大道寺政繁と小山田信茂は必死である

「突っ込め!」


 政繁の声と共に、大道寺軍が突っ込む。

 そして先鋒を守るかのように矢が飛び、小山田軍を狙う。


 もっとも細い山道での攻撃だったので効果は限定的だったが、それでも木々をすり抜けた矢が次々と小山田軍に襲い掛かる。

 もちろん小山田軍もやられっぱなしではなく、次々と矢が大道寺軍に向けて降って来る。


 そしてお互い適当な犠牲者が出た所で、いよいよ本格的な殴り合いに突入する。


「何をやっている!気持ちはわかるがそんなに腰が引けていては勝てんぞ!」


 だが小山田軍はどこか逃げ腰で、すぐにでも下がりたそうにしていた。

 よく見れば信茂だけでなく全体的に顔色が悪く、まるで何も知らされていないかのように鎧が乱れている兵もいた。


「このまま一気呵成に押し切ってやる!」



 そんな状態の敵に大道寺軍はすっかりその気になり、一気に突っ込み出した。


 この時の政繁たちの頭に、挟撃とか言う言葉はなかった。

 ただひたすら前へと進み、岩殿城に三つ鱗の旗を掲げる事だけを考えていた。



「あぐっ!」

「うえっ……!」


 そんな気持ちに水をかけたのは、水ではなく石だった。


 小山田軍から投げ付けられた石が次々と突っ込んで来た兵たちの頭や胴に当たり、次々と死傷者を増やして行く。

 中には走りながら投げた芸達者までおり、その男が投げた石は先頭から三列ほど後ろの隊長の頭にぶち当たり、そのまま頭蓋骨を砕いて死体に変えた。

 つい先ほど真っ赤になって油断するなと必死になっていた人間にしては、あまりにもみじめな死にざまだった。



「やっぱりそんな簡単ではないと言う事か!者ども!改めて」

「この野郎!」

 それで大道寺政繁は一挙に熱が冷めたのか冷静になったが、それでも投石で仲間を殺された兵たちは一気に突き落とされた事もあって激高して突っ込み出した。

「おい待…」

「うぐ…!」

「あっとっと!」

 だが二の矢と言うか二の礫の到来に加え、投げ付けられた石によって地面が悪くなって足がもつれる兵が続出し、損害が余計に増えた。


「ええい!再び一斉射撃だ!それとともに再突入だ!」

 先ほど全部言い切る前に暴走して死者が出た事を悔やみながら、再度の援護射撃を命ずる。

 どうせ敵の数は見えている。ここを突破すれば岩殿城まで一直線だ。占拠、いや少なくとも包囲ぐらいはできるはず。


 もう少しだけ、もう少しだけ我慢すれば良い。



 再び援護者が始まり、矢の雨を降らせる。

 文字通り篠突く雨を目指したつもりだったがやはりところどころ途切れ、霧雨のようになる。今度は絶対に油断しないとばかりにじっと突入の時を待ち、小山田軍の反撃を待った。

「……」

 犠牲者を生み出しながらも小山田軍は動かず、じっと射撃を返して来るだけ。

 打ち合いと言うよりにらみ合いのようになり、進んだと思った戦はすぐに停止してしまった。


「ええい何をためらっている!ありったけの矢を撃て!」



 政繁は必死に射撃を促す。

 本当なら命を的に突っ込んで行きたいのだが、士気が上がっていない。


 最初からごたごたがあった上にそこから生まれた油断に、思いもよらぬ抵抗。


 次々と続く凶報に兵たちの心は乱れ、目の前の敵を討つ気にならない。

 一応矢だけは飛ばしているが、それだけで敵を倒しきる事ができる物でもない。

 小山田軍には当然死傷者が出ているが、大道寺軍もまた死傷者が増えている。


 目に見えにくい戦果は士気を高めず、逆に目に見えている被害は士気を下げる。


「このままでは!」

「やかましい!まだ投石を食らいたいのか!」

「ですからこのままでは全滅します!」

「馬鹿者!この部隊を全滅させる矢などどこにある!

