第96話 樹海の中心地
「しかしさっきのアレには笑わせて貰ったぜ」
ヴァンが焚火に木を足しながら言った。アレ、とはまぁアレだろう。俺が下半身丸出しでイグニスに迫った忌まわしき事件の事に違いない。
全く下ネタで喜ぶなんてこれだからお子ちゃまは。俺は大人なのでハハハそんな事もあったなと華麗に話題を流した。
「てめぇ剣抜いて何する気だおい!」
「うるせぇ死ね! こっちは男としての一大事だったんだ!」
(カカカ! めっちゃ腫れとったものなあ!)
という訳で今日の火番の相方はヴァンである。
本当は一人が良かったのだが、男が相手というだけまだ気は楽か。醜態を晒した後だけに女子との火番を避けられて本当に良かった。特にイグニスからは汚物の様に扱われてたしね。
「……良い剣だよなソレ。魔剣か?」
脅しで握った黒剣だが、流石に剣士。少年は黒い刃に微塵も怯えることなく、寧ろ見せろとずずいと距離を詰めてきた。借り物だから貸さないよと、手品の様にパッと手から黒剣を消して見せると、ヴァンはちぇっと唇を尖らせて、浮かせた腰を丸太に落とす。
「なぁツカサ。これは俺が言う事じゃねえんだけどさ、勇者一行に入る気はねえか? あるなら俺がフィーネに口を聞いてもいいよ」
この冒険が終わっても一緒に旅をしないかと。何を思ったのか少年はそんな事を口にした。冗談だよ。そう続いてくれればまだ笑えたのに、ヴァンの顔は真剣で、だから俺も言葉に詰まる。
正直嬉しい誘いだった。フィーネちゃんもカノンさんもヴァンも、勇者一行は皆気のいい人達で、強くて優しくて、心から尊敬が出来る人達だ。その一員に加われるというのならば、一般市民の俺には勿体無いほどの名誉ではないだろうか。
危うく喜んでと返事をしそうになるが、腫れは引いたのか少し見せてみろと股間に注目をする馬鹿の存在が心に待ったをかける。
俺は所詮ただの風来坊だが、俺を唯一特別たらしめる要素があるとすれば彼女の存在だろう。
魔王カオス・ジグルベイン。なんかもう大体コイツのせいと言えるくらいの諸悪の根源。それでも俺の師であり家族であるとても大切な人。
(いいんじゃぞ。儂なんぞ気にしなくて)
そうだろう。ジグならばそう言う。だから俺は、こう答えよう。
「ごめん。誘ってくれて嬉しいんだけど、俺は一緒には行けないや」
世界の壁を超えて家に帰る事。ジグルベインを甦らせる事。
俺の旅の目的なんてどうしようもなく個人的で、勇者一行の様な大儀も正義もないのである。
それでも俺に行動理念なんてものがあるとすれば、それこそはノーブレスオブルージュ。今は吐息もしない彼女の為に、俺が出来る事をしたいと思うのだ。
「そっか。まぁ、しゃあないわな」
ヴァンはあっさりと、言ってみただけだと引き下がる。
そのさっぱりとした態度に好感を持ちつつ、俺はふと気になった事を聞いてみた。
「そういえばヴァンはなんで旅をするんだ?」
フィーネちゃんには勇者という責務がある。カノンさんは聖職者として世のためならばと言っていた。うちの魔女はまぁ変態だから置いておこう。そこで剣士であるヴァンの理由が気になったのだ。
特にコイツは14歳。この世界でも未成年だ。年齢という分には最年長が僧侶の17歳で、魔女が16、勇者は俺と同じ成人したての15歳と、皆若い事に違いはないが。
「あー。俺は親に言われてだ。強いて言うならフィーネに誘われたからかな?」
どちらにせよ格好良くはないだろうと、照れ笑う三白眼の少年。なるほど普通だ。
しかし格好をつけて世のため人のためと言われるよりは余程に気持ちが良い答えだった。
「そっか。騎士の家系ってのも大変だな」
「まぁな。俺としちゃあ護衛騎士を目指したかったんだけど、実績にはなるからいいかなって」
騎士団が街の、しいては国の平和を守る存在なら、護衛騎士は個人の専属らしい。
たった一人の主の為に己の剣を捧げるのは名誉だろとヴァンは喜々と語るが、正直なところ俺には尽くすだの尽くされるという主従関係の良さはわからない。
分かるとすれば、己の人生を捧げてもいいと思える人に出会えたのならば、それは素敵なことだなぁと思うくらいか。
「へぇ、じゃあヴァンには尽くしたいって思える人がいるのか」
「そ、そこまで大層なもんでもねぇけどさ。そうだな、出来るならあの人のために剣を振るいたいとは思うよ」
うちのゴリラ共と違って可憐でさぁと零す剣士だが、そこまで言われれば俺にも察しがつくというものである。
「なんだよ好きな女の子の事かよ」
違う違うと慌てふためき否定するヴァンの様子にこちらまでニヨニヨと頬が上がってしまう。フィーネちゃんとカノンさんという両手に花の状態で色恋沙汰にならないのは本命がいたからだったか。
