たーくん

真霜ナオ

たーくん


 私は、数年前に恋愛結婚をした主婦です。

 一人息子をさずかったことを機に、主人の希望もあって専業主婦となりました。


 恥ずかしながら、私は結婚をするまで実家を出たことがありませんでした。

 職場が実家から電車通勤で通いやすい距離ということも手伝い、一人暮らしをする必要性を感じていなかったのです。


 生活の変化についていけなかったこともあり、知らず知らずのうちに、疲れが溜まっていたのでしょう。

 結婚後は、ほんの少しの昼寝のつもりが、やたらと長く眠ってしまう日もありました。


 目覚めたら夕方だった。などということも多く、アラームを設定するようにもしたのです。

 けれど、睡眠欲に負けて無意識のうちに止めてしまっているのでしょう。

 設定した時間を過ぎて起床することも、少なくありませんでした。


 特に主人が不在の日に多かったので、気が抜けたせいでもあったのだと思います。

 慣れない家事に苦戦する日々は続きましたが、一人暮らし歴が長かった主人が、根気強く私を育て上げてくれました。

 その甲斐もあってか、今ではすっかり効率良く家事をこなすコツも掴めるようになったのです。



 主人は、何かと出張の多い仕事をしていました。

 慣れない土地での一人きりの時間は不安もありましたが、子煩悩こぼんのうな主人は、何かと理由をつけては隙間時間にビデオ通話をしたがります。


 タイミングによっては面倒な時もありましたが、お陰で離れていても不倫の心配をするようなことはありませんでした。

 今は息子と共に日々奮闘しながら、賑やかな毎日を過ごしています。




 息子が三歳になった頃、夕食の支度を終えた私は、息子が誰かと喋っている声を耳にしました。

 リビングを覗いてみると、もちろんそこには息子の姿しかありません。主人は仕事に出ているのだから、当然のことです。


 その日はテレビがついていたので、それに向かって喋っていたのだろうと思いました。

 まだたどたどしい喋り方の息子が、テレビの中の人物と会話をしている様子は、いつ見ても可愛らしいものです。


 しかし、また別の日にも息子が誰かと話をする声が聞こえてきたのです。

 それは、テレビを置いていない寝室での出来事でした。

 誰と喋っていたのかと尋ねてみると、息子はこう言うのです。


 「たーくん」──と。


 以前、何かの番組で目にしたことがありました。

 子供は時に、『イマジナリーフレンド』というものを作り出すことがあるのだと。

 特に息子のように、一人っ子や長子に、その傾向が見られるようでした。


 もうすぐ幼稚園に入園させる予定でしたので、同年代の友人ができれば、そのようなことも無くなると思っていたのです。

 ですから、特に指摘をするようなことはせず、息子に話を合わせるようにして過ごしていました。


 息子はたーくんのことをとても気に入っているようで、私がその存在を認知してからは、度々たーくんとのことを話すようになりました。

 主人もまた気に掛けてはいたものの、基本的には私と同じ考えだったようです。





 今週もまた、主人が出張で不在になった日のことでした。

 洗濯物をたたむ間、一人で遊ばせていた息子が、また「たーくん」と話をしている声が聞こえてきました。

 いつものことだと耳だけを傾けてタオルを手に取った私でしたが、ふと、息子ではない声が聞こえたような気がしたのです。

 今日はテレビもつけていなかったので、不思議に思いました。


 まだ喋り続けている息子の様子が気になった私は、足音を忍ばせて子供部屋をこっそり覗き込んだのです。

 そこで、自分でも出したことのないような悲鳴を上げてしまいました。


 一人で遊んでいたはずの息子の向かい側には、見知らぬ男が立っていたのですから。


 どうしてだか、幽霊だとは思いませんでした。はっきりと姿を視認できていたからかもしれません。

 恐怖よりも先に、息子を守らなければと思った私は、部屋に駆け込んで息子を抱き寄せました。


 すると男は、私と息子の方へと近付いてきたのです。

 その顔には気味の悪い笑みが浮かんでいて、背筋が凍り付く思いでした。

 急いで逃げようとしたのですが、すくむ脚は思うように動いてはくれず、男が私の腕を掴んだのです。


 殺されるのだと思いましたが、その時、玄関の鍵が開く音がしました。

 出張だったはずの主人が帰宅したのです。

 私たちの姿を見つけた主人は驚きましたが、男を殴り飛ばすとそのまま取り押さえて、警察へと連絡をするよう私に言いました。


 主人は、急遽きゅうきょ出張が取り止めになって、私たちを驚かせようと連絡を入れずに帰宅をしたのだそうです。

 あの時、主人が帰ってきてくれなければ、私と息子はどうなっていたかわかりません。


 あの男は抵抗もなく、駆け付けた警官によってすぐに逮捕されました。

 今では塀の中にいるそうなので、私たちは安心して生活をすることができています。





 ……ですが、あれから年月が経った今も、私の胸の内にはまだひとつの不安が残っているのです。


 息子が成長していくにつれて、なぜか主人にはまったく似ていないことに気がつき始めたからでした。

 そして、ふとした瞬間の息子の顔に、あの男の面影が重なる気がしてならないのです。



 愛する我が子は、本当に私と主人の子供なのでしょうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

たーくん 真霜ナオ @masimonao

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