第62話 お手伝い
俺はシャルラさんを抱えて一旦洋館へと引き返した。
本人はまだ一軒分の戸籍しか出来ていないからと作業を続けようとしたが、ドクターストップである。
ジグルベインの暴力を受けて心身共に疲労困憊なのだ。青ざめた顔で家を回っても余計な心配を振りまくだけであろう。その証拠にも、布団に横に寝かせれば彼女はすぐさまに眠りに落ちてしまった。
どうやら夢見はよろしくないようで、寝顔の少女からお父様と言う言葉が頻りに漏れる。
その度に小さく冷たい指が手に絡まってきた。ここに居るよと握り返してあげれば、眉間の強張りが少し解けた。
ラルキルド領。この場所の成り立ちは少しばかり特殊だ。
混沌の魔王が討たれた折に逃げ出した者達が築いた隠れ里。数多くの兵士が武力を持って制圧をしようとして、しかし悉くを返り討ちにして。そうして守り抜いた土地である。
シャルラさんは言った。
領として認められてすぐに揉めたので慎重に時期を見計らったと。
多分、それが決定打だ。
周囲が戦争の最前線というのもあるが、考えてみれば魔族達は自分たちの柱を失ったのだ。
荒れる魔族を何とか領に押し込めたのが、そもそもの鎖国の始まりではないだろうかと俺は推測する。
時が経てば世代が変わる。先代と共に領を守り抜いた世代から、シャルラさんと同様の戦を知らない世代。この時にはもう身動きが取れなくなっていたのだろう。
吸血鬼は影縫いの名前を使い、領の外にも中にも睨みを利かせながら悠久の時を歩んで来たのだ。
「もう大丈夫ですからね」
外の世界では戦なんてとっくに終わっていて、社会を形成している。
差別が無いなんて俺にはとても断言出来ないが、獣人だって王都に暮らしているのだ。
後はこの町が、人間の社会に馴染むことさえ出来れば。きっと、きっと大丈夫なはずなんだ。
目を覚めさせない様に絡まる少女の指をゆっくりと抜き、こうしては居られないと席を立った。戸籍を作らなければ。一秒でも早く、この町が人間と交流出来る様に。
(お前さんよ、もう放っておけよあんな馬鹿)
「馬鹿はお前だ。それに、何だかんだ気になったから口を出したんだろ」
ジグルベインの基本スタンスは好きにしろ、だ。
もう死んでしまったのだから何も言わない何もしない。せいぜいが俺の為に行動してくれるだけ。
そんな彼女が自ら混沌を名乗りシャルラさんに手を出した。やり方はともあれ、そこに激情があったのは疑いようが無く。ならばこそ、俺も一層にやる気が出ると言うものだ。
(懐かしい種族達に囲まれた故に少し昔を思い出した。すまんな)
謝るのは俺にではないのだけれど、今更会っても話が拗れるだけだ。
猛省すべしと釘を刺して俺は次の家に向かった。
「ごめんくださーい!」
足を運んだのはオークさん家の隣にある縦に長い家だ。
木造なのだが、継ぎ接ぎが多く、なんだか蓑虫を連想する独特な自宅だった。
はーいと、高い可愛らしい声が響き、ギィと扉が開く。
頭上から逆さまに顔が覗く。大きい真珠の様な四対の瞳がキュルキュルと動く。
その様子に肌が粟立つのを感じた。人蜘蛛である。
大きな蜘蛛の下半身から人間の上半身が生えていて、昆虫の部分からはこう、本能に訴えかけてくる何かがある。主に恐怖とかなのだが。
「は、初めまして! シャルラさんの戸籍作りを手伝っています。少しお時間いいですか?」
「ああ! オリバちゃんから聞いているよ。よろしくね」
そう言ってシュルシュルと地上に降りてくる蜘蛛さん。
声から女性かと思ったが、どうやら男性の様で、人間の部分は中性的な可愛らしい外見をしている。
ジグの話では、人蜘蛛族は男性よりも女性の方が身体が大きいそうで、役割も男女で逆なのだそうな。奥さんは森に食べ物を取りに行っているそうだ。もしかして虫を取ってくるのはこの人達だろうか。
「家族の名前と関係を教えればいいんだよね?」
「はい。この町に住んでいて、生きている人をお願いします」
俺は慌ててシャルラさんの用意した筆記用具を出す。
インク壺と羽ペンだ。書くものは羊皮紙ではなく木の板。あくまでメモなのである。
俺では日本語しか扱えないので、二度手間ではあるが後で本紙に書き写して貰おう。
本当はそうならない様にジグに頼んだのだが、仕方あるまい。
慣れない木の凹凸とインクのノリに苦労しながら書き込んでいく。
ええと、母、兄、妹。奥さんに。
「後は子供がアクタ、ゼペル、ルルル、レイヌ、エッセ、シャワ、トーナ……」
「待って! 何人いるの!?」
「15人だよ」
15人!?多くない!?
