仁科盛信の泰然自若

 六月九日、海津城は大騒ぎになっていた。




「父上が隠居したのか、そうか……」




 守将となっていた十六歳の仁科盛信が父親の唐突な隠居と七歳の甥の武田家継承に何にも驚かない程度には、海津城は騒動のただ中だった。

 上は侍大将から下は下女まで、皆がほどなくやって来る存在に対して忙しなく動いていた。


「仁科様!その、何か…!」

「援軍なら既に集まっている、気にするな」

「いやそうではなく、」

「ああそうだ。人数は揃って来ているとは言え、私はこの前の時にはまだ六つだった。ましてやあの死闘の時はまだ四つだ。知らぬことが多すぎる。何か知らぬのか」

「ですから何かないのですか、太郎様がご当主となった事に!」

「いや、上杉謙信もあるいは景勝に家督を譲ったのかと思ってな」


 内藤昌豊の部下である使者と盛信の会話はまったく嚙み合わない。

 ずっと真顔のままの盛信に対し四十路の使者は必死に食い下がるが、いくら話しても肝心な所へと話がたどり着かない。



「いやその、上杉謙信が到来するとは聞いていないのですが!」

「使者ならば父上にやったぞ。行き違いとは大変だったな、水でも一杯」

「ですから!当主は信玄様でなく、武王丸改め、太郎信勝様になったのです!」

「そうか」


 どんなに大声を張り上げてもその程度の反応しかない盛信にいい加減疲れたのか、使者は座り込んで差し出された水をあおった。

 腹立たしいことに甘露だったその水により、急速に頭が冷えて行く。

「ああそうですか、仁科様はご存じでしたと」

「ああ聞いていた。それより上杉謙信は父上を求めているそうだが、やはり」

「……もういいです」

 その上で冷静と言うか投げやりに言葉を紡いだのに、盛信の口からは結局信勝の武田家相続についての疑問は全く出て来なかった。

 この使者は別に信勝の相続そのものに反発などしていないが、単純に盛信ら成人した子を差し置いてまだ七歳の幼児に家を譲る感覚が理解できなかったのだ。今回使者となったのもその感覚を共有したいから昌豊自らに直訴してその役目を買って出ただけであり、昌豊自身が嬉々としてその相続を受け入れているのにも反発していた。


「えーと、それで、その、上杉謙信がこの武田家に攻め込もうとしていると」

 半ば八つ当たりのようにここまでやって来た男は必死に手を振りながら言葉を紡ぐが、ひとこと言葉が詰まる度に自分が矮小な存在に思えて来る。

「ああ。正確には宣戦布告をされただけだがどうせ同じだ」

「宣戦布告とは何なのです」

「十八日までに父上を春日山城に単身で寄越し、武王丸…いや信勝を信景と名乗らせろとか言う内容の書状だ。そんな事ができると思うのか」

 そして目の前の存在は、自分が考えていた一大事よりもっと大きな問題に当たっている。

「そんな…いつ…」

「つい先ほどだ。もちろん私も躑躅ヶ崎館のみならずあちこちに使者を飛ばしているが、ちょうどすれ違いになってしまったようだな」

「それで…………」

「ああ、ほどなくして上杉との戦いが始まるだろう」




 —————上杉との戦い。




「えっと、その、大変申し訳ございませんでした!」

「どうしたのだ、私が何か間違えたのか」

「いえいえいえ、下衆の勘繰りでございます、はい……」




 —————四郎様(勝頼)は禁薬を使い、織田の全てを灰燼に帰そうとした。

 わずか四千人で五万人を皆殺しにし、お館様(信玄)にその力を見せつけんとした。


 そう内藤軍や馬場軍の兵士たちは道中にて聞かされていた。




 さらに、長坂長閑斎と跡部勝資。




 長閑斎が言葉巧みに勝頼たちを誘導して禁薬を服用させ、さらに勝資は織田に寝返って自らの手でお館様を殺そうとした。前者はともかく後者ははっきりとした証拠があり、また前者についても味方だった存在、と言うか寵臣たちを犠牲にして功績欲しさに強引に敵を殺した。

 今や両名は武田家内の売国奴と糾弾されるほどであり、両名の味方をするのは何よりも勇敢な行いになっていた。


「実はその、本当に太郎信勝様でよろしいのかと不安になっておりまして……」

「案ずるな、それより上杉だ」

「はい…………その上杉なのですが、やはり上様の件でしょうか」


 盛信にしてみれば、もう勝頼は過去の存在であり、武田の当主はもう信勝だったのだろう。それより上杉と言う六文字だけでその事を雄弁に語れる程度には盛信はしっかりしていた。

