ANGELHUNTER

巡屋 明日奈

第1話:眠りの谷・前編

天使、というものは人間を救い導いてくれるような慈愛に満ち溢れた存在ではない。ましてや某イタリアンレストランの天井に描かれているような金髪で癖毛な赤ん坊でもない。

彼らはとても気まぐれで、聖書のように人間たちを天へと導いてはくれない。手を差し伸べたかと思えばそれを引っ込め、その手を目と鼻の先でひらひらと振ってみせるような、とても腹立たしい存在だ。

特に、人間たちの住む下界へ降りてくる天使にロクな奴はいない。


天使の恩寵を受けた男、フィム・バートンは拠点とする山小屋の窓から星空を見上げながら思った。天使の恩寵というものは不思議なもので、この山小屋は吐く息が白く染まる程度には寒いのだが、その寒さなどは恩寵である天使の力の前には無力だった。その証拠に、彼は雪の積もった山の中でもインナーとパーカーのみで平然としている。

フィムはどうやら誰かを待っている様子だった。その証拠に窓の外を眺める視線が、空と遠くの道を行き来している。


天使とは神に仕える子供であり、神の命令を絶対とする融通の効かない存在だ。しかも「子供」と言えども人間よりも遥かに長い間存在し続けている、上位存在の一員。つまるところ、いくら天使から力を授かっていようとフィムのような一介の中年の男が太刀打ちできるような存在では無いのである。

しかしフィムは「天使狩りエンジェルハンター」をしていた。気まぐれで差し伸べた手を取った人間を、奈落の底へと突き落とすような天使。神の思し召しだか何だかはよくわからないが、そう人間たちに害をなす天使たちを殺すことがフィムの生業であった。


窓からぼんやりと外を眺めていたフィムは、唐突にその視界に眩い閃光を収めることとなった。ぎゅ、と一瞬目を瞑り、恐る恐る窓の外を確認する。どうやら雷が落ちたようだ。随分と罰当たりなことを考えていたせいだろうか。その音に続くようにして強く振り始めた雨を避けて、フィムは仕方なく小屋の窓を閉め、薄いカーテンを閉じた。

フィムの住むこの山小屋はかなり整備されていて、風呂もトイレもあれば寝室もいくつか用意されている。フィムは窓辺から離れると、少し狭いリビングのソファに腰を下ろした。スプリングの劣化したそれが悲鳴のように軋む。そのまま彼はローテーブルに置かれたリモコンを手に取り、テレビを点ける。数回もチャンネルを切り替えれば、フィムの目当ての番組が画面に映り始めた。多少画面が乱れているのは先ほどの落雷のせいだろうか、それともこのテレビ自体もソファと同じように古いせいだろうか。


『フラウカ南東に位置するオレリア州にて、大規模な集団自殺が起きた模様です』


切れ切れのアナウンサーの声が淡々と事件の概要を読み上げる。フィムは先程まで窓を眺めていたぼんやりとした目をテレビの画面に移した。すっ、とその目が鋭く細められる。節の目立つ大きな色白の手を顎のあたりで祈るように組む。フィムがいつも考え事をするときにとる姿勢だった。手の甲にざらりとした無精髭の感触が伝わってくる。


「……フラウカ、オレリア、集団自殺」


復唱しながらフィムはローテーブルに投げ出してあった旧型のスマートフォンを手に取る。ロック画面を開けるのにも四苦八苦しながらなんとかブラウザを立ち上げる。


「クソ、彼らがいればラップトップを借りるのに」


今は出かけている同居人へと想いを馳せる。ただその同居人がいたとしても、機械音痴のフィムにラップトップは扱えないのだが。フィムは太い指でもたつきながらスマホの画面をタップした。スマホ本体をソファの上に組んだ足の上に乗せ、両手の人差し指で雨垂れ式のタイピングをする。


「フラウカ、オレリア、集団自殺……」


アルファベットをじれったいスピードで一文字ずつ入力していく。三十秒ほどかけて、フィムはようやく検索ボタンをタップすることができた。

検索サイトのトップから胡散臭いまとめサイトなどが並ぶ。フィムはその一覧をスクロールしつつ、先程のテレビニュースの公式サイトを探す。


『こちら現場のオレリア州からの中継です』


いつの間にかテレビでは別のリポーターが現地であるオレリア州からスタジオへ向けて話している。フィムはそのテレビからの声にも耳を傾けながらスマホのスクロールを続けた。

