#03 詩織 16
―詩織 16―
「ユウちゃーん、また同じクラスやね」
「うえー、担任大杉かよぉ」
「アキラー、お前何組やぁ?」
高校の新年度、廊下に張り出されたクラス一覧の貼り紙。生徒が群がり、いつものように喧騒が起こる。毎年の風景だ。
「ケイタ、同じクラスやね」
わたしはそれがあたりまえのようにケイタの肩を叩いた。振り向いたケイタに笑いかける。ケイタもやさしく笑い返してくれる。教室に向かって歩き出したわたしの後ろから、他の男子生徒の声が聞こえた。
「おい、ケイタ、おまえあの浅川と友達なん?」
「まぁ、小さい頃から。近所やけん」
「ええなぁ。今度紹介してくれや」
山口ケイタ。幼なじみ。家が近所だったし、お互い一人っ子だったこともあって、小さい頃からよく遊んでいた。
大阪から兵庫県に入ったところ、尼崎。阪急電車の通る北側と、阪神電車の通る南側とでは、まったく雰囲気の異なる街。その、どっちかと言うと南側の、良く言えば下町情緒の残る街、悪く言えばガラの悪い街でわたしは育った。
小さい頃はガキ大将みたいな男の子のグループがいて、わたしはよくいじめられていた。そんな時にいつも助けてくれるのがケイタだった。何人もの男の子に向かって行って、ケンカになると負けるのはいつもケイタなのに、それでも逃げないケイタがカッコよかった。いつも近くにはケイタがいる。そんな安心感があったのだ。
わたしの親はずっと前、わたしが小さかった頃に離婚して、いわゆるシングルマザーだ。おばあちゃんと三人で暮らしてたんだけど、4年前におばあちゃんは亡くなった。今は母親と二人暮らしだ。
母親は大阪の繁華街で夜働いている。いつも夜中に帰ってくるけれど、たまに帰ってこないこともある。多分お酒のお店だと思うけれど、正直、母親の仕事のことはよく知らない。そのくらい会話がないのもあるし、きっと母親の方もわたしに興味ないんだと思う。娘のわたしが言うのもなんだけど、母はきれいな方だと思う。若い頃はアイドル歌手になりたかったとかなんとか。だから夜の仕事でも人気があるんじゃないかな。
多分、母にとってわたしは邪魔なんだと思う。わたしがいなけりゃ、もっと自由にできると思ってると思う。早く高校を卒業したい。そしたら母親の世話にならずに生きていくんだ。
昼休み、わたしはケイタに目配せをして廊下に呼んだ。
「ねぇ、今日ケイタん家行ってもよか?相談したいことがあるんや。東京のお土産もあるし」
「おお、そうやん。オーディションだったよな。どうやったん?」
教室からは男子生徒がわたしたちの様子を覗いている。その様子に気付いたわたしは、不機嫌そうに教室に戻るのだった。
いつ頃からだろうか。なんとなく、自分が目立つ存在なのはわかっていた。それは、決していいことばかりではない。集団の中では好奇の目を向けられることもある。ある時期からは男子の視線が怖くなっていた。目立つことが煩わしく、目立たないように振舞うクセがついていた。女子同士でつるむことも嫌いだったし、自分を守るために壁を作っているようなところがあった。いつも、ここは自分の居場所じゃないと思っていた。
「詩織ちゃん、いらっしゃい。同じクラスなんやて?ケイタのことよろしくな」
「あ、これ、東京のお土産です。皆さんでどうぞ」
「あ~ら、ありがとな。なんや東京行ったん?何しに行ったんや?どうやったん?」
物心がついた頃からケイタの家に出入りしているわたしは、ケイタの母親とも仲が良かった。娘のように接してくれる母親に、わたしも心を許していた。
「うるさいなぁ、ちょっとほっといてや」
母親に毒つくケイタをよそに、わたしと目を合わせて笑う母親だった。
ケイタの父親は、小さな町工場の社長さんらしい。裕福とまではいかないのかもしれないけれど、どこにでもあるような普通の家庭。普通の一軒家。それがわたしにとってはうらやましかった。
男のコの部屋らしく、雑然としているケイタの部屋。わたしはこの部屋が大好きだった。
「春休みの前にもらったカセットテープ、聴いてるよ。いい歌やね」
「お、そうやろ。今また次の曲作ってんねん」
そう言ってケイタは立てかけてあったアコースティック・ギターを手に取った。コードをポロロンとつま弾いた。
ケイタは音楽が好きで、学校では軽音楽部に入りバンドで歌っている。最近は自分でオリジナル曲を作り始めたのだった。その曲をラジカセで録音し、わたしに聴かせてくれているのだ。
「ビートルズ聴くか?青盤買ってん」
ケイタはレコードを取り出し、慣れた手つきでプレーヤーを操る。チリチリとしたノイズの後に、不思議なイントロが流れ出す。メロトロンという楽器らしい。英語の歌声が続く。普段、邦楽しか聴かないわたしには新鮮な響きだった。