「ニマニマしてんじゃねー! このモロだし野郎が!」
「ぷっぷー小便小僧がなんか言ってるー」
勇者一行の剣士は馬鹿でガキだが、正直で真っすぐな男である。
◆
そして三日目。
昨日をほぼ探索に費やしたので、今日はもう踏破をするつもりで前進することになった。
というのも王都での武術大会に間に合うように戻るのであれば、行きに掛けられる日数はあと二日しかない。
一応目的はジグルベインの部下であるシエルという人物に会うことなのだが、中心まで着きました帰りますのトンボ返りでは流石に情緒があるまい。
「風景は大分変わってきたから、後もう少しだとは思うの」
「そうだね。同じ場所なのにこんなに色んな顔があるなんて凄いよね」
「ふふ、ツカサくんの表現って素敵だよね」
水の流れを追い続ければ川底にも光る苔が増えだた。流水が下より仄かに照らされる光景は溶けた黄金の川を眺めているかの様だった。
川は氾濫でもしたのか、気づけば両側にあった土壁は消えていて、再びに迷い込む木の海の。さりとて景色は同じといかず、いよいよ中心が近いのだろうと予感をさせる。
水の行き着く果ては、やはりというか水溜まり。
巨大な木々の隙間を縫う様に流れた水が、今度は隙間を埋める様に地を満たしていた。
散々障害として立ちはだかってきた木の根が、今や貴重な足場である。
「ここまで来ると、光る苔にも有難みが少ないわねぇ」
カノンさんの呟きには大いに同意だ。暗い森の中に広がる発光物だからこそ幻想的だったが、この近辺では苔以外にも茸や雑草なども仄かに光を帯びている。なんでもかんでも光っていては有難みもあるまい。
「水の影響かな。植物がというよりは、その中の水分が光ってるのかも」
そう言うイグニスは、手近な光る蔦を切り裂いて、零れる滴をほらと見せてくれる。
魔女の華奢な手のひらにはまるで蛍光塗料の様に発光する液体が溜まり、なるほどこれを吸い込めば光もするかと納得をした。
「もしかして人間も飲み続ければ光ったりするの?」
「いや、それは無いよ。ただ量によってはオシッコくらいは光るかも」
「うわっ、私絶対に飲まない」
むしろその話を聞いて飲みたい人はいまい。
七色苔が水中でも光っている様に、この近辺ではもはや水までもが光り属性の魔力を帯びているようだ。
「おい、向こうがなんか明るくないか」
ヴァンはそう言い、ちょっと見てくると駆けだした。
水の流れを頼りに来ただけに、俺たちは今完全に迷子だ。一応に方位磁石くらいは持ち合わせるが、生憎と北は指し示すが森の中心を示しはしない。まだ空が見えたのならば太陽や星の位置でも参考になったのだろうか。
「あ、本当ね。明るいわ」
「木漏れ日でも入ってるのかな」
「木漏れ日? この森にそんなの入るかなぁ?」
ともかく少しでも手掛かりを求め、俺たちは先走る少年の後を追う。
まるで昼間にトンネルを抜けた時の様に、光に目が眩んだ。
何日かぶりに浴びる眩い光は、心内すらも照らすように晴れ晴れとした気にさせる。
「ヴァン?」
少年はそこに立ち尽くしていた。そして剣士が圧倒される存在を、俺も確かに理解した。
厳かという言葉があるが、その場を表すのはまさにそれだ。
例えば歴史ある神社。例えば大聖堂。真偽はどうあれ、佇まいが、空気が神聖な物だと訴えてくる。
木の根の上から見下ろす湖畔は限りなく透明で。波風すら立たないこの場では、水が存在を忘れるほどに澄み渡っていた。
そんな湖の中に、太陽が沈んでいる。
あり得るのだろうか。クレーターの外からでも見えた一本の巨樹が、まさか一振りの剣から生えていただなんて。
樹から剣が生えているのではないのだ。剣から樹が生えているのだ。
水中の中で輝きを放ち大地に刺さる小さな剣は、しかし世界を支えるとさえ思える巨大樹の根なのである。
(おう。やはりあったか。しかしまぁ何故こんなところに)
「ジグ、あれを知ってるの?」
(カカカ! そりゃ知っておるとも。あの剣の名はクエント・デ・アダス。精霊王がただ一人の人間の為に誂えた、勇者ファルスの愛剣よ)
クレーターを作った謎の飛来物。そして環境汚染一歩手前まで魔力をたれ流す代物の正体は、どうやら伝説の聖剣だったらしい。
あまりにも馬鹿らしい規模のあまりにも馬鹿らしい光景を前に、何故かふーんとしか思えないのは、勢い余って感動が実感を通り越してしまったからだろうか。
それでも一つ分かる事がある。ここがゴールだ。俺たちはラウトゥーラの森の中心地にまでとうとう辿り着いたのである。
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