第37話 薬師ランドール

「カノエさん。メディのお話ってなに?」


 深夜、アイリーンの家にて三人の女性が密会をしている。アイリーン、エルメダ、カノエ。

 村人が寝静まった時間帯を選んだのはカノエだ。メディから買ったリラックスハーブティーを味わいながら、もったいぶって話を進めない。

 エルメダはじれったさを感じて、アイリーンはただ静かに待った。


「二人とも、メディの父親の名前は聞いた?」

「うん、確かランドールだよね。聞いたこともない薬師だよ」

「そうよね。私も知らないわ」

「は……?」


 エルメダはカップに口をつけたまま、きょとんとする。

 カノエの目つきは鋭い。メディに見せていた優しい女性ではなかった。

 室内の空気が一気に張りつめる。虫一匹の気配すら消えて、鳴き声が止んだ。


「カノエ、まだるっこしい話はなしにしよう。メディの父親に見当がついているのだろう?」

「賢者アクラ」

「……とんでもない名前が出たな」

「え、なになに?」


 エルメダには見当がつかないが、アイリーンの表情で悟った。

 彼女ほどの人物が表情を強張らせているのだ。


「とある国の宮廷魔導士だったアクラは王族の遺伝性の病を断ち切り、長寿として繁栄させる。推定死者数が万に届く伝染病の終息、抗体の開発……。賢者とすら称されたアクラ。エルメダちゃん、あなた知らないの?」

「ごめん。里から出してもらえたのがつい最近だから……。それでその賢者がメディちゃんのお父さんなの?」

「いえ、たぶん違うわ。でもこのアクラには秘密があってね」

「秘密?」

「アクラは魔法なんか使えなかった」


 本来であれば根も葉もない話とアイリーンは切って捨てるが、カノエの口調がそう思わせない。

 彼女としてはカノエの正体に迫りたいほどだ。もし真実であれば、カノエはまともな場所に身を置いていない。

 話を聞きながら観察するほどカノエがどこに属する人間か、確信に近づく。


「カノエ、軽々しい発言ではないだろうな。私も信者ではないがアクラを尊敬している。多くの者達も同じだろう」

「気を悪くさせたなら謝るわ。でも、せめて話半分で聞いてほしいの」

「わかった」


 アイリーンは今一度、腰を落ち着けた。


「アクラの魔法には一つ、特徴があってね。アイリーン、あなたならわかるでしょ?」

「アクラはただの水を万病を治す聖水に変えられる」

「そう、多くの人達が目撃したと思うわ。でもアクラは常に傍らにいる召使いから瓶に入った水を受け取っていた。手をかざして、光に包んだのよ」

「待て! それは初耳だ!」

「伝染病を終息させた際には川の水を聖水に変えたなんて話もあるけどデマよ。実際は大量に用意されていた水を各地に送り届けた」

「そんなバカな!」


 アイリーンは興奮を落ちつけようと必死だ。カノエの口から出た言葉でなければ逆上していたところだ。

 会ったばかりのカノエであるが、言葉の一つに得体の知れないドス黒い空気を帯びている。そんなイメージさえ持っていた。


「仮に……その話が本当だとしてもだ。なぜそんな事をする必要がある? その水は一体誰が……」

「アクラの一族は代々、宮廷魔導士として王族に仕えていた。ところがアクラは魔法の才能に恵まれなかった……相当、焦ったはずよ。ところがアクラは宮廷魔導士として仕えることになった。一人の召使いを従えて、王族にも認められたわ」

「ただの水……予め用意された薬を魔法に見せかけたのか? バカバカしい……そんなもので欺けるわけが」

「王族も薄々気づいていたのかもしれないわね。でも聖水の効果は認められた。彼らとしてはそれで十分だったのかもしれない」

「国の体面か?」


 カノエが無言で肯定した。アイリーンもエルメダも、カノエの言わんとしてる事をすでに理解している。


「……アクラが召使いを従えていたという話も聞いたことがない」

「大衆の視線はアクラに注がれていたからね。召使いなんて背景としか思われてなかったんじゃない?」

「その召使いがメディの父親だと言うのか?」

「可能性があるとしたら、召使いの彼しかいないというだけ。何せ誰も名前を知らない上に突如として姿を消した」


 三人は沈黙した。荒唐無稽なカノエの話だが、これまでのメディの調合は薬師を逸脱している。

 アイリーンやエルメダは何度、魔法に例えたかわからない。その魔法がアクラの陰で実現していたとしたら。

 とある王国の民が魔法と信じていたとしたら。もし自分が民であれば、見破れるかどうか。

 育ちも思考もまるで違うアイリーンとエルメダだが、ここまで思考がリンクするのも珍しかった。


「……カノエ。お前は何者だ?」

「私はワンダール公爵に雇われたしがない元門番よ」

「話す気はなさそうだな」

「あら、ひどいわ。まさか裏稼業とでも?」

「そう思っておこう」


 アイリーンとて、カノエに翻弄されるのは本望ではない。詮索したところで答えなど出ないのだ。

 彼女ほどの人物すらメディに興味を示したとなればこの先も気をつける必要がある。ワンダール公爵のような善意の権力者だけではない。

 アイリーンは今一度、自身の剣で本当に守るべきものを見定めた。

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