「なんて曲?『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』。ふーん、ビートルズええなぁ」
「で、オーディションどうやったん?」
ケイタはもう一度ギターを鳴らし、わたしに聞いてくる。
「うん」
わたしは床に放り出された漫画本をパラパラとめくりながら答えた。
「東京ってすごいね。大阪よりもすごいよ。どこに行っても人でいっぱいなんだもん。
女の子なんてみんなきれいでなぁ。自信なくしちゃうよぉ」
「いやいや、そんなことじゃなくてな」
「東京に来ないかって言われた」
「えっ・・・」
ファッション誌に載っているタレント募集の広告。その中に、映画の主演女優のオーディション広告を見つけた。わたしはそれに応募していたのだ。
書類審査をクリアし、面談審査を受けに東京へ行った。学校は春休みだったこともあって、埼玉にいる親戚の家に泊めてもらい東京を楽しんだのだった。
「ひどいんやで。主演女優なんて最初から決まってたみたいや。オーディションも宣伝の一部なんやてさ。声かけてくれたプロダクションの人が教えてくれた。その人がな、東京でがんばってみないかって言ってくれた。育成タレントだって」
「育成タレント?」
「うん、レッスンとか受けるんだって。それでがんばれば女優になれるって。有名な女優さんたちも、みんなそうして有名になっていったんやて」
「ふーん、そんなもんなんや。でもすごいやないか。声かけてきたんやろ。詩織はずーっと先を行ってるなぁ。女優の夢、すごいよ。で、行くん?」
「わからない。悩んでる」
「お母さんには相談したん?」
「話してない。絶対相談なんてしない。あの人はわたしのことなんてどうでもいいんやから。それに・・・」
「それに?」
「レッスンにはお金がかかるんや」
「そうかぁ・・・」
「埼玉に親戚がおるから、そこを頼ろうかなぁとか、きっとバイトとか働かなきゃいけないだろうし、どうしようか考えてる」
ケイタは何も言ってくれなかった。何を言えばいいのかわからなかったのかもしれないけど、わたしは何か言ってほしかった。行ってもいいの?東京だよ?東京に行っちゃうかもだよ?
「ケイタは音楽やるんやろ。プロのミュージシャンになるんやろ。あたしはずーっと応援するよ。一緒にがんばれたらいいなぁ」
コンコン。部屋のドアをノックする音。ケイタの母親だ。
「詩織ちゃん、夕飯食べていく?」
すぐさまケイタが切り出した。
「食べていけよ。いいだろ?帰りはオレが送っていくから」
ケイタの言葉にわたしはうなづいた。窓の外はもう暗くなっていた。家に帰っても誰もいないことを、ケイタもケイタの母親も知っているのだ。
「ケイタ、また背ぇ伸びた?」
自転車を押しながら歩くケイタの後ろ姿を見て、わたしは聞いた。なんでもいいのだ。どんなことでもいい。ケイタともっと話したい。ケイタの背が大きくなるにつれて、ケイタから言葉数が減っていくような気がしていたのだ。わたしたちはもう高校生なんだもんなぁ。小学生だった頃のようにはいかない。泣き虫だったわたしを、いつも励ましてくれていたあの頃とは違うんだ。
「あ、ここでいいよ」
「そっか。じゃ、また明日な」
ケイタは自転車で帰って行った。その後ろ姿を見て、わたしは少し淋しくなった。『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』の歌声がまだ耳に残っていた。
気付いたのはいつだっただろうか。わたしはケイタのことが好きだ。ケイタには何
でも話せるし、自然でいられる。本当は気持ちを伝えたいし、もっともっと一緒にいたい。でも、それ以上に、今の関係が壊れる方が怖いのだ。
大きく開け放たれた教室の窓から、気持ちのいい風が入ってくる。明るい緑色の葉をつけた桜の木が揺れている。初夏を思わせるような青空だ。休み時間、仲のいい友達同士が集まって、たわいのない会話をしている。
「ゴールデン・ウィーク何してた?」
「神戸行ったん。めっちゃ混んでてさぁ」
「うわぁ、いいなぁ」
教室の隅では、男子生徒が数人、にやにやと笑いながらひそひそ話をしている。本を読んでいたわたしは、その視線がわたしに向いていることには気が付いていなかった。
「おーい、浅川。おまえの母ちゃん、風俗嬢なん?」
その一言に、クラス中の会話が止まった。
「キタで見かけたらしいで。ヤバい通りや」
わたしはその男子生徒、片山竜司を無視した。その反応に、竜司はさらに調子に乗るのであった。
「どんなサービスしてるんや?ちょっと教えてぇな」