 自分が年かさぶっていた事実を叩き付けられた使者は、この時すっかり負けを認めていた。


「そうだ。上様をなぜ殺めたのか、捕獲すれば十分だったと」

「本当に上様なのか、それがしは戦場にいたのにどうにも信じられませぬが」

「上様は羽柴秀吉と言う名のこれまでにない存在に敗れ、心底から負けを認められたのだろう。それが彼のためなら命も惜しまずとなったのかもしれぬ」

「その結果……」

「ああ、来るのだろうな。あの川中島に」







 ————————————————————川中島。







 十年ぶり六度目の、川中島。




「どうして武田と上杉はそこに集まるのだろうな」


 始まりは二十年前、信玄により領土を追われた村上義清が謙信に泣きつくような形で越後へと逃げ込んだのがきっかけだった。

 そこから五度にわたり行われたその地での戦いは十二年前の第四次を筆頭に数多の犠牲を生み、十年前に行われた第五次の戦を経て北信を武田が確保して終焉したはずだった。



 それなのにまた、あの川中島での戦いが始まろうとしている。



「数の方は……」

「およそ一万五千だとの事だ」

 一万五千と言うのは第四次の時の一万三千を上回る数であり、上杉の本気ぶりが否応なしにわかるお話である。

「おそらく領国奪還とか、微塵も考えていないだろう。ただ父上、いや武田信玄の御首を取るためだけに動いている」


 上杉謙信のらしくもあり、らしくもない行い。

 信玄や盛信が単純に軽んじ、信長があえて乗り越えようとしていた征夷大将軍と言う権威によって動く。それが上杉謙信だった。


 もちろん川中島までの城には武田軍の兵がいるが、質からしても量からしても上杉本隊の到来とあらば襲われないように引っ込んでいるのがせいぜいだろう。逆に上杉軍も下手に攻めて時間を奪われれば武田軍の回復と到来が間に合ってしまうので、これについてはどっちもどっちだと言える。




「しかしそうだとすると、この戦は我々に利ありかもしれぬな」

「そのような、幾たび争っても破れなかったあの謙信相手ですぞ」

「もちろん準備は必要だが、あまりあわててもしょうがないと言う事だ。相手はあの上杉謙信だぞ、約束を破るとは思えない」

「そうですね……」

 真面目一辺倒なはずの盛信をして父親に負けず劣らずの楽観論を吐ける程度には、本当に楽勝なのかもしれない。

 確かに謙信の性格からして期日を破るとは思えず、少なくともそれまでは命は問題なかろう。


「そしておそらく、お主がそうだったように誰も父上の隠居宣言など真に受けまい。ましてや敵方など。

 これまで幾多の策を張り巡らせて領土を広げて来た甲斐の虎だ。自分の引き際すら策にしても何の不思議もあるまい。

それに上杉謙信は常日頃言っておった。死なんと戦えば生き、生きんと戦えば死ぬと。父上がそれを知らぬ訳もない」

「では策をご存じと」

「ただの推論だ。だが父上は必ずやそうすると信じている。あるいはこれよりもっと上の手を打って来るとな」




 盛信は、信玄を信じていた。



 自分の父親を人間として、そして武将として信じていた。



 けっして阿諛追従する訳ではなく、個人として。



(もし仁科様が四郎様の立場なら……いやその場合は四郎様が仁科様のようになり、仁科様が四郎様のようになっていたかもしれぬな……)


 勝頼の死により、後継者の座は信勝ではなく盛信に移っていたとしても不思議はなかった。と言うより、仮に信勝を後継者にするとしても盛信辺りを守役に据えるのが自然だろう。

 だと言うのに盛信には、勝頼のように信玄に反発する所もなければ権力に執着する点も全然ない。勝頼と十歳も離れた五男坊と言う立場だったからかもしれぬが、だとしてももしこの余裕と言うか将器が勝頼にあればと使者は考えずにいられなかった。










 —————果たせるかな。


 それから七日後の六月十六日、武田信玄は海津城へと入った。

 五千の直属軍と、使者の主である内藤昌豊・馬場信房・高坂昌信の三名が四千ずつ。

 さらに武藤喜兵衛の兄の真田信綱を含む小身の家臣四千、これに仁科勢四千が加わり二万四千。




 あの十二年前とほぼ同じかごくわずかに多い手勢をもって、六たび信玄は立った。










 川中島に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る