鬼子母神の息子は山羊の白雪姫を食らう――ミサンドリーで鬱病の僕は、性依存症の元ヤクザの父に庇護され、村の権力者の孫娘(十歳年下大学生ヤンデレ)から愛されて逃げられない

虎山八狐

第1話 白雪姫に口づけを

 僕は彼女に口づけた。

 何の化粧も施していない彼女の唇は渇いていて、奥へ引き込むような皺の感触が目立った。誘われるままに彼女に更に近づけば、沈み込むような柔らかさに驚いた。しかし、それ以上の刺激は無かった。

 すぐに腰から上半身を上げた。正座だったが、胡坐に座り直す。自分の奇行を振り返りながら、横たわる彼女を見つめた。

 瞼は閉じられていた。

 その瞼が開くことは二度とない。

 非現実的な状況に脳がふらついて妄想を呼び、目の前の光景を絵本の一頁と重ね合わせた。

 ――彼女が目覚めないのは、硝子の棺に入っていないからか。

 ――彼女が目覚めないのは、黒の小型車に入っていたからか。

 ――彼女が目覚めないのは、生活を共にした小人達に運ばれていないからか。

 ――彼女が目覚めないのは、彼女のことを知らぬ人間に運ばれたからか。

 ――彼女が目覚めないのは、死因が毒林檎ではないからか。

 ――彼女が目覚めないのは、死因が練炭による一酸化炭素中毒だからか。

 ――彼女が目覚めないのは、継母が手をかけたのではないからか。

 ――彼女が目覚めないのは、ヤクザが手をかけたからか。

 漆黒の美しい髪に、威圧感さえ覚える程の美形。彼女は白雪姫と呼んでも差し支えなかっただろう。きっとかつてその肌は雪のように白かっただろうから。しかし、その相貌は、桜刃おうじん組三代目組長の薬師神子やくしみこざいに瓜二つだった。

 彼女の姫からかけ離れた出自を想像しようとした途端、自分の足の伸びすぎた爪が目についた。自嘲が頭を塗り潰す。

 ――彼女が目覚めないのは、僕が王子様では無かったからだ。

 ――彼女が目覚めないのは、僕が「鹿村かむら大和やまと」という屑野郎だったからだ。

 開け放った窓から仄かな白い陽光がさし、冷たく湿っぽい風が吹き荒ぶ。庭を囲む柊の葉が擦れあい、ザアザアザアザアと音を立て始めた。

 縋るような思いでそちらに目を向けた。

 風が前髪を吹き上げ、その下に隠れていた空っぽの左の眼窩を舐め回す。

 柊が僕の醜悪な経歴を嘲わらった。そして、先程の奇行を罵った。

「伝えてくれ」

 思考より先に言葉が転び出た。しかし、思考が追いつくことは無く、寧ろ自分の言葉に背中が冷えていった。

 今現在既に起床しているだろう村民の顔が次々と浮かんでいく。彼等は一様に目と唇を鎌のように曲げていた。その口からザアザアザアザアと柊の音に似たひそひそ声が溢れていく。聞き取ろうと集中すれば、具体的な罵詈雑言が次々と浮かんだ。実際には聞かされたことがないが、長年想像し続けた言葉だった。いつか聞かされるに違いないだろうと確信している言葉だった。

 この奇行が知れたらそうして拒絶され、この狭い奈良県煤谷村すすたにむらから追い出される時が来るかもしれない。

 その時に齎される自由は如何程のものだろうかと穏やかな心地を得たのは束の間だけであり、すぐに村外の想像ができないことに気付く。同時に、村を出るということは死を選ぶしかないことだと確信していく。

 息の仕方が分からなくなっていき、胸が詰まっていった。

 ザアザアザアザアと、柊が――妄想の中の村民が滑稽な妄想に追い詰められた僕を嗤い続ける。

 僕でさえ僕が滑稽に思えた。途端、呼吸が正常になって、視野が広がった。

 早朝の白い光に照らされた室内には、二体の屍が並べられていた。

 窓は全開していて、いくら柊が遮っているといえど、無防備すぎる。

 急いで窓とカーテンを閉め、照明をつけた。LEDの無遠慮な光は屍の不自然な色を陽光よりも躊躇なく際立たせた。

 狂った状況だ。

 だが、混乱によって生じた衝動のままに窓を開け放し、あまつさえ屍に口づけた自身の方が狂っているに違いない。

 自嘲で震えだす横隔膜を感じ、意図的に溜息を出した。もっと自分から離れようと、この状況の原因を思い返す。

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