結果的に、目当てのサイトを見つけるよりも前にフィムのスマホは着信を知らせた。


『フィム!電話が来てるぞ。画面を点けて、緑のボタンをスライドしろ!』


若い男の声がスマホから響く。どうやら着信音のようだ。機械音痴の極地にたどり着いたフィムのために同居人が設定してくれたものだった。

フィムはその着信音に従って電話を受けた。電話の向こうはやたらと騒がしく、その喧騒に混ざって先程の着信音と同じ男の声が聞こえた。


『フィム、今どこにいる?』

「家だが……」

『ならちょうどいい、ちょっと調べ物を頼みたくて』


電話の向こうの男、フィムの同居人のうちの一人は急いでいる様子で言う。普段よりやや早口だった。フィムは了解の意を伝えると急いでメモパッドとペンを用意した。


『眠らせることが得意な天使を教えてくれ』

「……それはまた不思議な質問だな、レヴィリア」


全く予想外の質問にフィムが驚く。レヴィリアと呼ばれた電話口の男はよくフィムに調べ物を頼んでくる。レヴィリアも弟のリディアと共に天使狩りをしていた。フィムが直々に狩りの技術を叩き込んだ相手だ。そして山小屋に引きこもりがちなフィムと違って、二人は世界各地を巡りながら天使を狩っていた。その関係で、フィムは彼らが特性の分からない天使に出会ったときなどに調査を頼まれることが多かった。

なので質問の方向性自体はそれほど予想外でもなかったのだ。ただフィムが驚いた点はそこではなかった。


「そういうものは悪魔の特技だと思っていたが」

『俺もそう思ってたよ』


ビール一丁、と電話口から聞こえてくる。どうやら兄弟はバーにでもいるようだ。リディアは未成年だったような気がしたが、フィムは無視を決めた。

私は彼らを守護こそすれど、決して保護者ではない。


『でも悪魔じゃなくて天使なんだよな』

「悪魔ならベルフェゴールあたりが妥当だろうが」

『ベルフェは最近ずっと寝てるってレプトが言ってた』


レヴィリアが知り合いの悪魔ことアガリアレプトの名前を出して応える。そうだった、とフィムも納得した。フィム自身もあの賢い悪魔アガリアレプトとはそれなりの交流がある。彼は悪魔ではあるが人間にかなり好意的な男で、敵対する理由はどこにも見当たらなかったことを覚えている。


「……ヒュプノス」

『へ?』


アガリアレプトのことを頭の片隅に押し退けて考え事の続きをしていたフィムは、思い当たった言葉をぽろりとこぼした。


「ヒュプノスのつの、かもしれない」

『……なんだ、それ』

「レヴィリア。ヒュプノスは知っているか?」


フィムはふと電話口から自分の声も聞こえることに気づいた。レヴィリアがスピーカーモードにしたのだろうか。


『知ってるよー。眠りの神様だったよね、確か』


電話口からレヴィリアよりも少し高い少年の声が聞こえてきた。フィムは伝わらないのをわかっていながらもつい頷いてしまう。


「その通りだ、リディア。眠りの神ヒュプノスの名を冠する、魔導器だ」


ヒュプノスとはギリシャ神話における眠りの神で、その兄には死の神タナトスなどがいる。その名を冠する道具と言えば、当然人間たちを眠りへと誘うことも容易いだろう。

「ヒュプノスの角」は天使や悪魔などが力を込めると作動する、一種のスイッチのような道具であった。


『つまり……』

『その角があればどんな天使でも大規模な眠りフィールドを作れるってことか?』

「ね、眠りフィールド……まあ、そんなところだ。天使を絞れなくて申し訳ない」


聞き慣れない造語に戸惑いながらもフィムが返事をする。レヴィリアの訊ねた天使については全く答えられなかったため謝罪をしたが、彼らは気にしていない様子だった。


『手段がわかったしな。個人が判明してなくてもそんな問題ねぇだろ』

『そうだといいけどね』


同居人の兄弟の掛け合いが電話口で続く。もう自分の出番はないと判断したフィムは、切るぞと一声だけかけると通話を終了した。

そのままスマホをローテーブルに投げ出すと、フィムはその身をソファに深く沈めた。スプリングが更なる悲鳴をあげる。

狩りには不向きな嵐の夜は、まだ始まったばかりであった。

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