竜司とは中学も一緒だった。以前は普通におとなしい印象だったけど、高校に入ってから雰囲気が変わった。なんというか、ワルぶった不良っぽい雰囲気に。
わたしが立ち上がろうとしたその時だった。
「やめろよ」
ケイタだった。ケイタは竜司に近づき睨みつけた。
「ちぇっ」
竜司は不機嫌そうに目をそらした。ケイタは何事もなかったかのように自分の席に着いた。
「ケイタ、今日はありがとう」
帰り道、わたしは校門の外でケイタを待った。帰る方向は一緒だ。
「気にすんなよ。あいつ、昔はあんなヤツやなかったのにな。ほんとは詩織に気があ
るんや。だからあんなことするんや」
わたしは、ケイタがどんどんと大人の男になっていくのを感じた。歩きながら、並んだ時に見る横顔が、たくましくなっていくようでまぶしかった。
わたしたちの歩く先に、男子生徒が数人たむろしていた。竜司たち。昼間わたしをからかった男子たちだ。わたしは隣を歩くケイタを見た。ケイタは鋭い顔つきで歩いていく。無視をして通り過ぎようとしたその時だ、一人がケイタの足を引っ掛けた。ケイタはよろけて手をついた。
「おまえ生意気なんだよ」
ケイタの腕をつかんだ竜司。回りから笑い声が聞こえる。立ち上がったケイタは、つかまれた手をほどくと竜司を睨み返した。すかさず竜司の拳がケイタの横顔に入る。鈍い音がした。崩れ落ちるケイタ。わたしは突然の出来事に足がすくんでいた。よろけながら立ち上がったケイタは、握りしめた拳を振り上げた。それは竜司の鼻先にヒットし、顔面を押さえてうずくまる竜司だった。周りの男子たちは、予想もしない展開に唖然としていた。
「やめてっ、ケイタ」
わたしは、まだ殴りかかりそうなケイタを手で押さえた。
「竜司くん、男らしくないわ。一人でケンカもできないの?」
わたしは竜司を睨みつけた。こぼれる涙を止められなかった。
「ケイタの手は人を殴るものじゃないやろ。ギター弾けなくなったらどうするんや」
ケイタの部屋。わたしは赤く腫れたケイタの頬に湿布を貼る。
「いててて」
「もう無茶せえへんで。守ってくれるんはうれしいけど、ケイタが心配や」
ケイタはさも当然といった顔で笑っている。
「竜司のヤツ、これでわかっただろ。きっともう何もしてこないよ」
「わたしな、東京行くわ。決めた。東京行きたい」
「はあ?」
ケイタは驚いたように口を開けてわたしを見た。
「わたし、自分のことが嫌いなんや。親のことも嫌いやし、この街も嫌いや。クラスのみんなも嫌いやし、今の生活が嫌いや。違う所に行って、違う自分になりたい。だから、東京に行ってみたい」
わたしはまるで自分に言い聞かせるように話した。それまで溜まっていた想いが、一気にはじけたのかもしれない。
「わたしの親はな、わたしができたから結婚したんや。わたしができなかったら、きっと結婚してなかったんやと思う。親も違う人生やったはずやん。わたしがいなかったら、今日のケンカだってなかったはずや。わたしのせいで誰かが不幸になるんはイヤや」
「いやぁ、詩織、それは・・・」
ケイタが口をはさんだけれど、わたしは構わず続けた。
「わたしな、女優さんになりたいんや。女優さんって、いろんな役をやるやろ。いろんな人になれるんや。自分なんか関係ない。ぜんぜん違う人間になれるんや。それでな、いろんな人がわたしの演技を見て、しあわせな気持ちになってもらえたら最高や。人をしあわせにする女優さんになりたいんや」
「おう、いいな」
ケイタがまっすぐな目でわたしを見る。
「詩織はきっとなれるよ」
「ありがとう。いつまでもケイタに守ってもらうばかりじゃダメだよねぇ。ケイタもさ、音楽で東京においでよ。いつか東京で会おうよ」
「おう、そうやな」
望めば叶うような気がした。強く、強く望めば、きっとなれる。今の自分とは違う、輝いた自分になるんだ。
その日の夜、わたしはなかなか寝つけなかった。ベッドから起きて、赤いラジカセでケイタの歌を聴いた。ヘッドホンから流れるケイタの歌声に、涙がこぼれそうになった。わたしたちは、もうすぐ17歳になろうとしていた。
エキストラ
どんなヤツに見えるかい
ぼくは君の目に
ぼくが望む姿に見えてるだろうか
君の中の日常という舞台じゃ
どんな役をもらっているんだろう
栄光で語られる人
羨望で語られる人
憎しみで語られる人
憐れみで語られる人
名前をもらった時から誰もが
登場人物 明日の主役は誰
人は一生をかけて
自分の役を演じるアクター
エキストラのまま終わるつもりかい
エキストラのまま終われるのかい
ーつづくー
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます