第119話 閑話 それぞれの日常1
「ぎゃー! やっちゃった~!!」
最悪の目覚めでした。窓から差し込む日光が眩しくて目が覚めたのです。
良い天気だなー、などと暢気に伸びをしている場合ではありませんでした。完全に寝坊です。
いえ、休みといえば休み。むしろ誰と約束をしている訳でもないのですが。
それでも、それでもですね。こう、ほら。勇者として仲間に恰好が付かないじゃないですか?
◆
「おはようフィーネちゃん。良く寝れたみたいだね」
「おはよう。ごめんね、寝すぎちゃったよ。みんなはどうしたのかな?」
「もうここに残ってるのは俺一人だよ。みんな用事があるって出掛けちゃった」
「ああ、やっぱりぃ」
あまりの恥ずかしさに両手で顔を塞ぐと、クスクスと笑い声が聞こえます。うう、駄目な勇者でごめんよぅ。
唯一残って迎えてくれたのはツカサくんでした。この国では珍しい黒髪黒目の男の子。
最初はエルツィオーネ家のお客さんと聞いていたのに、イグニスの家出に付いていってしまい、王都で再会をすれば何やら一緒に冒険に行く事へ。
きっとご縁があったのでしょう。だって、冒険を乗り越えた今では、大切な仲間の一人だと思えるのですから。
「朝ごはんを用意して貰うから、顔を洗ってきちゃいなよ」
ツカサくんは寝坊した私に対して怒る様子はなく、そんな風に優しく声を掛けてくれました。
本人はとっくに食後なのでしょう。食堂にはパンの香ばしい匂いが残っていて、昨日あれだけ飲み食いをしたというのに胃袋が刺激されます。
「ありがとう。そうしちゃおうかな」
そして水場に行き、彼の優しさを知りました。桶の水面に映る自分の姿は、髪が寝ぐせで逆立っていたのです。本当に顔から火が出るかと思うほど恥ずかしかったです。
◆
朝食を摂りながら聞いた話では、カノンは朝の鍛錬の後にフェヌア教の教会へ。言伝で、夕方には戻ると残したらしいですが、それは今日も泊まりに行くねという意味です。カノンは実家がルギニアなので、王都では私の家に泊まっています。
ヴァンは剣を研ぎに出したり虫篭を買いに行ったようでした。そう、ヴァンは結局ラウトゥーラの森で捕まえた鋏虫を大事に持ち帰ってきたのです。
金色が珍しいのは分かるのだけど、馬車の中では脱走をしないか気が気でなかったよ。ツカサくんも興味があるみたいだし、男の子の趣味はよく分かりません。
「本当は俺も一緒に行こうと思ったんだけどね。武器屋とかまだ行ったことないし」
「あ、もしかして私のせい?」
「ううん。イグニスに宿題出されたの」
そう言ってペラペラと覚書を振るツカサくん。どうやらイグニスはアトミスさんの所へ挨拶へ行き、その間の宿題を置いて行ったらしいのです。
内容は覚書を読めと言われたそうですが、そもそも異国生まれの彼はまだこの国の文字を勉強し始めたばかりでした。きっと解読も含めての宿題なのでしょう。
「ふーん。ちょっと見せて貰っていいかな?」
「うん。これなんだけど」
「あーこれはイグニスの意地悪だね」
よく意味が分からないんだと首をかしげるツカサくんですが、それもそうでしょう。
そこには説明も無く単語が並んでいるだけでした。ただ、何の意味も無いかというと、そうでもなく。これは材料なのです。
「回復薬を作るのに必要な素材が書かれているね。たぶんコレを買って揃えろって意味だよ」
「あ、そういう事! なんの暗号かとずっと考えてたのに、おつかいクエストだったのか。おい、初めてのおつかいとか言うな」
外国語を使うのはしょうがないと思うのですが、ツカサくんは、ふとした折りによく宙を眺めます。故郷を思うのかその視線はとても柔らかく子供っぽい顔つきをしていて。ついついこちらまで胸が温かくなる笑顔です。
「じゃあフィーネちゃん、良かったら買い物に付き合ってくれない?」
「うん。いいよ」
顔を眺めていた気恥ずかしさを誤魔化す様に、つい反射的に答えてしまいました。愚かな自分を殴りたい気分です。いえ。けしてツカサくんと出掛けるのが嫌なわけではないのです。むしろ逆なのです。
冒険から帰ってきたばかりの自分の着替えは、どれも動きやすさを重視した男物の様な服ばかりでして。休日に男の人と並んで歩くというのに洒落た服の一つも着れない間の悪さが恨めしいのです。
◆
「俺、王都に来るのはもう三度目なんだけどさ、大きい街だから全然飽きないよね」
「そうだよね。私は住んでいても全部のお店なんてとても回れないもの」
隣の浮足立つ男の子と比べ、私は努めて冷静に言葉を返しました。
ツカサくんはきっと好奇心が旺盛なのでしょう。目に映るもの全てが眩しいとばかりに、黒曜石の様な瞳を輝かせています。