 死者が増えているのは向こうも同じだ!」


 全滅とか言うたわけた言葉を抜かす人間を叱責したり、自分が苦しい時は相手も苦しいとか言う論旨をぶっこいたりした所で流れが変わる訳もなく、大道寺軍はだんだんと不利になって行った。


「申し上げます!」

「何だ!いい加減突っ込めとでも言うのか!」

「そうです、お館様が……!」



 そして氏政もこの有様に耐えられなくなったのか、ついに突撃を命令して来た。


 細い山道のせいでまともに下がるのも難しい以上、ある種の背水の陣だった。


「やむを得ん……!全軍突撃!」



 大道寺軍は、ついに全軍での突進を決めた。


 死地に自ら飛び込み、甲州に北条の栄光をもたらすために。




※※※※※※※※※




「ついに来たか…………」




 やぶれかぶれとでも言うべき敵軍の行いを、小山田信茂は必死ににらみ付けていた。

「やって見せろ!」

 兵たちは信茂の言葉に乗るかのように次々と矢を放ち石を投げるが、それで倒れない北条軍の数はかなり多い。

 戦い慣れしている信茂でさえも、腰が引けそうになって来る。


「退くな!退けば甲州を、故郷を北条に蹂躙されるぞ!」


 そんな事を口にしながら必死に督戦に勤め、人殺しと言う名の稼業に勤しむ。

 いつも通りの事だが、此度はそのいつも通りが通じそうになかった。



(お館様、いや信玄公は本当にやる気だったのか……?)


 川中島にて信玄が謙信を討ち取ったと聞いた時、達成感や満足感より先に空虚な感情だけが浮かんだ。あの十二年前の死闘にも加わっていた身として、あまりにもあっけない謙信の死に感動するでも称賛するでもなく

「そうか」

 と言う言葉しか出て来なかった。


 その上で武田の絶対的大勝利と言う結果は、ますます信茂を困惑させた。


 確かに上杉謙信には悩まされて来た。

 だがそれがたった一戦でこうも木っ端微塵になってしまっていいのか。

 まるで自分がして来た事がすべて無意味なように思えて来る。



「生き残りたくば目の前の敵を討つしかない!」


 大道寺の声にかぶせて叫んだその言葉に、信茂は詐欺師の資質を嫌と言うほど自覚した。



 自分は生き残りたいのか?

 この先の時代に?



 次代だったはずの義信はおろか勝頼も亡く、いつの間にか次代、いや当主は七歳の信勝になっていた。信玄も今は元気だが正直年齢や過去だけにいつこの世を去るかわからず、そうなれば完全に時代は変わる。

 四名臣は未だに残っているが、それらだっていずれは死ぬ。

 その先の時代を担うのは彼らの息子たちか、あるいは………………。



「ここから先は一人も通さんぞ!」


 そういう考えを振り払うために必死に叫び、大道寺軍に負けじと突っ込んでやろうとする。


 が、できない。

 仮に突進して討ち死にでもしようものなら、それこそ岩殿城を守る軍勢がいなくなり躑躅ヶ崎館まで一直線となる。一応岩殿城には守護の兵を残しているが、数は二百程度しかおらず質もまともに訓練していない農兵しかいない。

 もちろん援軍を要請したが

「案ずるな、出て迎え撃て」

 と言う五+七文字しか返って来なかった。

 一応命令を受けて出撃してみたが、今からでも岩殿城に引っ込んで援軍でも待った方がいい気分になって来る。

 本拠地のすぐそばを守らない人間がどこにいると副官に言われて出陣したものの、それでもまるで落ち着けない。


「ああもう!」


 一刻も早く何とかしなければならない。このまま岩殿城を抜かれては何もかもおしまいだ。

 だいたい、なぜ信勝なのか。いや人選そのものはわかるがまだ七歳の信勝に全てを託そうとしたのか。

 とにかく出撃してみた上でなおも悩みまくり、その間に信豊辺りを保護者として置きもう少し経験を積ませてからでも……とか考えていた所に、「緊急会議」の報告が入って来た。

 その中身を聞かされた信茂は単純に嘆息し、失望もした。


 —————幼い当主はともかく、信豊たちさえもそんな調子なのか。まるで軍議を年中行事かのように扱い、仲良しこよしの集まりをやっている。

 ただ一人残っている四名臣の山県昌景がここに来るまで、いったいどれだけかかると言うのか。

 信茂は山県軍と言う名の永遠の恋人を夢見ながら、この場で死ぬ覚悟を決めていた。













 ————————————————————実はこの「軍議の実情」を北条家に撒いていたのは甲州忍びであり、甲相国境に潜伏しそのまま北条軍に人足その他で加わっていたのだ。

 そこで彼らは噂を撒き、北条軍内部に信勝恐るるに足らずの空気を作り上げた。その彼らの内数名が、すでに北条軍の人間として死んだことなど、信茂は無論知る由もない。




 何せ、信茂自身も甲州忍びの言葉を真に受けてしまっているのだから。

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