第32話 その名は薬師メディ

 屋敷の庭にて、来客が互いを祝福している。

 後に控えていた来客達は全員、商談に成功したのだ。ある者はクレセイン内での店舗経営を認められたどころか融資を確約される。

 ある冒険者は公爵家から直々に仕事を貰えるようになり、取り引き先としての契約までしてもらえた商人などは小躍りしていた。

 カノエはこの光景を現実として認められずにいる。会う事すら叶わない者も多いというのに、ワンダールは全員に機嫌よく対応したのだ。

 しかしただ一人、賞金稼ぎのベイウルフだけは肩を落としていた。


「……バッドムーンがすでに殺されていたなんてな」

「ベイウルフさん、気を落とさないで……」

「いや、泣いちゃいないがな。涙は見せねぇ。男が見せるのは背中だけだ」

「そ、そう」


 エルメダがベイウルフから聞いたところによると、ワンダール直属の獣人部隊に追いつめられて殺されていた。

 少数精鋭ながら王国騎士団と互角の戦力と名高いその部隊はエルメダも聞いたことがある。さすがのバッドムーンも彼らの目鼻を欺くことはできずに敗れ去った。

 出回っている手配書の回収がされずに、情報の行き違いが発生していたのだ。


「結局、賞金はなしかぁ」

「まぁまぁ。ここでそれがわかっただけでもよかったじゃん」

「慰めはいらねぇ。男に必要なのは度胸だけさ」

「そ、そう」


 発言とは裏腹に、ちらりとこちらを見るベイウルフにエルメダが困っているとメディが屋敷から出てきた。

 その小さな功労者を皆が拍手で称える。


「君のおかげで何もかもうまくいったよ!」

「この町で商売ができなかったら、家族を呼べないところだった!」

「オレ達は領地内の魔物駆除の仕事を任せてもらえたぞ!」


 目をパチパチとさせるメディには彼らが感謝する理由がわかっていなかった。

 黙っているメディの代わりにエルメダが対応する。ワンダールの体内にいたシュラ虫駆除の件を話すと、より沸いた。


「そんな虫がワンダール公爵の体内に……」

「そ、そのポーションを売ってくれ! 医療界に革命が起こるぞ!」

「こっちはレシピでもいい! 金はいくらでも出す!」

「はいはい、そういうのは待ってね!」


 押し寄せる者達をエルメダがせき止める。シュラ虫の認知度こそ低いが、知る者からすればまさに革命だ。

 そもそも寄生の有無の判定は極めて困難であり、それでいてこの寄生虫による被害は馬鹿にならない。

 死因不明とされてきた患者の中には、かなりの割合でこの虫の犠牲者がいるのではないかと考える者もいる。

 もしシュラ虫を駆除できるポーションが世に出回れば、エルメダがいう医療推進制度そのものがひっくり返る可能性があった。

 しかし、当のメディは気が進まない。


「あの、あれはワンダール公爵用に調合したポーションなのでお渡しできません。薬は皆さんの身体によって変わりますから……」

「そ、それでも君はワンダール公爵がシュラ虫の宿主になっていると見抜いたのだろう? そんな人間、治癒師協会にも何人いるか……」

「いえ、お父さんに比べたら私なんか……」

「父も薬師なのか? 差し支えなければ、名前を聞かせてもらえないか?」

「ランドールです」


 誰もがその名前にピンとこなかった。これに関して、エルメダは腑に落ちない。

 メディの師匠に当たる薬師となれば無名のはずがないのだ。そのような薬師がいるのであれば今頃、治癒師推進制度などとっくにひっくり返っている。

 田舎に引きこもっている場合ではない。エルメダは幾度もそう思ったが、相手はメディだ。助けられておきながら、実際に追及するつもりはない。


「聞いたことないな」

「実はあの賢者アクラです、なんて言われたらひっくり返るところだったが……」

「さすがに冗談でも信じないぞ、オレは……。それにアクラは魔導士だろう?」

「だいぶ前にオレが訪れた治療院なんかひどかったぞ。ろくに怪我も治らないわ、治癒師のババアの態度も最悪だわ……」


 一同が口々に治癒師への不平不満を漏らす中、ワンダールが出てきた。

 カノエも同行しており、なぜかその視線はメディに注がれている。


「メディ。レスの苗木は後日、輸送する。カイナ村だったな」

「はい。お願いします」

「それとな。代わりに……というわけじゃないんだが、このカノエがすっかりお前に興味を持ってな。同行させてやってくれねえか?」

「カノエさんがですか? いいですけど、どうしてです?」

「フフ……それはね」


 メディにはカノエの瞳が怪しく光った気がした。途端、しなだれかかるようにカノエがメディに抱きつく。


「あなたの薬をとことん追求したいからよ」

「つ、追及ですか?」

「今まで一度として、他人にしてやられた事はなかった。ちょっと悔しかったの」

「そんな事で……?」


 カノエは己の過去を振り返った。ワンダールを一瞥してから、メディに対する言葉を選ぶ。


「毒薬しか作ったことがない私と違って、あなたは人を助ける薬を作ってる。私には真似できないことをやってるのよ」

「薬は人を助ける為のものです。毒なんか……」

「あら? 毒なんか?」


 エルメダはトロルを一撃で葬ったメディの謎の毒については触れなかった。

 彼女も本意ではないと知っているからだ。それよりも気になる事がある。


「カノエさん、そろそろ離れてね?」

「はいはい。ところであなたは付き添いと言ってたけど、そもそもどういう間柄なの?」

「どういうって言われても……。メディの薬屋のお得意様かな」

「そう。じゃあこれからは私もお得意様になるわ」

「はぁ?」


 エルメダとメディのペースを無視して、カノエはすでについていく気だった。

 エルメダはカノエのすべてを信用したわけではない。その所作や気配からして、尋常ならざる者であると確信している。

 それこそ無名のはずがない。どこか飄々とした態度が逆に白々しく思えた。

 そんな三人の会話にしっかりと聞き耳を立てている者達がいる。


「カイナ村って言ったよな?」

「聞いたことないな」

「確か南のほうにそんな村があったような……」


 彼らは薬屋の所在を知りたがっている。メディのような薬師を放っておくはずがないのだ。

 何としてでもメディを引き入れたがっているのはワンダールだけではない。すでに各々がカイナ村という名前を記憶していた。

 そこが天才薬師の活動拠点であるならば、いずれ訪れない手はなかった。

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