第80話 和解



「おいおい、そう睨むなよイグニス。お前の怒り顔なんてご飯が美味しくなるだけだ」


 魔女の熱い視線を受けてなおサラリと流し、紫の妖女アトミス・シャルールは席に着いた。机の側面。向かい合う両者の中継地で、己は中立だと座る席で暗に訴えている。


 俺の隣には魔女イグニス。赤髪赤眼の少女が有名な絵画の様な顔して背筋を丸めている。今彼女の顔を撮影出来るならば、俺はその写真に魔女の叫びと名付けるだろう。


 そして対面の席では、隣に座る少女と同じ赤髪赤眼を持つ男性が静かな圧を放っていた。

 彼の名はプロクス・エルツィオーネ。魔法家出少女のパパである。この両者の対面は、すなわちイグニスの将来に関わる話だ。


「俺、外野ですし席を外しますね」


 ほら。家庭問題だし、親子積る話もあるだろうし。

 気を利かせ自然に席を立とうとしたが、腰にはすでにイグニスの手が張り付いていた。それも裾を握るなんて可愛いものではない。ベルトを握る手からは絶対に逃がさないという強い意志を感じた。


「くっ、放せ! そろそろ家庭問題に巻き込むのをやめろ!」


「ぐへへ。誰が放すかよ。私たちこれからもずっと一緒だよ!」

 

 やめろ。勘違いさせる事を言うな。それ、地獄までずっと一緒っていう道連れ宣言じゃないか。


 振りほどこうとするもイグニスは身体強化でも使っているのか、ぐぬぬと顔を真っ赤にして込められる握力は、ベルトが壊れるのではないかと思うほどで。もたついている間にもプロクスさんから「ツカサ君」と厳かな声が掛かった。


「二人の関係は、やはりアレなのかな? 駆け落ちってやつなのかな?」


 この様子を見てそう思いますか?思いますか。そうですか。目玉腐ってますね。

 なおイグニスは反論せずに引き攣った笑みを浮かべる。この女はもう最悪は駆け落ちでもいいようだ。その言動が自分に有利か否か思考を巡らせているらしい。


 魔女は冒険に出たい。家の名を背負い勝ちたい相手が居る。しかし、立場や柵がある。

 面倒だ。面倒だよイグニス。


 俺はジグルベインをチラリと見た。話題に興味無さそうにフヨフヨと浮く彼女は、視線に気づくと、くにゃりと金の瞳を歪ませる。


 カオス・ジグルベイン。俺の愛しの魔王様。傲慢で暴虐で我が儘な、それはもう自他共に認める魔王ぶりであるが、ジグはナンデヤの町では暴力を振るわなかった。唯一ブルタさんの腹を裂く時に彼女の力を借りたがそれは例外だろう。


 人に暴力を振るうのは止めてほしい。俺の願いを、言葉を、ジグはちゃんと守ってくれたのだ。言葉に出せば魔王とだって分かり合えるって言うのに、コイツらは親子で読みあって遠慮しあって、遠回りにも程がある。


「プロクスさん。イグニスにはサラマンダーを討つという野望があります。どうか旅を続けさせてあげてください」


 今俺に出来る事。イグニスが言えないのなら、俺が代わりに言ってあげる事だ。

 魔女の目的を告げると、イグニスは「あっ」とプロクスさんに顔向け、お父さんは眉間に深く皺を作る。アトミスの高笑いが部屋に響いた。


「相変わらず本丸に斬り込んでいくな少年。駆け引きは嫌いな質かい?」


「いや、まぁ親子では要らないんじゃないかなって」


「なるほど。君みたいなのが増えればもう少し世界は潤滑に回るのだが、生憎貴族には世間体というものがあるんだ。なぁ伯父上」 


 旅に出ます。良いよ。それが許されるならば何も問題など無かったのだと。

 今エルツィオーネの課題を表面に出すならば、後継ぎ問題である。


 イグニスにはフランさんという兄が居る。長男という事で次期当主が期待されてる人だ。しかし、魔女が暴れまくったせいで世間にはイグニスこそが後継ぎに相応しいという声がある。


 このイグニス派を黙らせない限りはフランさんが当主になっても支持率が低い。なので兄に活躍の場を与えたいというのが親心なのだが、どうして魔女は家出中でも名を轟かせる。


 ゴブリン騒動の時には貴族を扇動し警戒態勢を作らせ、王都では秘伝魔術を披露し、ラルキルド領の領主と縁を結び表舞台に連れてきて、ナンデヤでは子爵の息子を悪魔憑きの症状から救う。並べると本当に自粛なにそれという暴れぶりである。


「まぁ成果は成果だ。火炎竜王の件もあるし、追放などはしないから、ひとまず安心なさい」


 プロクスさんの言葉に胸を撫で下ろすイグニス。俺ももう引き返せないと思い、椅子に座りなおしたが、ベルトはいまだに握られている。なんだかシュトラオスになった気分である。


「次に私が言いたい事は分かるなイグニス?」


「嫁に出して私を後継者から外したい、だね」


 皮肉にも自分の価値を上げて回ったイグニス。活躍ならばすればいいさ、ただし他の家の人間としてね、という事か。そこで俺はふと疑問に思い聞いてみた。


「女性が家を継ぐのはそんなに悪い事なんですか?」


 答えてくれたのは現女性当主のアトミスさんだった。非常に不愉快そうな顔で何とも言い辛そうに口にする。


「実は中継ぎなどでは珍しい話ではないんだ。ただ、私のように正式となると普通はない。女性は子を宿したら身動きが取れなくなるからね。けれど女性でも爵位は継げるから、男子が生まれたら譲るのさ」


