第115話 イグニス先生の魔法講座
「はい、それじゃあイグニス先生の魔法講座を始めます!」
むふふんとドヤ顔を決めた魔女はささやかな胸を精一杯に誇張して言った。
俺は感情を殺した顔で、されど彼女の機嫌を損なわないように「おー」と拍手をして、なんとか空気を盛り上げる。そんな俺たちを、僧侶は頬杖をつきながら微笑ましく眺めていた。
事の発端はと言えば、フィーネちゃんに魔法の有用性を説かれたからだろう。
以前からジグにも魔法を覚えろと言われてはいたが、剣とどちらつかずになっては嫌だと思い保留をしてきた。
そりゃあ俺だって魔法にはずっと興味はあった。せっかく魔法のある世界に来たのだから手から炎や雷を出したいし、格好いい詠唱をしたいのだった。
そして晴れて時は来た。大活性に至った事で、次に会得する技術に魔剣技という選択肢が浮上したのである。機会としてはまたとないタイミングなので、俺はイグニスに魔法の教授を願い出た。というのがこの魔法講座が開かれる切っ掛けだ。
なお、俺が微妙にテンションが上がりきっていないのは教師側に不安があるからだ。
実を言うとこのイグニス先生、ラルキルド領を出るまでめっちゃ拗ねていた。
本人はけして認めないが、目を細め唇を尖らせ、子供だってもう少し上手く感情を隠すだろうというくらい分かり易く拗ねていたのである。
理由はまぁ約束をすっぽかした事だろうか。午前中に体調を崩して寝込んでいた彼女だが、その時俺は何を隠そう遊びに誘われて球技に興じていたのだ。そう、館で寝ているイグニスの事なんかすっかり忘れてだ。めっちゃ楽しかったよレーグル。
球技を終えたのは日が高くなった頃で。そろそろお昼ご飯にしようかという頃合いに抜けてシャルラさんの家へと戻った。その時にはすでに目を覚ましていたイグニスだが、俺が球技で遊んでたと知るや否や「なんで誘ってくれないんだよう。応援に行ったのに~」とご機嫌斜めになってしまったのである。
イグニスとて体調不良で寝込んでいたので無茶だとは承知なのだろう。そもそも怒るにも誰も悪くない。だからこそ精一杯の抵抗として拗ねたわけだ。子供か。
そうそう。レーグルをする男衆に対しシャルラさんとルーランさんが頭を抱えていたのは、あの球技をすると必ず怪我人が出ることだった。
そりゃそうだ。もはや暴力のついでに球遊びしているのである。遊びとはいえ本人達が気合を入れれば入れるほど後の仕事に響くというわけだ。参加しているのが魔力の使える働き盛りの者というのも大きいだろう。
そこでカノンさんは三柱教を町に招いたらどうかと提案した。
俺を含めレーグルで出た怪我人はみな僧侶の神聖術に癒してもらい、シャルラさんは大絶賛であった。治療には当然費用が掛かるわけだが、男たちの労働意欲は刺激出来たようだ。もしかしたら次に町を訪れる時には本当に教会が建っているかもしれない。
だいぶ話が逸れたが戻そう。
そういう訳で、俺たちはもうラルキルド領を出立し王都へ向かっている。
今居るのは勇者一行の馬車の中だ。イグニスが移動時間を有効に使いたいと言い出し、快諾を受けた。なのでヴァンが御者台に座りフィーネちゃんはボコの背に乗ってくれている。
「頃合いを見るに、君がこの時期に魔法を学びたいと言うなら魔剣技に興味が出たんだろう?」
「うん。フィーネちゃんに大活性まで行ったなら次は魔剣はどうかって言われたんだ」
「だろうね。良い判断だと思うよ。じゃあ魔剣技がどういうものかは聞いたかい?」
俺は素直に首を横に振りイグニスに教えてもらえと言われた旨を伝える。魔女はよろしいならばそこからだと、人差し指をピンと立てた。
足は胡坐だが若干に背筋を正し、先生を注視する。隣ではジグルベインも興味があるのか同じ高さまで降りてきていた。
「魔剣技というのは、装魔。君でいう纏の発展系に当たる技術なんだ。魔力の性質変化を利用して身体や武器に属性を付与しているのさ」
まずどういう技なのかと語り、魔女は次にどうしてその技術が生まれたかを説明してくれた。
どうやら身体強化と魔法というのは相性があまり良くないらしい。
身体強化が魔力を体内で循環させるのに対し、魔法は魔力を体外へと放出するからだそうだ。
言われてみて、ああと納得する。身体強化はいわば、身体に熱を貯める行為だ。しかし魔法を同時にしようと思うと、せっかく貯めた熱を放出してしまう事になるのではないか。
また、魔法は魔力の扱いも精密そうなので、体内に魔力が循環していると邪魔という可能性もある。そうでなければ魔法使いが身体強化を使わない理由が無いのだ。何事にも一長一短があるという事だろう。
「うんうん。そうだね、まさに一長一短。だが先人は考えたのさ。どうにか折り合いをつけられないかなってね」