どれだけ頑張ったのかと思ったが、元々多産なのだそうだ。卵だそうだ。
その代わりに生まれた子供は10センチ程度で本当にか弱いそうで、大人まで生きている子は少ないそうな。確かに今生きている兄弟は兄と妹だけという話である。
(昔の人蜘蛛族は交尾が終わったら子供の栄養の為に男をバリバリ食っておったしな)
聞きたくなーい!
「ニョラさんは、この町が外と交流出来る様になったら嬉しいですか?」
「うーん。いまいち想像がつかないかな。どう変わるんだろう?」
「商人と取引が出来ればお金が手に入ります。お金があれば、金額分だけ買い物ができます」
それでもピンと来ないようで。何か好きな物は有るかと聞けば、手芸が趣味だと。
可愛らしい趣味だと思いつつ、それならば色々な糸や布が手に入るかも知れないと伝えると、それは素敵な事だと手を鳴らした。
次の家は下半身が山羊の人山羊さん。お爺さんとお婆さんが暮らしていた。ぶっちゃけ獣人との違いがよく分からなかった。楽器や音楽が好きらしく、動物の角から作った笛で一曲聞かせてくれた。
外の話をすれば吟遊詩人に興味がある様で。
ラルキルド卿の歌もありとても人気らしいと伝えると、それは是非聞いてみたいと言っていた。
横に長い家に住む人馬さん。町の入り口であった人とは別の家系のようだ。
小麦色の髪をした綺麗な奥さんだったが、静かなのが好きなそうで、町がうるさくなるなら嫌だと交流には若干否定気味だ。
ついでに人山羊さんは夜中にも楽器を鳴らすから嫌いだと愚痴っていた。それは俺に言われてもね。
長屋に住むのは人間や獣人が多かった。
どうやら人間には保守派が多いようだ。いや、どちらでも良いという風見派だろうか。
人間同士だからこそ田舎者と言われるのが嫌だという意見や、魔族が外に出れないルールがある以上、自分たちも外には出ないと言う人間と獣人の暗黙の了解。長であるシャルラさんの意見に従うという、領主を尊重する意見。
総じて決まり事や規律に従うという、ある意味はとても人間らしい話だった。
その分、本音の部分が見えないが、俺も暮らしていたら同じ事を言うだろう。決まったら教えてねという奴だ。
ちなみに人間に混じって首無し族という人達も暮らしていた。
普通に話しかけたら頭をポンと取るので腰を抜かしそうになった。ジグルベインなら間違いなく頭を投げつけていただろう。
悪戯好きだが陽気で愉快な人達だった。外の話をしたら馴染めるか不安にしていたがあのコミュ力なら大丈夫だろう。俺より余程馴染むに違いない。
なんと山際にも洞窟で暮らす人達がいた。人蛇や人蜥蜴の人達だった。中には蜥蜴の獣人も居るそうで、いよいよ区別が曖昧になる。ジグが言うには、魔族は進化したりする固有の種という話だ。わからん。
人蛇さんは一妻多夫が普通らしく、逆ハーレムを形成していた。
大家族で一族はほぼ一緒に暮らしているらしい。おばさんから娘さんまで美人さんが多いのだが、洞窟の暗がりの中で蛇特有のテカテカした尾が蠢いているのは少し心をザワザワさせた。子供がいたずらで巻き付いてきた時には声が出たほどだ。
交流の話をしたら布を欲しがっていた。どうやら寒いのが苦手な様だ。
冬眠などはしないから冬はみんなで集まって暖を取るそうな。確かにみんなが尾まで着込んだら布は大量に使いそうである。暖かく冬が過ごせたらいいね。
中には浮遊霊の種族もいた。
別に死人の幽霊などではなくそういう種族なのだそうだ。
半透明で少し浮いてて、形も多少は変化出来る様だ。実体はあるため、食べるし寝るし怪我もするらしい。甘い物が増えたらいいなと言っていた。
ジグの同類かと思ったのでジグが一緒にするなと拗ねた。なお浮遊さんでもジグの存在は感知出来ないらしい。一番の謎生物はもしかしたらコイツなのではないか。
そこでふと疑問に思った。そう種族だ。ジグルベインにも種族があるはずなのである。
「ジグは人間じゃないよね? 何の種族なの?」
(んん? このセクシーダイナマイトなボディーを見て分らんか?)
分かんねーよ。吸血鬼では無いようだしサキュバスとかだろうか。
(あんな淫乱な種族と一緒にすな!)
どうやら自称は天使のようだ。あまりにも面白い冗談の為笑いが零れた。
まあ言いたくないないならそれでも良いだろう。
日が暮れるまで町を駆け回り、戸籍を作りながら人々の意見を聞く。
様々な種族が種族が居て、様々な考えと文化があった。
その影響だろうか。この町の人達は違う文化というものに対し割と寛容である。
そういう考えもあるのかと受け入れるのだ。
無論、異文化に触れて馴染めと言えば反対もするだろう。
特に通貨や税金などは普及するまでに時間がかかりそうだというのが今日の手応えだ。
「でも一歩づつだよね」
集めた名前の束。まだ全部とは行かないが、これが住人の証であり、これを元に戸籍が作成される。やる事はまだ多いが下地作りは進んでいる。いつかこの町でも影市が出来るくらい人が来てほしいものだ。
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