 ああこの時代に産休なんて制度は無いのである。もっと言えば移動が馬車となると町の外にも出れないし、この危険な世界では母子共に命を失う可能性もあるわけだ。


 回復魔法を考えれば出産のリスクは低そうだが、それでも血を継ぐ事に重きを置く価値観では女性に当主をさせるのは負担でしかないのだろう。というか、家を継ぐのと爵位を継ぐのは別なんだな。


「アト姉には相手がいないから妊娠の問題は無いがな」


「ぐっ! だがお前も行き遅れになるんだよ! はっはー!」


 バチバチと赤と紫が火花を散らす中で、プロクスさんが遠慮しがちに口に言った。

 

「そう。婚約なのだがね。妻はね、良い家に入って不自由無い暮らしをさせたいと言うんだが……」


 うちってもう割と大きいし、政略結婚する意味って少ないのだよと。

 むしろ王族とか侯爵にイグニスを嫁に出してごらん?どうなると思う?そんな疑問に俺は間髪入れずに答える。


「燃やします。イグニスですもの」


「だよなぁ。イグニスだもんなぁー」


 この瞬間、弾き出した同じ答えに俺とお父さんの心は深く結びつく。

 燃焼系、いや炎上系少女イグニスの処置として、家で謹慎というのは実は物凄く理に叶った方法だったと今なら強く納得できるのだ。


「だからさツカサ君。イグニスいらない?」


「いりません。イグニスですもの」


「だよなぁ。イグニスだもんなぁー」


 ははは。と俺とプロクスさんが乾いた笑いを浮かべるなか、混じってイグニスも同じ様に笑っていた。血を思い浮かべる様な真っ赤な瞳が後で覚えていろよと、殺意に燃えていた。


「で、追放はしない、結婚もさせない。なら父上は私にどうしろと言うのか」


「いや、そもそもイグニス・エルツイオーネは勇者一行として旅立った。そうだろうシャルール侯爵」


「はい。そう認識しております。エルツィオーネ知爵」


 今度こそ俺は笑いが零れた。意地悪く輝く赤い瞳はまさに魔女の親。ここに来て、家出という事実を無かった事にしてきたのだ。


「その成果は勇者の行い。その名誉は勇者の栄光。己の行動が勇者の恥になると心得、常努力せよ」


「……我が炎に懸けて責を全うします」


 なるほど。アトミスさんはこの結果を聞いていたからお父さんとのドッキリ対面などを仕組んだ訳だ。全く一族揃って性格の悪い事である。


 そうとも。プロクスさんは勇者一行としての旅は認めていた。家出をしたからこそ問題だったのだ。ならばもうイグニスの旅は勇者一行としての行動という事にしてしまって、後は知らぬ存ぜぬで押し通すのだろう。


「少なくともフィーネちゃんが旅をしている間は自由になさい。お前の正義を信じよう」


 良くやった。サマタイが無事だったのはイグニスのおかげだ。父から掛けられる労いに言葉に、魔女はずずりと鼻を啜り、涙ながらに破顔して。なんて顔してるんだよとハンカチを差し出す。


 イグニス派なんて派閥を作ったのは自業自得なのだが、それにより頑張れば頑張るほど自分の首を絞めていた少女。手に入れた束の間の自由と、今だからこそ言われる賛辞は、俺の胸を涙やら鼻水でぐちょぐちょにする程度には心をかき乱したようだ。ハンカチィ。


「そういえばお母さんが、ちゃんとツカサ君を紹介するようにと言っていたぞ」


 その光景を遠い目で眺めるプロクスさん。やめて、違います。紹介ってなんですか。

 イグニスはにやけた涙顔を見せたくないから抱き着くふりして顔を隠しているだけなんですよ。


「ワタシハ、ツカサヲ、アイシテルンダー」


「やはりか!?」


「だから巻き込むなつってんだろ!?」


 ひとしきり俺に隠れて感情を発散させたイグニスはキリリと鼻たれ顔でプロクスさんに向き直り言う。


「父上、先祖の宿願を成してきます。私がエルツィオーネだ」


「ああ。今度こそ燃やしてこい馬鹿娘。父さんでは、駄目だったからな」


「え。大昔の話じゃなくてそんな頻度でサラマンダーさんに挑んでるの!?」


 ちょっと本気で迷惑じゃないですかこの一族?

 なおアトミスさんは行き遅れ仲間が増えた事に歓喜していた。なんでも勇者の旅は公務なので貴族の責務を免除される代わりに結婚なども出来ないそうだ。国を跨いでの移動もあるから引き抜きや利権も絡んでくるのだろう。


「さてイグニス。最初の言葉をもう一度言ってみろ」


「アト姉、計ったな?」


「そうだ計った。自由の身になったなら少しは協力して貰うぞ」


 【深淵】の件だ。汚れの無い純白の軍服に身を包んだ紫髪の女性は、魔女と同じ赤い瞳に愉悦を映し、真っ黒な笑顔を浮かべて。


「ちょっと知恵貸せよ。久々に一緒に悪だくみしようじゃないか」


 三対の赤眼が喜々と輝く。魔王をして迷惑な一族と呼ばれるこの人達は、本当に楽しそうに陰謀を張り巡らせるのだった。


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