先の熱の例えでいうならば、熱を貯めたまま、放出せずに魔法を使う技術。それが魔剣なのである。
イグニスは続けた。魔法の様に万能な技術ではないのだよと。
属性付与。つまりフィーネちゃんが剣に雷を纏うように、アルスさんが剣に風を纏う様に、効果というのは非常に限定されているそうだ。
「しかして騎士が実戦に求めた能力の粋だ」
炎が出るだけ。風が出るだけ。それでも身体強化と併用が可能であり、何より魔法と違い詠唱が要らない。なるほど魔法剣。剣と魔法の美味しいとこ取りの技術ではないか。俺は目を輝かせて、それでどうしたら覚えられるのだと魔女に乞う。
「俺も出来るんだよね。やりたいやりたい!」
「うん勿論だ。そのためにはまず、君には魔法を覚えて貰う事になる」
「ドンと来いです!」
やる気が伝わるように元気に言う。魔女はよろしいと前髪をかきあげ、にこやかな笑顔で答えた。
「じゃあ君は弟子になるわけだから、これから私に絶対服従な」
「
何か言ってやってくれとカノンさんをみやれば、僧侶は僧侶でうーんと顎に手をやり悩まし気である。援護射撃を期待したのであるが、え、なんだろうかこの反応は。
「や、言い方は最悪だけど、あながち間違ってはないわ。勿論魔法の事だけのつもりよね、イグニス?」
「も、もちろんじゃないか、カノン。やだなーもうハハハ……ちっ」
「イグニス、今舌打ちしなかった」
「まさか」
知りませんと白を切る魔女を薄目で睨んでいると、ここはカノンさんが補足をしてくれた。魔法は家や流派の秘伝があるので守秘義務が重いのだとか。そして禁忌や暴発などの危険性の管理を含めると上下関係というのはとても大事だそうだ。
「ツカサも魔力を使えるのだから御霊分けをして貰ったのでしょう? 居るのよ、理屈も知らず自分にも分けてくれという馬鹿や、分け与えちゃう馬鹿が」
御霊分け。魔力を使う為に、眠っている霊脈を起こす行為だ。俺はジグに魔力を流して貰う事で自身の霊脈を初めて知覚する事が出来た。
確か魔力が近い近親者でしか出来ない行為のはずだ。ジグルベインの魔力ですら身体が焼けるように熱かったのだから、他人の魔力が身体を流れると考えると背筋の凍る思いだ。思うにこの辺が魔力が一般人に普及しない原因なのだろう。
「そういう訳だから私は君に誓約を求めるのさ。私が一人前と認めるまで、他者への魔法指導を禁ずる。実技も口頭もだ。その代わり、私は師として君を正しく導こう」
「はい。了解です、先生!」
「あは、良い響きだな!」
ちなみに魔剣技を扱うだけならば魔法の知識までは必要は無いらしい。あくまで属性変化という魔力を加工する技術を覚えれば済むそうだ。それでも魔法の知識というのはあった方が後で楽だと言われた。
どうやら基本属性は火風土水の四属性に光と闇を加えた6属性。それだけならば難しい話でもないのだが、風には流動、水には浸透といった属性ごとの特徴があるために使いこなすには知識が必要不可欠だそうだ。当面の目標としてまずは自分の属性の初級魔法の習得を課題と言い渡される。
「家に帰れば初心者向け入門書があるんだけどなぁ。一応王都に着いたら母様に、いや本屋で買ってもいいか……ああ!?」
「ど、どうしたの」
俺の育成計画を熟考していたイグニスはしまったとばかりに大声を上げ、赤い瞳でこちらを凝視してくる。口元をへの字に曲げながら赤髪をくしゃくしゃとかき乱す様は相当に大きな問題を見つけてしまったようだ。
「君、文字読めないんだったな。どうしよう。魔導書が読めないと授業どころじゃないや」
「のぁああ!! サボってたツケがきたぁ!」
剣ならば振っていればまだ覚えるかも知れないが、魔法とは恐らく学問でもあるのだ。
口頭の説明を全て暗記出来るならばともかく、教科書も読めないようでは先に進めないしメモを取ることもできないのだった。
「しょうがない。まずは文字からだね。文字の練習、読書。あとは簡単な魔法の実技。やることは一杯あるな」
指を数えながら魔女は言う。軽い好奇心で弟子入りしたが、いきなり目の前に夏休みの宿題を積まれた気分である。まぁいいだろう。魔法の事に関してならば、俺はイグニスに全幅の信頼を置く事が出来るのだ。
「よしゃよしゃ。魔法なんてさっぱりわからんけど、文字ならばお姉さんが教えてあげます。これでも普段は子供たちに教えているので得意なのです」
結局俺はフィーネちゃんに剣を、イグニスに魔法を、カノンさんに文字を習う事となった。なんとも前途多難な話である。
「よーし今夜は。いや、今夜から寝かせないぞー」
「いやー! 手加減してー!」
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