに後何度振れるかと聞かれれば答えに困る。
たった少しの動きでもう身体はボロボロだった。けれど扱いきれない力とはそういうものだ。だから俺は決着を急ぐが、コイツは判定勝ちが許せないらしい。
「やっぱ馬鹿だなお前」
ヴァンは眉に険しさを残したまま、口角だけを微妙に釣り上げて。
土埃がフワリと舞い、同時に刃が煌めいた。初撃を躱し、二の刃を弾く。
しかし、反撃をと思えば、その姿はすでにそこに無く。虚しい空振りの音が響いては、反動が内蔵を締め付けた。
速い。その一言に尽きる。恐らくは埃の舞い方から風の出力が向上したのだろう。ヴァンは上下左右どこからでも神出鬼没に現れる死風に変貌していた。
きっと、この速度は長くは維持出来ないだろう。
鼻血で呼吸はしづらいだろうし、誰しも動き続ければ速度は鈍るものである。
ならば、何故止めを刺しに来ないのか。俺のやる気を、待っているのか。
「いいぜ。決めよう」
というかしれっと覚醒してんじゃねえよ主人公野郎が。俺だってそんなお前に、勝ちてえんだよ。
ジグルベインに倣い剣に魔力を注ぎ込む。
霞む様な速さで移動するヴァンに狙いを定め、ここだと振りかぶった。
ヴァンは瞬間に反転。攻撃の気配を察して未来予知でもしているのかというくらいに躱す。
頭を狙いに定め右の剣が放たれる。仰け反り躱す。剣も風を纏っているのか、ビタビタと頬を風が打ち付けた。
本命だと言わんばかりに左の剣で足が斬りつけられる。厄介な上下の打ち分け。崩れた態勢では受けるのが精一杯である。
足を止めれば連撃が来る。ここで奴は仕留めに来る。
左の剣を受け止めながらも、右の剣が再びに走るの目にして、フンガァと腕力で強引に刃を弾き返した。
振りかぶる態勢で剣が暴れたもので、今度は逆にヴァンが姿勢を崩す事になった。
値千金の好機である。今度こそ沈め。俺はその頭上に向かい暴力を放つ。
振りながらに気づいた違和感は、胸に走る痛みだった。あの野郎姿勢が崩れながらも振るだけ振って風で切り裂いてきたのだ。でも浅い。こちとらとっくに全身痛むのだ。気にせず思い切りに叩いた。
「っく。まだまだ」
俺の斬撃を辛うじて二本の剣を交差させ受け止めたヴァン。攻撃が止められた事はショックなのだが、確かに感触に違和感があった。鋼がぶつかる前に分厚いゴムを叩いたような衝撃があったのである。正体は風の層だろうか。多芸な事だ。
「でも辛そうだな」
ヴァンは左脚がピクリピクリと痙攣していた。全力で打ち下ろしたのだ、勢いを殺したとはいえ、酷使してきた足には負担が大きかったのだろう。捻挫か、最悪骨折か。ともあれこの試合ではもう満足に駆ける事は出来ないのではないかと思えた。
「そりゃあ手前もだろ!」
いや全然と強がって返すが、額からは冷や汗が流れた。
今の全力で気力も体力も根こそぎ持っていかれてしまったようだった。
「「「頑張れー!!」」」
「「「負けるなー!!」」」
集中力が途切れたのか、いつの間にか会場に流れる大音声を耳が拾った。
どちらへの声援かは知らないが、残酷なものである。もうこれだけ頑張っているのにまだ頑張れと言うのか。
けれどそう、あと一振りくらいは頑張ろうかなと思わされて。
耳から再び声が消える。
たぶん俺から踏み込んだ。耳に届くのはのヴァンの叫びと、
振るうという動作は必ず胸の筋肉を使うもので、もう奥歯がすり減るくらい噛みしめて襲い来る痛みを待つ。 激痛。傷の痛み、筋肉の痛み。けれど涙で視界を歪めながらも、けして手の握力だけは緩めなかった。果たして最後の一撃が放たれる。
そのまま案山子の様に立っていてくれたら楽なのに、やはり剣士も動いた。
痛む足を軸にして、顔を苦痛に歪ませ剣で挑んできた。
俺の袈裟斬りと真っ向勝負するかの様に、右手の剣で切り上げる。
込める力は渾身。けれど衝撃は意外な程に少なかった。パキン、と。折れたのだヴァンの剣が。
クルクルと舞う刀身を後目に視線を戻せば、俺の剣は、確かにヴァンの左肩から右脇腹までに一直線の線を引いた。
勝った。そう確信するが、手は止まることなく駆け抜けて。
俺はあまりにも軽い感触におっとと前につんのめる。なるほどね。どうやら折れたのはヴァンの剣だけでは無かったようだ。手にはすっかり短くなった剣が握られていた。
「ああ、一応言っとくが、技術だからな」
頭上から降ってきたのは聞きたくない言葉だった。
ヴァンはそう、二刀流。一本の剣を失おうと、左手にはもう一本の剣が握られていて。
「最後にこれだけは言わせてくれよ」
「あんだよ」
「やっぱ強えな。勇者一行の剣士は」
「っは。当たり前だ。……あんがとよ」
そして振り下ろさる刃によって、俺の武術大会は……幕を閉じた。
◆
どうやらあの後気絶したらしく、俺は医務室のベットに横たわっていた。
貴族学校の設備だけあり、殺風景ながらも清潔感のある綺麗な部屋だ。
上半身が裸に剥かれているが、手当済みなのか今では傷一つ見当たらなかった。
「おはようございます。なんでカノンさんが?」
「おはよう。私が脱がせたの。寝てる人の服を剥ぐというのもなかなか興奮するわね」
「しないでくださいよ……」
傍には勇者一行の僧侶カノンさんが見守ってくれていた。口ぶりからする手当をしてくれたのも僧侶のようだった。きっと試合を見届けてから駆けつけてくれたのだろう。
「試合、頑張ったわね。きっと今年一番の名勝負だわ」
「やっぱアイツ強いですね。年季が違うというか、勝てる想像が出来なかったですよ」
「はぁ。アンタやっぱそういう反応よね。ほら、おいで」
抱きついてこいとばかりにバッと腕を広げるカノンさんに俺は少し戸惑った。
そしてそんな俺の事を見かねたのか。カノンさんは子供をあやす様にとても優しい声で語りかけてくれた。
「いいのよ泣いて。悔しいでしょ。悲しいでしょ。辛いでしょ。なら思い切り泣きなさい。そして全部吐き出して、また頑張ればいいのよ」
不覚にもその言葉で涙が出てきた。
大会に出た理由なんてヴァンに誘われただけ。でも勝ち進んだし、戦った人の分まで最善を尽くそうと思っただけで。てっきり俺には泣ける程の熱量は無いと思ったのだけど。
それでも涙は溢れる。
「馬鹿ね。ツカサがそれだけ真剣だったって事よ」
そっと胸元に頭を抱え込まれて。
その温かさにいよいよ涙腺は崩壊し、カノンさんに抱き付きながら、人目も憚らず、わんわんと声を挙げて泣いた。
(むう。儂の役目なのじゃが、仕方ない譲ってやるか)
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