そして私は内心で酷く悶絶をしておりました。
距離が近いのです。肩が触れ合いそうな距離で、ぴったりと私の歩幅に合わせて歩いてくれます。人が多いので逸れない様になのかも知れませんが、こんな至近距離で囁かれると、とても困ります。
許されるなら今、私はこう叫びたい「イグニース!」と。それほどに彼は、ウチの魔法使いの影響を受けていました。
まず服装から言って違います。流行遅れの型ですが貴族用の服でしょう。多少着崩していますが、それがまた似合っていて、恐らく外見では誰もが彼を貴族の生まれと間違えると思います。そして香水でしょうか。ふとした動作に紛れてとても良い香りがするのです。
以前ルギニアで会った時は良くも悪くも普通の男性という心象だったというのに、見事に覆されてしまいました。恐るべきはイグニス・エルツィーネ。彼女、あれです。多分ツカサくんを自分の理想の男性に鍛えるつもりなのです。
や、もう発想が凄くないですか。
自分の年頃では理想の男性と出会う事を夢に見ても、普通は育てるなんて発想に至らないと思うのですけどね。
「ってまた居ないし!」
かれこれツカサくんと逸れるのは三度目でした。
まるで後ろにも目が付いているのではと思うほどに目敏く品を見つけては、誘惑に負け私を置いて行ってしまいます。おかげでちっとも目的地にたどり着けません。
それでいて、「いやーごめんね」などとひょっこりと姿を見せられると、私も「しょうがないなぁ」とついつい許してしまうのですがね。こんな思い通りに動かない所もイグニスのお気に入りなのでしょうか。
「いやーごめんね。美味しそうな匂いがしてさ」
「もう。駄目だよ勝手に離れたら」
「反省してます!」
嘘です。彼はこういう小さい事で結構嘘をつきます。
それでも、「はい」と買ってきた品物をお裾分けされてしまうと、やっぱり私はしょうがないなぁと苦笑いが零れてしまいました。
「実はこれ俺の故郷でも似たような料理があって、つい食べたくなっちゃったんだ」
「へぇ。ならしょうがない……のかな?」
「反省してま~す」
朝食を食べたばかりの女の子に食べ物を勧めるのはどうかと思うけど、私は剣を扱うのでそれなりに食は太いほうです。香しい甘い匂いを嗅がされては心も寛大になりましょう。
ツカサくんが買ってきてくれたのは、林檎の串焼きでした。芯をくり抜いて中に砂糖や牛酪を詰めて丸ごと焼いたお菓子です。自分も子供の頃は好きだったなぁと口に運ぶと、
果実の瑞々しい触感に甘さをたっぷりと吸い込んだ果汁が混じり、口の中がなんとも幸せです。
「はい」
「はい?」
そこでツカサくんは当然とばかりに自分の串を差し出してきました。どうやら一口どうぞという意味らしいのですが、混乱極まりないです。いいのかな。恋仲でもないのに恋愛小説にでてくる伝説の‘あ~ん’をしてしまっても。
「あ、ごめん要らなかった? イグニスは味違うのを見ると必ず一口よこせって言ってくるから、そういうものかと」
「いやいやいやいや。それじゃ、その、お言葉に甘えまして。あ、あ~ん」
やはり彼の思考は基準がイグニスになっているようでした。あまり女性と接する機会がなかったのか、それとも国柄の違いだと思っているのでしょうか。
とにかくイグニスはそこに漬け込み、この純粋な男の子の思考を誘導しているのでしょう。あの外道め、次に会ったら勇者として一言いってやらなければ。ありがとうございます、と。
「ちなみにフィーネちゃんは寄りたいお店とか無いのかな?」
「私は本屋さん……とかかな?」
「よし。時間はいっぱいあるし、そっちにも行ちゃおう!」
「ふふ。まずはちゃんとおつかいをしてからね」
「はーい!」
大人の様な包容力は無いけれど、努めて紳士的な彼。
物静かで道徳と理性を重んじながら、子供の様に感情で動く彼。
まるで決められた形など無いとでも言うように様々な一面を持っていて、見ているだけでとても面白い人です。
「惜しいなぁ。やっぱり一緒に……」
「え、何か言った?」
「ううん。なんでも」
どうせ明日からは師匠ことアルス・オルトリアという鬼に虐められるのです。偶にはご褒美があってもいいよねと言い訳をしながら、今日という日を楽しむ事にしました。
男の子と二人きりの買い物は最後まで気恥ずかしさが残りましたが、ええ、それはもう。帰ってカノンに話したら羨ましがられる程には素敵な思い出になりました。ありがとうねツカサくん。
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